天才悪役女優が、弱虫すぎる伯爵夫人に転生したら~悪魔伯爵と作る劇場飛空艇で、今度こそ華麗なハッピーエンドを見せてやるわ!~

ゆいレギナ

第1話 弱虫な伯爵夫人?


 背中を押された感触だけを、鮮明に覚えている。


「ぼくの〇※✕ちゃんを突き落としやがって!」


 それは昨日放送されたドラマのヒロインの名前だね。

 たしかに私の演じたキャラは彼女をいじめていたけど……あくまでそういう『キャラクター』だったから。なんならヒロインを演じた女優とは昨日二人で飲んでたくらい仲がいいのだけど?


 歩道橋の階段から落ちたのに、思っていたより痛みを感じなかった。ただ目が回って、突如襲い掛かる脱力感。だんだんと意識が遠のいていって……あぁ、これでまた殺された時の演技に磨きがかかったわね、と苦笑して。


 それなのに、次に目覚めたら古ぼけたシャンデリアが目に飛び込んでくるとは、一体どのようなシチュエーションなのか。ここは普通、病室の無機質な電灯が定石ではなくて?


「まぁ、ファンタジーものなら、放蕩中の王子様に助けられた展開もありだけど」


 そんな自分の発想に、今度は自嘲した。

 だって、私がそんな麗しいヒロインに抜擢されるはずがない。

 似たような展開を期待するなら、魔王に拾われたとかになるだろう。


「それにしては、いい天気ね……」


 窓の外を見やれば、それは魔王なんてラスボスとは無縁な晴天が広がっている。地平線とまでは言わないけれど、その屋敷のまわりは舗装のされていない道以外は草原と遠くの山しか見えない。別荘地だとしても、もう少しお店が欲しいものである。


 そんな、まるでヨーロッパ風景の中にあるロマネスク様式らしき寝室で。

 私は起き上がって、鏡を見てみた。


 桃色の長髪。青い瞳。

 役に合わせて様々なヘアカラーをしたことあれど、さすがにピンクに染めるのは初めてである。悪役ばかりだった私は、たいてい地毛の黒髪が役にも合っていたのだ。


「誰よ、あなた?」


 鏡に向かって尋ねても、やはり自分は答えてくれない。


 だけど、私はなぜか知っていた。

 この身体の持ち主の名前はコルネリア=フラウ。旧姓はウリンドン。

 最近このフラウ魔法伯家に嫁いできたばかりの新妻である。


「そういや流行っていたわね。異世界転生」


 あれだ。トラックに轢かれて気がついたら異世界だったというやつである。

 まぁ、私の場合は現実と夢の境がなくなったファンに殺されて死んだという末路だったけど。


 とりあえず、気に食わないのは鏡の中の自分だ。


「なに、このキシキシとした髪は。櫛すら通していないの? それにお肌もボロボロで……やだ、あばらまで浮いているじゃない。食べないダイエットなんて今どき女子高校生でもしないわよ」


 きちんと磨けばかなりの美人になれそうな素材なのに、だからこそ勿体ない。

 そんな愚痴を吐いていると、ノックもせずに誰かが扉を開けてくる。


「あら、起きてたんですか~?」


 なんだ、このメイド?

 メイド役なら、もうちょっと慎ましい演技くらいしなさい。


 しかもせっかくのメイド服なのにアイロンすらかけていないの? コスプレじゃあるまいし、髪もまとめるくらいした方があなたの大顔が目立たなくて済むのに。


 だけどネグリジェを着た私と、メイド。

 どちらが格上かは台本を読むまでもない。


 それなのに、私の身体が叫んでいた。謙虚に振舞えと。


「顔を洗いたいから、お水を用意してもらえませんか?」


 私の身体が、顔を洗う時は水を運んできてもらうものだと言っている。

 だからその知識に合わせて貴婦人らしい物言いをしてみると、メイドが「はっ」と鼻で笑ってきた。


「奥様が、わたしにお願い? たいそう偉くなったものですね~?」


 いや、奥様なんだからメイドより偉いに決まっているでしょう。


 そう言ってやりたいのは山々だけど、どうやらこの『コルネリア』はかつて弱虫令嬢なんて揶揄されていたほど気が弱い女性だったらしい。実家でも一族から疎まれており、嫁いだあとも使用人らからこんな扱いをされて……現在、弱虫すぎる夫人として部屋に閉じこもりっぱなし。久々に部屋から出たかと思いきや、自殺しようとして失敗・・し――今に至るのだと体に残った記憶が教えてくれる。


 まぁ、そういう『設定』ならば仕方あるまい。

 いきなり『日本人だった頃の人格が芽生えました』なんて言っても、ますます頭がおかしくなったと揶揄されるだけだろう。


 なので「お願い……します……」と声を震わせて、敢えて視線を逸らしてみれば。

 メイドはまた私を鼻で笑って「わかりましたよ~」と去っていく。


 そして、体感十分くらいだろうか。


「奥様~、お待たせしました~」


 戻ってきたメイドは、たしかに金ダライに水を汲んできた。

 泥や油の浮いた、汚水だったが。


「……これで、私に顔を洗えと?」

「はい~。奥様にぴったりでしょ~?」


 そんな三流役者に付き合うほど、私のギャラは安くないのだ。

 だから『弱虫』な演技をやめて、素でメイドをなじることにする。


「笑い方が安っぽいのよ、この三流」

「きゃあっ」


 私は金ダライをひっくり返して、生意気なメイドにかけてやる。

 すると、尻餅をついてずぶぬれた彼女が芋虫のように後ずさりした。


「なっ、なっ……弱虫夫人のくせに、生意気なっ!」

「だから台詞が三流すぎるってば。本気で人をいじめたいなら……」


 ちょうどいいと、私が目を付けたのはロウソクの付いていない錆びた燭台だった。彼女のしわくちゃのスカートを踏みつけながら、私は燭台の先をメイドの眼前へと突きつける。


「ちゃんとした水を持ってきなさい――でないと、わかるわね?」


 にやりと口角を上げれば、メイドが声にならない悲鳴をあげて「ただいまあああ」と逃げていく。


「まったく、逃げ方までも三流ね」


 私は燭台を元に戻して、再び鏡を見た。

 桃色髪の若い貴婦人が、とても悪い顔で笑っている。


 どうやらこの世界でも、私に『悪役』をやらせたら一流らしい。

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