第12話 秋瀬神奈と先輩
私には憧れていた先輩がいた。
いた、と言う事は。今はもういない。
正確には。
初めて会った頃からだいぶ……いや、かなり変わった先輩が元に戻ってくれさえすれば。もう一度憧れると思う。尊敬すると思う。
ダンジョンギルド練馬支部の売買カウンターで、私。秋瀬神奈は暇だったので、昔を思い返していた。
闘技場受付のカウンターに突っ伏している私の先輩、佐藤有栖を眺めながら。
あ、支部長が来た。
支部長は真っ直ぐ闘技場カウンターに向かって行ったので、きっとお説教タイムになる。
巻き込まれない為にも、もう視線は外しておく。
先輩は初めて会った頃から凄かった。
今とは逆の意味で。
なんとなくやりたい事もなかった私は、大学を卒業して運良く公務員であるギルド職員に採用された。
運良くと言っても、元々そこまで成績は悪くは無い。単純に就職活動を舐めていたせいで、出遅れたせいで、苦しんだだけ。
配属先は、ダンジョンギルド練馬支部。
大して意欲もなかった私は、働く事を舐めていた私は、先輩に徹底的にしごかれた。
別に、私一人だけじゃない。
私の同期である十人が全員とも、先輩にしごかれまくった。
ハッキリ言おう。
同期が居なければ、一緒に頑張っていなければ、私は逃げ出していたと思う。
逃げれたかどうかは別だけど。
先輩による仕事の後の、私達へのアフターケアも凄かった。
今だから解るけど、あれは完璧なアメと鞭。それに気づいた時、先輩は本当に末恐ろしいと思った。
今では十人全員。新人に渡される帽子を脱ぎ捨てて、一人前としてやれている。
利用者何人かによるアンケート、試験、実技諸々。それら全ての評価を満たすと、一人前として扱われる。
私達十人が一人前として扱われだしたのは、入職して三週間が経った頃。
他の支部の仕事を知らない私達新人は、何時から一人前として扱われるかの基準が誰も解っていなかった。だからそれが、普通なんだと思っていた。
一人前のご褒美に。全員がお祝いとして休暇を貰い、別のギルドの友人と遊んだ時。雑談で三週間でやっと独り立ちできたよと伝えたら、「ありえない」と引かれていた。
ダンジョンギルド練馬支部に変なイメージを与えてしまったかもしれない。
恐くない、恐くない。
私が来る前のダンジョンギルド練馬支部は、利用者が多い割にギルド職員が足りていなかった。らしい。
そこに寿退社、出産等による長期休暇等々。諸々が重なって、ダンジョンギルド練馬支部は類を見ない程に忙しくなった。
そこに人員補充として、私達がやってきた。
新人が十人。
ただでさえ慌ただしい業務となっていところに、新人教育をしなければならなくなったダンジョンギルド練馬支部。「私達を殺す気か!」と仰々しい空気が流れたその時、先輩が新人教育に立候補したとのこと。
先輩が、一人だけで大丈夫と。
先輩はそれまで周囲に負担がいかない様に、ダンジョンギルドの仕事の五割・六割を一人でこなしていたらしい。
それでも、先輩以外の他の先輩達は目を回していたと聞く。
そこに新人教育の業務もなんて、今の私ならハッキリ解る。不可能でしょ。
「秋ちゃん」
遠くから、先輩に呼ばれた。
視線を先輩に戻すと、ちょうど支部長に引きづられていくところ。
「なんスか?」
「今、入ってきた人。もう直ぐ終わるゆーちゃんと、二人で対応した方が早いわよ〜」
そう言い残して、先輩は支部長と一緒に姿を消していく。
私はその言葉の指し示す人を確認する。
此処で見かけた事がない人だから、放浪の探索者さんかな。それ以外は別段、変わった様子はないと思う。どこにでもいそうな装備だし。
けれど、先輩の忠告は正しい事ばかり。
私は言われた通りに、売買を終えて一区切りついたゆーちゃんに声をかける。
「ゆーちゃん。お疲れ様」
「お疲れ様ですー」
「今、大丈夫?」
「はいー」
「先輩が言ってたんだけど、あの人。一緒に対応してもらっても良い?」
「あ、そうなんですねー。解りましたー」
私と同期の、愛称はゆーちゃん。
ゆーちゃんも一人前にはなったけれど、おっとりしていて時折まだ失敗をしてしまう。
でも、植物系の知識がもの凄い。特化している。
という事は。先輩が言ったあの人は、おそらく植物関係の何かを持ち込んで来たのだろう。
「そちらの方、どうぞこちらへお願いします」
「あ、はい。此処のギルドの利用は初めてで。すいませんが、売買カウンターはどちらでしょうか?」
「こちらで大丈夫です。本日はどの様なモノをお持ちになられましたか?」
「これを売りたいんですけど」
うっ!
