第38話 感情を隠して

 きっと七海はその席彼の隣を誰にも譲ってくれない。

 ポジティブ思考な七海だからこそ、こうして態々……頭が緩くなったように口走るが、反比例するように、その気持ちは堅いのだと知っている。


 それに、口走ったことさえ……捉え方を変えれば、匂わせにも聞こえた。少し気に障るくらい。


「あっ、そういえばね――?」


 次いで七海は顔を赤らめながら、言葉を続ける。


「前に僕が『コスプレしたいのはわかったけど、どうして写真撮るの?』って訊いたことがあったよね?」

「えぇ。その世界観に浸るには、自分自身も見世物になる気概がなければというわたしの心構えを説きましたわね」


 コスプレについて七海に説明した時の話だ。

 既にハマった後で、恥ずかしさのあまり早口になって口走ってしまったことだが、それがどうしたのかと小波は、首を傾げた。


「うん。あの時はわからなかったけど、ようやくわかってきたんだぞ。ちょっと恥ずかしいけど、誰かのものになるってことも、同じだってわかったんだよぅ」

「な、何をいってまして……?」

「だからね? 見てくれる人がたった一人なら、その人に自分と自分のいる世界を独り占めされちゃうってことでしょ? それって素敵なことだよぅ」


 何となく理解することもできるが、七海がこんな風に小難しいことを言うとは思わなかった。

 まるで、自分のしてしまった何かを、強引に肯定したいような様である。


「そう……ですわね」


 しかしコスプレのことを認められてしまえば、小波も無暗に否定できない。

 ただ言葉にせずとも、思うところはある。


「…………」


 小波は、七海が鉄矢と付き合ってくれれば、それでいいと思っていた。

 それは……彼女が七海の気持ちを誰よりも近くで知っていたはずだから。

 たとえ七海の次いでであっても鉄矢といられるなら、それでいいと妥協していたのだ。


 しかし実際に七海と鉄矢の距離が急接近して、小波は――ズルいと思った。


 何か、何か自分が彼と繋がれる特別な何かが――あれば、違ったのではないか。

 七海にはなくて自分にしかないものを、小波は欲しくなった。


「……それで、てっちゃんとのゲームはどうでしたの?」


 ――少しでも、情報を得ないと。

 自分が遅れる感覚。小波は焦燥感を上手く隠しながら、質問してみる。


「協力ゲームだったよぅ! まぁ途中で僕が我慢できなくて……それで終わっちゃったんだけど……ううっ、この話は少し恥ずかしいよぅ」

「無理に言う必要なんてありませんわよ。ゲーム以外は何かなくて?」


 最近の鉄矢はたしか、軟禁された事件について追っている様子。

 事件について何かわかれば……賢い自分なら役に立てると、小波は考えたのだ。


「うーん、あっ! てっちゃんイラスト描いていたんだぞ!」

「え、イラスト……?」


 そんな話……小波は知らない。

 つまり、ずっとネットで繋がっていたツキナミにも秘密だったこと。


 身体の関係になったから、七海に教えた?

 否、それは違う。

 そう小波の直感が告げていた。

 恐らく、勝手に七海が鉄矢の作業部屋に押しかけたとか、だろう。


 まだそこまで深い仲じゃないはずだと、小波は自分に言い聞かせて冷静になる。


「うんっ、すごく上手かったんだよぅ」

「イラストレーターってことなのかしら?」

「きっとそぅ! 特に、衣装が凄く可愛かったんだよぅ」


 それは、小波にとって一筋の光にも思えた。

 同じ秘密の趣味という共通項。

 小波の胸が熱くなったし、共感を禁じ得ない。

 他人に言い出しにくい理由が、痛いほどにわかってしまうから。


 特に小波の場合は、同一名義でイラストレーター兼コスプレイヤーだ。

 小波にとって、自慰するにも等しい大切な趣味だったことは間違いない。

 安易に他人へ教えられる趣味ではなかった。

 その証拠に……コスプレについては七海にも伝えているものの、イラストレーターであることとアカウント名は伝えていない。


 当時の七海もコスプレには興味を持っていなかったから、追求されないまま上手く秘密にしておいたのだ。

 とはいえ、ファンとして時々『徹夜狂い』のイラストを七海に見せたことがあった。


「そのイラストって、わたしが前に見せたイラストよりも上手かったかしら? それとも下手でしたの?」

「うーん……とにかく凄かったんだよぅ! 僕には絵のことなんてわからないけど、それでも凄いとは思ったぞ! 小波が前に見せたイラストよりも、ずーっと凄かったんだぞ!」


 一瞬『徹夜狂い』を馬鹿にされたようで複雑な気持ちになるが、七海の目は節穴ではない。

 いくら鉄矢相手だからって、色眼鏡をかけてここまではしゃぐとは思わなかった。


 ふと小波は心の中で熱いものを感じた。

 絵を描く中でも、衣装デザインはかなり高度な技術を要する。

 絵柄や構図にもよるが、『徹夜狂い』よりも『凄い』と七海が称するなら、それは真実だ。


「それは今度、わたしも見せてもらいたいですわね」

「いいと思うっ! じゃあ明日にでも――」

「お姉ちゃん明日はバレーボール部でしょう? その間にでも見せてもらいますわよ」

「そっかぁ」


 変に疑われないように、自然とした口調で淡々と……。


 小波は、ドロドロにかき混ぜられている背徳的な感情をポーカーフェイスで覆い隠した。

 鉄矢も秘密主義ならば、七海と身体の関係があろうと、自分の秘密も隠してくれるに違いない。

 小波は鉄矢と――二人だけで共有できる秘密を欲しているのだ。


 ――そうすれば、わたしも彼と急接近できるかもしれない。


 小波は内心で希望を見出した。

 絵描きという共通点。

 教えを乞うという方法は、志乃という前例があったから。


 イラストレーターは一枚の絵を何十時間もかけて描く。

 とても孤独な作業で、それでも好きだから……描きたい世界があるから描くのだ。


 そんな気持ちを理解できるのは、同じく熱心なイラストレーターでなければ叶わない。

 小波は未だ親米と呼べるかもしれないが、勉強熱心に毎日欠かさず絵を描いている。


 恋人になりたい訳じゃない。

 ただ七海のお裾分けではなく、能動的に鉄矢と一緒にいられる時間を増やしたい。

 幸せそうな顔で浮かれる七海。

 彼女の知らない裏で、涼しい顔をする妹は、静かに動き出した。

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