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  • shinmi-kanna様 はじめまして。
    いつも楽しく拝読しております。
    実は、私の父が釧路のキャバレーアカネを運営しておりました。
    父が札幌アカネの杉野重雄様とどのような関係で釧路のアカネに携わったか、そもそも靴屋で働いていた(らしい)父がどうして水商売に向かっていったのか。
    父が他界して40年近くたった今はもう知る由もありません。
    そんな中、ネット検索していたところこちらの小説に辿り着いた次第です。
    私は当時小さかったため、ほぼほぼ記憶になく、唯一フロアにあったグランドピアノで皆川おさむの「黒猫のタンゴ」を開店前に歌ったこと、ステージで裸の女性が踊っていたのを、田所マネージャーさんに子供が見ちゃダメとたしなめられたことだけ覚えています(笑)
    ちなみにfutomasaとはアカネ当時に父が名乗っていた名前(太将)です。
    これからも「末広町物語 霧の街エレジー」の連載を楽しみにしております。

    作者からの返信

    futomasaさま 私の拙作をお読み下さいまして本当にありがとうございます。futomasaさまのお父さまが、私の作品に使わせていただいたアカネの社長さんだったと知り、大変驚きました。まさかfutomasaさまのような方がお読み下さってとは考えもせず、失礼なことを書いてしまったのではないかと、今になって反省している次第です。また銀の目は後になって、麟の目と改めさせてもらいましたが、アカネとニュー東宝については改めもせず、そのまま実名で書き続けております。
    この点につきましてもお詫びいたします。本当に申しわけございません。
    私がこの作品を書くことになったのには、いく人かの人との交流に始まります。先ず私が東京のキャバクラに勤めていたころ、70年代初期から80年代末までの約20年間を、末広町でホステスとして過ごしたAさんという人と知り合いになりました。Aさんはラセーヌという末広町3丁目にあったバーを皮切りに、銀の目、ニュー東宝、アカネを経験した後、栄通リにバーを開きましたが約5年で店をたたみました。
    その店の前にあったのがこの作品にも書いている「クラブ子つる」という店です。この作品には美津子という人を登場させていますが、美津子さんが赤坂のニューラテンクォーターにいたころ、私の祖父と親交があった珠季さんという人がいて、祖父は美津子さんとも付き合いがありました。私の祖父は今は78歳になり現役は引退しましたが、仕事の関係で何度も釧路に行っていました。そのときはこの作品で㋥佐々木のモデルとなっている会社と取引をしていました。こうした縁で私は釧路という町に大変興味を抱くようになりました。そして学生時代からキャバクラを辞めてOLになった今年8月と、今までに何回も釧路に行きました。そして行く度に衰退していく街の様子を見て、華やかだった昔の末広町を知りたくなりました。そして調べるうちに、いつの間にかこの町が、自分の故郷のような気になってまいりました。そうして集めた資料を基に想像を交えてこの作品にまとめました。もちろん事実は3割で7割は創作です。書き始めて感じたのは資料の不足以上に、自分の知識と経験の不足です。
    釧路出身の方、また在住の方などが読まれたらきっと、呆れるか、または怒るか、いずれかだと思います。これからも完結まで勉強しながら書き続けたいと思います。できればまた感想などをお聞かせ下されば、とてもうれしく思います。これからもよろしくお願いいたします。
    ありがとうございました。







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