互いに六ツ見し日頃の怨

λμ

怪文書

 その異様な文章は、卒業文集用に提出された原稿のたばに紛れ込んでいた。


赤西あかにし鈴璃すずりを断罪する』


 白地に薄青く引かれた罫線を無視するように、三行に跨って何重にも引かれた赤い文字列。見つけた当人、三年二組を預かる南風原はえばる智樹ともきは、ひとまず親指を挟んだまま原稿の束を戻した。


 職員室に設置された業務用のエアコンが埃臭い暖気を吐いている。にも関わらず底冷えする気がする。今しがた目にした文書のせいだろうか。それとも、十二月の一日を過ぎた放課後だからだろうか。

 

 部屋に残る教員は少ない。受験シーズンの本番はこれからで、三年生を預かる教員にとっては身も心もすり減らすと噂の時期を目前にした、一拍の息継ぎとなる期間である。部活動を受け持つなら冬の大会を目指していなくなり、終業式前に開かれる学内の委員会に出るためいなくなり――南風原も未提出者のチェックを終えたら部の活動場所を覗くつもりでいた。

 

「どうされました?」

 

 ふいに声をかけられはすかいを見やると、数学教師の生田いくた真里まりが赤いサインペンの尻にはめたキャップで横髪を掻いていた。


はつたん疲れですか?」

 

 そう言って、窓から差し込む西日で顔の半分を影に隠したまま口元を緩めた。真里は南風原より一つ年上の同期であり、まだクラスを担当したことがない。そのため、初担任で三年生を任された南風原の一年を観察し、最初は嫉妬され、次におののきを抱かれ、いまでは同情されるようになっていた。


「ああ……まあ、そんなとこです。最近、急に手が空いたからボーッとしちゃって」


 南風原が愛想笑いを送ると、真里は鼻を小さく鳴らして机に顔を戻した。


「本当、三年生の担当とか今から怖いですよ」


 サインペンの音がサリサリと響いた。


「この時期になんか事件が起きたらとか、私とか神経もたなそうで」

「……ですよね」


 何の気なしに相槌を打つと、サインペンの音が止まった。


「――は? なんかありました?」

「え? あ、いえいえ!」


 南風原は慌てて取り繕った。


「ちょっとボーっとしちゃって。もうあと数ヶ月で終わるんだなー、みたいな」


 なるほどとばかりに、真里が笑みながら頷きを繰り返した。

 南風原は遠い茜空に目を細め、再び、原稿の束をめくる。二秒ほど見つめ、また戻した。親指を挟んだまま。内心に呟く。


 気合はいってるなー……。


 動揺が一、残りは感心だった。

 中学校卒業を記念する最後の作文で、題材は自由。テーマが見つからない生徒には将来の夢や、三年間の思い出などのいくつかのパターン。目一杯に凝りたい気持ちは可能な限り汲んでやりたく、やる気がでないのなら背中を押したい。


 ――ただし、手書きに限る。


 中学最後の悪ふざけのつもりなのだろう、ステレオタイプな誘拐犯が送る脅迫状のような、新聞や雑誌の切り抜きめいた印刷をして送ってくる生徒もいた。もちろん却下したのだが、何を勘違いしたのか、次にもってきたのはマンガの書き文字や女性誌などを切り貼りして柔らかく人当たりのいい脅迫状に仕立ててきた。その熱意だけは褒めたが、そうじゃないのだと説明しなくてはならなかった。


 記憶は頭に、気持ちは手に残る――。


 それが南風原の考えだった。たとえば、過去の手紙を読み返すとき、それがワープロで清書されていると、そのときにどういう思いだったのかボヤけてしまう。たとえ拙くとも手で書けば、字体となって気持ちが残り、指でなぞったときいくらか鮮明になる。卒業文集は生徒の今のためでなく、未来のために、人生にたった一度でも開いたときに思い出せるよう書くのだ――と。


 国語の教員は、社会科の先生に言われるとは思わなかったと苦笑した。同じことを生徒に伝えると今度は神妙に頷き、トレーシングペーパーを駆使して脅迫状めいた原稿を手書きしてきた。南風原は熱意に屈した。内容にも大きな問題はないし、手書きならば大人になれば笑えるだろうと考えた。そういうノリだったんだと。だから、コレも同じだろうと、南風原はあらためてめくった。


『赤西鈴璃を断罪する』

 

 怒りが透けてくるような強烈な文字。何十本もの線の集合体が言葉を形作っている。他に名前は書かれていない。となれば、おそらく鈴璃本人が書いたのだろう。そんな子だったろうかとぼんやりと思う。


 どこにでもある普通の家というのは存在しないが、母親が自宅で書道教室をやっているというだけで、他は平凡だったはずだ。字は流石に綺麗だが成績は中の上。推薦を使えば相応のところに進学できる。いわば内々定の状態だ。所属部までは記憶していない。生活態度も記憶に薄い。言い換えれば、手のかからない生徒ということだ。


 ――それが、ねえ? と思いつつギザギザした赤い文字を見つめる。


「……先生、黒か、なければ青でと言ったよね?」


 苦笑しながら呟いて、要相談を示す三角マークを名簿につけて、ひとまずめくり、


「は?」

 

 南風原は手を止めた。

 赤くてギザギザした気合の次の原稿は、見惚れるほど美しい字体で、


『将来の夢 赤西鈴璃』


 と題されていた。

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