第26話 終わりを告げる狐と虎

 瞳が瞬く間に激情に染まっていく。血のようなあか色の光を目に宿し、虚空に鋭い視線を向け、動き出す。


 周囲を見渡しながら魔法を凄まじい速度で避けている姿は、まるで獣のよう。


 身体能力が先ほどと比べて明らかに上昇していることがそのイメージに拍車をかけていた。


 少年レイの狼の毛の色のような白銀の髪が揺らぐのを邪魔そうにしながら、少年は紅色に染まった大鎌を頭上にかざし、物凄い速さで回転させる。


「〈重力減少グラビティレダクション〉、〈上昇気流アップドラフト〉」


 同時に、重力を減少させる魔法と上に向かう風を発生させる魔法を使う。すると、身体がふわりと浮き始め、すぐに空へと飛び立っていく。


 それでも少女は冷静に魔法を撃ち続けた。当たらずとも飛行の妨害にはなる。


 ……この時、既に両者は完全に元の目的を忘れていた。少年の欲は満たされぬまま滾る激情に上書きされ、少女は追手から逃げるという目的を少年が立ち塞がったことにより、記憶の彼方へと飛んでいった。


 それはさておき、刻一刻と黎明が迫ってくる。黎明を告げる朝日が昇るまではまだ時間があるが、悠々としていられない。


 少年は上空から少女の隙を作るためにあちらこちらへ移動する。透明の障壁を破壊し、隙を発生させればこちらの勝利が確定するのだ。


 そして、遂に待ち侘びたその時がやってくる。


 少女の真上に移動することが成功すると、少年は頭上で猛回転させている大鎌を下ろし、両手に持った。同時に使用していた魔法も解く。そうすると、猛スピードで落下を始める。


 突然のことに少女は上手く対応することができず、咄嗟に放ったいかづちの槍は明後日の方向へ飛んでいった。


 障壁と大鎌が接触した瞬間……両者は


 少年は大鎌を両手で掴んだまま上空へ。少女は魔法で衝撃を殺そうとしたが、間に合わず、後方へ5mほど飛ばされてしまう。


 それによって生まれた隙を少年と狐が逃すわけがなかった。しばらく回って様子を窺っていた月白げっぱくの狐に少年が指示を出す。すると狐は瞬く間に、体勢を立て直した少女の左胸の突っ込んでいく。


 歳不相応と言えるであろう豊満な胸に狐の鼻先がふよんと接触した刹那――、


「『奪えフラントル』」


 少年の澄んだ声が響き渡った。狐は少女の左胸を貫通すると、月白色の粒子になって消えていく。


 少女の左胸は狐が貫通したにも関わらず穴が空いていない。ただ、少女は訳が分からないまま地面に倒れ込んだ。……少しだけ開いた口から月白色の粒子を出しながら。


(動、けない……。身体が、鉛のように、重、たいわ……)


 発動させていた身体能力を向上させる魔法諸々が全て消え去り、ただの疲弊しきったか弱い少女になってしまった。


「奪い終わったことだし、次は喰らってやろう」


 地に伏せた少女に近づくと、一つのうたを紡ぐ。


「満たされることのない渇き 紛らわすための暴飲暴食」


 透き通った声が鳴り渡る。美しく清らかだが、どこか暗い。


 一方、少女の瞳は段々と光を失っていく。


「我がこいねがうのは飽食の実現 叶わないことだと知りながら」


 叶わないことを願うのは罪なのだろうか? ただ願うだけなのに……。


 この世界の全員がそう思うわけではない。だが、大多数の人は思うだろう。


「この世の全てを貪り喰らう 黒の大群と共に」


 黒の大群は常に喰らっている。そうしないと紛らわせないから。


 誰しも喰らわないと生きていけない。それは黒の大群にも言えることだから。


「“満たせ――『暴食の虎グルトノス・ティグリス』”」


 何者かの望みを表現した一つのうた。それを紡いだ直後に虚空から二つの漆黒の牙が出現した。


 その牙は、瞳の光を失いかけている少女の脳天に突き刺さった。……そうは言っても、傷がついているわけではない。なので当然、血は出ない。


 それから数秒後、牙が漆黒の粒子になって霧散した。澄んでいるけれど、どこか澱んだ空気が場を支配する。


「遂に、月を喰らった……。これで、私は……かはっ」


 少年は言い切る前に、心臓の辺りを抑えて血を吐いた。その隣では少女が。黒く底が見えない沼のようなものに引き摺りこまれているのだ。


 少年がに耐えきれずに地面に手をつく。そして少女は完全に沈む。


 荒れた大地、燃える木々。混沌と化したここら一帯は、どうしてこうなったかの調査が行われるのを、まだ誰一人知らない。

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