第1話 僕は○○を知らない

(そろそろ私は帰らないとな。これ以上長くいたら家族が心配してしまう)


 零を見ていた男は、後ろを向いて音を立てずに立ち去っていった。


   *


 僕は美しい星空を眺めていた。身体が痛むし、日が昇りそうなので不用意な行動ができないからな。

 ……相変わらず美麗な星空だ。元の世界でもこのような景色が実際に見れたのだろうか?


 そんな事を考えていたら、突然睡魔が襲ってきた。


「ふぁ~。何だか眠たいな……」


 意識を失うのと眠ることは違うので仕方がないことか。日中は活動ができないし、その埋め合わせ(?)だと思おう。


 僕はまぶたを閉じ、深い眠りに沈んでいった。



   ***



 ――僕の一番古い記憶は、白い天井が見えたことである。


 それは産婦人科の天井でも自分の家の天井でもない。病院の天井だ。実は、記憶によると僕が病院の外に出たことは一度もない。夜に病院の外を眺めたことはあるが。



 ――僕は親の顔を知らない。記憶の中には親と呼べる存在がおらず、初めに会ったのは医師いし。初めて発した言葉は「みてみたいな……」だった。



 ――僕は愛情を知らない。愛してくれる人も愛する人もいなかった。愛情について知りたかったけど、結局は分からなかったし想像をすることさえできなかった。



 ――僕は喜びを知らない。何かをして喜んだことはなかった。喜びを見つけるもできなかった。



 ――僕は怒りを知らない。かつて怒ったことも怒られたこともなかった。何をされれば怒り、何をすれば怒られるのかも分からない。



 ――僕はかなしみを知らない。哀しんだことはなかった。哀しんでいる人を見たこともなかった。



 ――僕は楽しみを知らない。楽しいと思ったことは一切なかった。本を読むことに楽しみを感じることはなく、ただ知識を得るための必然な行為だった。



 ……愛情や喜怒哀楽の定義は分かるが、それを本当の意味で知っているとは言わそ―僕は感情を知らない。いつまで経っても感情が芽生えることはなかった。他人の感情も分からない。全員が同じ感情をしているようにしか見えなかった。



 ――僕は僕を知らない。何をするために生まれ、これから何をすればいいのか分からない。したいこともなく、空白な日々を過ごした。



 ――僕は感情を知りたい。気づいた時には失っていた感情を。それを手に入れれば……。



   ***



 目が覚めると、空にかすかなあかね色の残映があるのが見えた。


「もう黄昏時たそがれどきか……」


 夜まで待つということがほとんど達成できたな。まあ、今は木陰から出てはいけないが。


 では、これからの方針を本格的に定めよう。


 森には戻ることができない。ここがどこだか分からないからな。それなら別の森を探すか? それとも森にこだわらずに旅をするか?


 どちらも現実的ではない。森を発見できるかは運になるし、旅ができるのは夜だけ。


「アルビノの障害がここに……あれ? 今更だけど僕の種族は吸血鬼だったよな……」


 昔に読んだ本に書いてあったことだが、吸血鬼は日光が苦手らしい。その本以外にも書いてあったのでそれの信憑性は高いと見ていいだろう。


「なぜ思い出したんだ?いや、なぜ今まで忘れて……」


 そんなことを考えようとした時、急に頭に電気を流されたような激しい痛みが襲ってきた。


「くっ……」


 なんとか痛みに耐えることができた。急な頭痛に思考を中断させられたが、再開しよう。


 やはり森の方がいいか? 旅だと日中は何をするんだ、という話になるからな。


 でも、ずっと森に篭るのも何か違う気がする。こうなったら適当に歩き回るか?


 そう思ったので立ち上がろうとしたが、全身の痛みのせいで立ち上がることができない。


 ……すっかり痛みのことを忘れていた。最近は忘れることが多い気がする。まだ若いのに……。


 何度か立ちあがろうとしたが、全ては失敗に終わった。


「どうしようか……?」


 このままずっとここにいるわけにはいかない。食料も尽きてしまうし。


 これからの方針を定められずに困っていた時、後ろから声が聞こえた。


「何やら困っているようだな。少年よ」


 慌てて後ろに振り返ると、そこには薄い金髪に灰色の瞳を持った20代前半ほどの若い男がいた――

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