閑話Ⅴ 勇気ある者

「誰か! 救急車を呼んでくれ! このままだと……」


なんだろう……遠い、どこからか、声が聞こえる……。あれ? 俺、何をしてたんだっけ……。


 薄れゆく意識、定まらない思考。何が何だかわからない。


 ……そうだ、あの時――


   ◇


 俺は、最近すっかり慣れてきた通学路をいつものように歩いていた。予定などないので、大して急いではいない。だからこそ、ゆったりと帰路につく。


 今はまだ6月なので明るく、空も青く澄んでいる。そんな青空を見上げながら歩いていると、交差点に差し掛かった。


 俺の進行方向にある歩行者用の信号機の光は赤い。なので、立ち止まって空を再び眺める。


 ……空は、広いなぁ。


 高く澄んだ青空を見ていると、俺がいる世界がいかに狭いかを改めて実感する。俺はそんな空が好きだ。


 空はいつ見ても飽きない。飽きる日など永遠に来ないだろう。突然飽きる日がやって来るよりも、今突然死がやって来る方がよっぽど現実味があるほどだ。


 長年空を見上げてきたからか、俺には他の人よりも同時に別のものを見ることができる。例えば今、信号が青に変わり中学生くらいの女の子が歩き出したこと。そして、その女の子に白い車が突っ込んできていることが見えている。


 ……車が突っ込んでいる!?


 危ない、そう思ったのは束の間。気づいたら頭や口よりも身体からだが動いていた。


 あ、これ……俺、死んだわ。


 愚かなことに、俺は車が突っ込んできている死地に飛び込んでしまっていた。こんなことをしても女の子が助かるかなんてわからないのに。


 ……そういえば、さっきからやけに時間の流れが遅いな。


 俺が女の子を突き飛ばそうとする寸前で時の流れが遅くなった気がする。ほら、今はちょうど女の子を前に突き飛ばしたところだ。


 そして、横には白い車が間近に――あ、これが走馬灯ってやつか。


 これまでの記憶が浮かび上がっては消える。それの中には、俺を車からかばったせいで死んだ父さんの記憶もあった。奇しくも、父さんをいた車も白い。


 父さん、俺が本来ならあの時失うはずだった命は、ここまで残った。これも全部父さんのおかげだ。……父さん、待ってて。俺も後少しでそっちの世界へ行くから。この決断に、後悔はないし。


 ……そうは言ったものの、唯一の心残りがある。父さんやただ一人の息子を失った母さんはどうしよう? 父さんが死んでから、女手一つで育ててくれた母さんには恩返しをすることができなかった。それが、俺の唯一の心残りだ。


 せめて、恩を返してから死にたかったなぁ……。まあ、もうそれも叶わないことだけど。


 車も刻一刻と迫ってくる。……もう、潮時だな。


 最期に、最期に一つだけ言いたかったことがある。せめてそれだけは言わせてほしい。


「空を、広い空を……飛んで、みたかったなぁ……」


 どうやら、俺の心残りは2つあったみたいだ。


 そこで、俺の視界は暗転した――


   ◇


 あれから、どうなった? 俺は死んでないのか? あの女の子は……。


 周りを見ようとしたが、身体を動かすことはできなかった。視界も真っ暗なまま。


 あ、どんどん意識が離れていく……。


 正真正銘、俺の人生はここで終わるようだ。


 さようなら、母さん。さようなら、広い空。俺は、あの世に行くよ。


 そこで見えたのは、手を伸ばす母さんと、俺を押して引き帰えさせようとする、父さんの姿だった。


   ***


 グシャッという生々しい音が辺りに響き、周囲は悲鳴が飛び交っていた。


「キャァァーァ゛!」


「子供がも車に巻き込まれたぞ!」


「誰か! 救急車を呼んでくれ! このままだと……」


 二人の子供に衝突した白い車は、ボンネットが鮮血の紅に染まってしまっている。それが、この事故の物々しさを物語っていた。


 事故の発生から少し経つと、お馴染みのピーポーというサイレンが聞こえてきた。どうやら、救急車が到着したようである。


 こうして、二人の子供は病院へと緊急搬送されていった。


   ***


「大変お辛いと思いますが……息子さんが意識を取り戻すことはないでしょう」


奏空かなた、奏空ぁ……」


 白い布に覆われた子供の前で、泣きじゃくる女性がいた。


 一方で、東京都にあるここの病院――事故現場から最も近い病院である八段阪病院はちだんざかびょういんの別室では、白い布に覆われたもう一人の子供がいた。


天凛あめり、嘘だろ、嘘だと言ってくれ……」


 その子供の前には父と思われる男性と、母と思われる女性が抱き合って号泣している。無理もない。自身の子が亡くなってしまったのだから。



 子供を亡くした親の泣き声は、空高くまで響き渡る。高く、高くまで――



   ***


 ……見たことのない天井。ここは病院なのか? 俺は助かったということなんだろうか?


 そんなことを思いながら寝台に横たわっているのは、どこからどう見ても乳児にしか見えない男児。


 一体何が、起こったのだろう……?


   ==========


『14歳の少女とその少女を助けようとした16歳の少年が車に轢かれて死亡』


 西暦2018年の12月14日。事故があった翌日にそんな新聞が世に出回ったのだが、それはまた別の話。




――――――――――――――――――


 次回は登場人物紹介で、その次から第三章が始まります! ……しかし、今日から14日までは魔の5日間と呼べるほど忙しいので、次の更新日時は未定です。ですが、土日には更新したいと思っています!

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