出されたカードはBランクの水晶西瓜、私が見た事がないカード。それと、ダンジョンで討伐したモンスターのドロップ品。これはCランクの水晶ガエルの肉だ。
この人。水晶ダンジョンに潜ってたのか。近い所だと、大宮水晶ダンジョンかな。
その事に気づいた後に足元を見ると、靴には微かに水晶の欠片の様なモノがついている。それに、水晶西瓜の香りも少しだけ残ってる。
どうして先輩はあの距離で、コレに気付けるのか。私は至近距離で、出されたモノを見て、やっと気づいたっていうのに。
肉の方は私で対応できる。水晶西瓜はゆーちゃんに頼もう。
「ありがとうございました」
「ありがとうございましたー」
「こちらこそ。もっと待たされるかなと思ったんだけど、噂通りだったよ」
「噂……ですか?」
「此処のダンジョンギルドはしっかりしてるし、仕事が早いって。多少難しいモノでも、適切に売買してくれるって。最近探索者の間で有名になってるんだ」
「そう、なんですね」
「迅速に対応してくれてありがとう。また練馬支部、利用させてもらうよ」
「是非。またのご利用、お待ちしていますね」
私だけだったら迅速にはいかなかった、時間を取らせてしまっていただろう。
探索者の間で練馬支部が有名になっている事は嬉しいけれど、先輩のおかげがしてならない。
本当に、先輩はズルい人だ。
こんな事をされている内は、何時まで経っても本気で私がお説教なんてできる訳がない。
先輩を指導なんて、できるはずがない。
けれど今の状態の先輩を素直に尊敬するのは、無理。嫌だ。
だからせめてもの反発。敬語を敬語もどきにする。反発には弱いかもしれないけれど、先輩にしてみれば私はまだまだ駆け出しの“ひよこ”。
今は敬語もどきが精一杯。
私がもっと先輩を追い越すくらい仕事ができる様になって、私が先輩をこき使ってやる。
これが、今の私の目標。
◇ ◇ ◇
「お疲れ様ですー」
「あら、ゆーちゃん。お疲れ様。休憩?」
「そーですー。先輩も。休憩ですかー?」
「ゆーちゃんにはこれが休憩に見えるのかしら?」
私、佐藤有栖の身体は今、ロープで椅子に縛りつけられている。目の前の机には四百文字が書き込める、原稿用紙が山盛り。
どうしてこんな状態なのか。
支部長に、反省文を求められたから。
お許しが出るまでは逃げられない。
縛った者が許可しないと、解けないロープに縛られているから。
「見えなくもないですー」
「そ、そう」
「はいー」
ゆーちゃんの言葉に、思わず凄いなこの娘と感心してしまう。
「じゃあ、本当に休憩しちゃおー」
「はいー。一緒に休憩しましょー」
ゆーちゃんと、お菓子を食べたり紅茶を飲んで雑談する。
原稿用紙は真っ白だけど、気にしない。
どうせ提出しても支部長は怒るから、書かなくても一緒だろう。
「先輩は昔と違ってー。どうしてダラダラしちゃうんですかー?」
「んー。そうね。ゆーちゃん、みんなに内緒にできる?」
「はいー」
「もし、誰かに話したら……。こしょこしょこしょー」
「怖いですー」
椅子に縛られているので擽る素振りを見せるだけだけど、ゆーちゃんは笑いながら身を縮める。
この娘なら、話をしても大丈夫だろう。
噂やねじ曲がった人伝の言葉に振り回され無い様に、聞きたい事は正々堂々と、本人に問い質せる人になってほしい。
