洞窟の中 ~「藪の中」のオマージュ~
苦虫うさる
第1話 三郎の話
十五年前の夏の日、行方不明になった少女と共に洞窟に行った子供は五人いる。
最初に話を聞いたのは、三郎だ。(※筆者注・本人の希望により仮名)
「十五年前のあの日、何があったのか?」
そう尋ねると、三郎は少し黙った。
「何だってそんなことを今さら」「昔のことじゃないか」とぶつくさ口の中で呟いている。
三郎は、私が最初に連絡をした時から友好的ではなかった。
「あなたが話をしないなら、他の人の話を信じる他ないが」
そう遠回しに伝えると、それは困ると言い、ようやく話をしてくれることになった。
「話してもいいけどね。でも、何をしたってエナは出てこないと思うよ」
三郎はそう言って、話を始めた。
※※※
あれは八月の何日だったっけ?
お宅のほうが詳しいよね。
確かお盆の前とか後とか、そんな日だったな。
夏休みになってだいぶ日が経っていたもんな。
あんた、あの洞窟には行った?
もう入口が塞がれて、入れないようになっているよ。
洞窟は涼しかったし、俺たちにとって恰好の遊び場だった。大人が何と言おうが行くよ、子供は。
入り口は縦穴の段差を下りていく。
下までいくと広くなっているんだ。そこは光が入るから明るい。
俺たちは縦穴のすぐ下の広場を「入り口」って呼んでいた。
入り口には、すぐに行き止まりになる短い窪みしかない。
先に行くための隙間はあるけれど、小学生でもないととてももぐりこめない。
大人は入れないから、エナは見つからないだろうって思ったよ。
隙間を抜けると、広くなっている空間がある。そこは岩のあいだから少し明かりが入るから、意外と明るい。
そこには「空き地」っていう名前をつけた。
空き地から、一人一人縦になってなら歩けるくらいの通路がある。
ここは真っ暗だった。
短い行き止まりがあるけれど、ほとんど一本道だし、子供の足でもせいぜい十分程度の道だ。
その道を抜けると水が溜まった場所がある。
これが「地底湖」だ。
広さは池くらいで、水の深さは一番深い場所でも膝下程度だ。「湖」なんてそんなご大層なものじゃない。
ただ……うん、まあそうだよな。いま思えば、見えないところに深みがあってもおかしくなかった。
随分、危ないことをやっていたよ。
地底湖も、入り口や広間ほどじゃないけれど明かりが入ってくる。真っ暗ってほどじゃない。近寄れば、相手の顔はわかる。
縦穴から入って、入り口から隙間に入った先が空き地、細い通路、地底湖。
入り口から地底湖までは、ほとんど一本道だ。
だから今でも、一体エナがどこに消えちまったのかよくわからないんだよ。
「あの日」のことだけど、さっきも言った通り、俺はよく覚えていないんだ。
それでもいいなら、話すけどさ。
※※※
洞窟に入ったのは、俺、コウタ、
志水以外は全員、地元の同級生だよ。
志水は東京から来た。夏休みのあいだだけ、俺たちの地元にいた伯父さんだか伯母さんだかに預けられていたんだ。
同い年だったからな、何度か顔を合わせているうちにすぐに仲良くなったよ。
変わった奴だったよ。
当時は子供だったから、都会の人間はみんなこうなんだろと思っていた。
K子とモモはいつも一緒にいた。
そこまで仲がいいように見えなかったけど、いつも一緒にいるってことは仲がいいんだろうな。
女同士の関係はよくわからないよな。
エナはうるさい奴だった。
「先生に言うから」が口癖だったよ。
コウタと俺は、よく「エナ先生」ってバカにしていた。
だからそうだな、あの日、エナがついて来たのは意外だった。
大人からは洞窟には行くなって言われていたし、夏休みに入る前にも担任からそう注意されたしな。
洞窟に行こうって言い出したのはコウタだったと思う。
志水に対する対抗心からだよ。
ここにも凄いものがあるって、都会の奴に見せてやろうぜ。
そんな感じだった。
コウタは志水のことを、面白く思っていなかった。
あいつは俺たちのことを馬鹿にしている。
そう言っていたよ。
コンプレックス?
そうかもしれないな。
よくわからない。適当に話を合わせていたからさ。
俺たちは朝集合して、洞窟に入った。
よく晴れていたな。
洞窟に入ると、冷蔵庫の扉が開いた時みたいにヒヤリとするから、暑かったことは覚えているよ。
いつも通り、コウタがでっかい懐中電灯を持ってきて、他の奴は各々、小さい電灯やランタン型の灯りとかを持っていた。
志水は入った時から、興奮していたよ。
こいつがこんなにはしゃぐなんて珍しいな、ってちらっと思ったんだ。
モモは、やたら「寒い寒い」って言っていた。
モモは文句や我儘が多いんだけれど、あの日は洞窟に入ってからすぐにそんなことを言い出したんだ。
空き地に着いた時に、モモが地底湖には行きたくないって言い出した。
コウタがじゃあ帰れよ、と言ったんだけれど、それも嫌だって言う。
「みんなで帰ろう」って。
一体、何だって来たばかりなのに帰らなきゃいけないんだ。
俺もコウタに加勢してそう言ったよ。
そんな言い争いを五分くらいしたかな。
もういい、ほっとこうぜ。
そう言って、コウタが地底湖へ歩き出した。
志水がついていって、俺も後を追いかけたんだ。
志水は地底湖を見た時に滅茶苦茶感動してさ、何だかこの地質がどうのだの洞窟の作りがどうのだのよくわからないことを言っていたよ。
俺もコウタも満足したな。
ただその時ふと、女の子たちを置き去りにしたのはマズイんじゃないかなと思い出した。
あいつら、自分たちだけで戻って、俺たちがここに入ったって告げ口するんじゃないか。
そんな気がし始めたんだ。
おい、マズイよ、戻ろうぜ。
そう言ったんだけれど、志水は地底湖に夢中になっている。コウタは志水の感動ぶりにご満悦で、話を聞くどころじゃない。
仕方ないから、俺一人で女の子たちのところへ引き返したんだ。
小さいライトしか持っていなかったからかなり暗かったけれどね、一本道だし大丈夫だろうと思って空き地に戻った。
空き地ではモモが何か騒いでいて、K子が宥めているみたいだった。
俺は何も気にせず、二人のほうへ近寄ったんだよ。
それが良くなかったのかな。
モモが俺のほうを向いて、突然もの凄い叫び声を上げたんだ。
一体なんだろうな。人殺しにでも会ったみたいな叫びだった。
あの時のモモの顔と声だけは、今でも夢に見るよ。
「俺だよ、三郎だよ」って言ったんだけどな、ちっとも収まりゃあしない。
K子から、コウタたちは? って聞かれた。
まだ地底湖にいるよって言ったら、妙な顔つきをしていたな。薄暗いからそう見えただけかもしれないけれど。
K子と相談して、とにかくいったんモモを外に連れて行こうってことになった。
モモはその頃には死ぬほど怯えていて、何だかよくわからないことをブツブツ言っていた。
あの事件のあとは、完全におかしくなっちまったみたいだよな。
しばらくしたら引っ越しちゃったけど。
モモとK子は二人で外へ出ることになった。
俺は他のみんなにそのことを伝えるために、もう一度地底湖に行ったんだ。
地底湖に行くと、コウタと志水は何をするでもなく湖の中央を眺めていた。
俺が近寄ると、「ほら、湖の中央が渦を巻いているんだよ」って志水が言った。
俺としちゃあ、それどころじゃない。
「モモが騒いでいる」って二人に伝えたんだ。
コウタは最初は放っておけよって言っていたけれど、俺が何だか様子がおかしいんだよって言うとようやくじゃあ行くかってなった。
コウタはさっさと一人で通路を歩き出して、俺と志水がその後に続いた。
順番? コウタ、俺、志水の順だったよ。
志水が色々と話しかけてきたから、俺と志水はほとんど一緒に戻ったようなもんだったけれどね。
志水があんなに話しかけてくるなんて、珍しいよ。
こう言っちゃあなんだけれど、いつもはスカした感じの奴だったからな。
よっぽど地底湖が気に入ったのか、別人みたいにベラベラ喋っていた。
空き地に着いた時には、コウタがイライラして待っていた。
モモたちはどこだ、いないじゃないかって言うから、入口まで戻ったんだよって説明した。