口が軽いという事は災いの元になると、知ってほしい。
この場合災いに該当するは、私の事なんだけどね。
ダラダラしている理由。それに関してはゆーちゃんじゃなくても、直接聞かれたなら誰にでも答えるつもりだった。
別に、大した理由もない。
私は、私の事を直接聞いてきたのなら。話せる事は正直に、ちゃんと話そうと決めている。
でも秋ちゃんにはなるべく内緒にしていたいから、そこら辺の基準は曖昧かな。
「私がダラダラしている理由はね。貴方達新人の娘になるべく、色々な仕事をしてほしいから。失敗したとしても、なるべく怒られないようにしてあげたいからよ」
「どういう事ですかー?」
「だって、皆。何でもかんでも私に仕事を振ってくるんだもの。頼まれてやっちゃう私も、いけないと思ったの。他の人達には私だけじゃなくて、新人の娘達に仕事を振ったりしてコミュニケーションを取ったりとかしてほしかったし。新人の娘達にもっと色々と、仕事を覚えてほしいの。言っちゃえば、新人教育の延長みたいな感じかしら」
「そうなんですねー」
「最近入ってきた娘達は、ゆーちゃんも秋ちゃんもみんな。本当に頑張ってくれてる。私なんて、直ぐに追い越しちゃうんだから」
「本当ですかー?私。あの頃の、先輩みたいになりたいんですー」
自分の身体の前で両手を合わせ、嬉しそうに微笑むゆーちゃん。
「それに、万が一。私が何かでいなくなったとしても大丈夫な様に、今から予行演習も兼ねてるの。本当に無理な時は、フォローはちゃんとするから安心してね」
「それはみんな、何となくですけどー。気づいてると思いますー。何となーくですけどー」
「一人前になった娘達の先輩なんて、ダメなくらいがちょうど良いのよ。いつまでも先輩風を吹かせてるよりかわね。私が怒られてたら、周囲の新人の娘達を怒る目が少しは緩むでしょ。私が怒られている内に新人の娘達の失敗なんてフォローしちゃえば、みんなが怒られる事も少なくなるから」
「確かにー。あんまりみんなから怒られた話、聞かないですー」
「あの忙しい時期に入職してくれて、三週間で一人前になってくれたっていうのに、まだまだできなくて当たり前の娘達なんだから。頑張ってくれているのにそれは、なるべくやめてあげてほしいのよね。みんなにのびのびと、楽しく仕事をしてほしいのよ」
「そうだったんですねー」
「まぁ支部長には。過保護過ぎるとか、新人の娘達がちょっと怒られたくらいで挫けると思ってるのかとか。信頼してやれって言われちゃってるんだけどね。まぁでも、単純に。私がちょっとのんびりさせてほしいって気持ちも、あるかな」
「先輩、あの頃ずっとバタバタしてましたからー。良いと思いますー」
お互いに顔を見合わせて笑いあう。
「あっ。そろそろ休憩、終わりですー」
「もうそんな時間?ありがとうゆーちゃん。楽しく休憩できたわ」
「私もですー。先輩も、頑張ってくださいー」
そう言って立ち上がり、ゆーちゃんは部屋を出ていった。
「頑張ってください、か。とりあえず……頑張りますか」
目の前にはまだ、何も書かれていない真っ白な原稿用紙。
支部長が戻ってくるのはおそらく、残り10分もないだろう。
私は、逃げる事を頑張る事にする。
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