その時に志水が「一体、モモは何がそんなに気になるだろう」って言っていた。「何か見たのかな?」って。
それを聞いた途端、急に気味が悪くなった。
なんつうかな。自分たちが、とんでもない場所に迷い込んだみたいなそんな気持ちになったんだよな。
俺たちは大人たちが言う「入ってはいけない場所」の意味を取り違えていたんじゃないか。
そんな風に思えた。
コウタも怒るのを止めて、おい行こうぜ、って言い出した。
明るい場所まで来たときは、ホッとしたよ。
入口に戻ると、モモは完全に怯え切っていた。
コウタはモモに何か言っても仕方がないと思ったのか、K子に突っかかり出した。
K子はモモと違って気が強いからコウタに言い返して、そのうち喧嘩になっていた。志水が二人の間に入って、ようやく収まりがついていた。
その時だよ。
あれ? エナは? って思ったのは。
その時まで、エナがいないことに誰も気付いてなかったんだ。
俺はK子に聞いたんだ。
エナはどうしたんだ?って。
そうしたらK子が俺を見た。
あなたたちと地底湖に行ったでしょ。
何だか変な顔つきをしていたな。
俺たちはずっと三人だったよって言ったら、今度はコウタと志水がえっ?って顔になった。
三郎、お前、ずっとエナと二人でいたろ?
二人はそう言うんだ。
地底湖に来るときは、俺の後ろにエナがついて来た。
コウタが志水に地底湖を見せている時に、俺とエナが「一度、K子とモモのところに戻ったほうがいい」って話し合って戻った、って言うんだ。
「俺は、エナとお前がずっと一緒に行き来しているだと思っていた」
コウタはそう言っていた。
あの時、一度、俺たちだけでも地底湖にもう一度戻れば良かったのかもしれない。
言い訳するわけじゃないけれど、モモを洞窟に残しておくのはもう限界だった。
とにかく一度家に帰ろう、エナも先に帰ったのかもしれない。
そういうことになった。
でも当然、エナは帰っていなかった。
俺たちはギリギリまで黙っていたけれど、ついには洞窟に遊び行ってエナとはぐれたことを白状した。
俺の家は親父が厳しかったからな、こっぴどく怒られたよ。
もちろん捜索は行われたし、俺たちは親や教師や警察に何回も話を聞かれた。
ただとにかくあの洞窟は、大人が捜索をするには狭すぎたんだ。
どこかの亀裂の隙間に落ちたんじゃないかとか、地底湖の深みにはまったんじゃないかとかそんな話になって、いつの間にか捜索も打ち切られた。
俺だって、きっと俺たちが知らないうちに、エナはどこかの穴に落ちちまったんだろうって、そう思うよ。
そうとしか考えようがないだろ?
だからそれ以上、何をどう思うかって言われても、特に何も思いつくことなんてないよ。
印象?
何でもいいからこの話の印象を話してくれ、ってそんなことを言われてもなあ。
うーん、そうだなあ。
ただ何となく思ったことでもいいって言うなら……俺は、あの事件だか事故だかのあと、エナに悪いことをしたな、ってふと思ったんだ。
言っておくけど、俺がエナに何かしたとか、何かを知っていて黙っているとかそういうんじゃないぞ。
俺は本当に何もしていない。
何も知らない。
具体的に何がって言うんじゃないんだ。
例えばさ、エナがいないって気付いた時に、エナを探すんじゃなく家に帰ろうと思ったりとかさ、そういうことだよ。
事件のことがどうこうじゃなく、エナに対してずっとそういう感じだったなあって思ったんだ。
だから、こうやって話すことが少しはエナのためにしてやれることなのかな。
特に深い意味はないよ。
あんたが何でもいいから言えって言うから言ったんだ。
俺が望むことはただひとつ、もう俺に関わらないで欲しい。それだけだね。
あの事件は、俺にとってはただの昔話だし、今さら何をどうしたってエナが帰ってくるわけじゃない。
あんたが一体、何だってこんなことをしているのか、俺にはさっぱり理解が出来ないよ。
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