ある猫の未遂より
桑鶴七緒
1.
ここ何日にも彼女から餌をもらっていない。
いくら傍に寄っても首をかしげて愛想を見せても、身体をさすっても一向に無視をされたり、鳴き声を上げても逆に睨みつけられるのだ。
彼女の居ない隙を見て外に出かけて、近所の家の人に餌をもらおうと鳴いてみると餌の皿を投げ捨てられて、そこには味噌汁の残り物で作ったであろうごちゃまぜした黄色くふやけた白飯がぶっかけられる。仕方なく舐めるように食べていくが、味は煮干しの腐った味覚だ。
しばらく近くを散策して家に帰ってくると、彼女は自分の父親と口論をしている。彼だって八十歳の高齢だというのに、施設に入りなさい断固して入らないの激論の繰り返しだ。
やれやれと思い私の専用のクッションに座ると、しばらく目を瞑って眠っていた。しばらく経つと夕飯の時間になっていたが、台所に彼女の姿がなかったので起き上がり寝室へと行ってみるとベッドの上で横たわって眠っている。そこへ私が飛び乗って起こそうと何度が鳴き声を上げていくとようやく目を覚まして台所へ向かい支度を始めていった。その背中をじっと眺めている。
彼女もスーパーの品出しの仕事をしながら父親の年金と併せて生計を立てていっている。苦労は絶えないが私はどこかで彼女を少しでも楽にしてもらいたいと考えることがよくあるのだ。
やがて夕飯が出来上がり父親をテーブル席に座らせて食事を摂らせていくが、彼が上手く箸やスプーンが使えないのか苛立っていいるのが見えた。彼女もその事に気がついて補助しようと口元におかずを運んでいくが、彼が嫌がってスプーンを投げ飛ばしそれに対して彼女も逆上して怒り出しだ。
床に落ちたおかずや白飯のカスを拾って食べようとすると、ますます彼女は私に対しても腹立たしく暴言を吐いては追い払っていくのだ。今日もこれで一日が終わってしまう。昼間食べた餌でまた耐え凌ぐしかないのかと思うと、私はこれまでの怒りを彼女にぶつけたくなってきたのだ。
ただし私はこの身分。
この小さな身体で彼女たちに立ち向かえないのがやるせなさを感じる。慌ただしく夕飯の戦いは終わり、父親を寝室に寝かしつけて浴室から上がった彼女の元に座り、もう少し餌が欲しいと甘えた声を出してみた。
「あんたさ、どの立場を持ってそういう風に私達になすりついているわけ?」
私はその意味がよくわかる。私だって人間だったらもう少し言葉をたくさん使って彼女を説得させることだってできるのだ。
しかし私はこの身分。
これ以上逆らうときっと家から追い出すつもりでいるだろう。深夜の時間が近づいてきて彼女が自分の寝室へ行こうとした時、クッションに座っている私を見てきてこう言った。
「余計なことをするんじゃない。これ以上からかってきたら八つ裂きにするよ」
彼女は鼻で笑っていた。私は純粋にいつも頑張る彼女を応援したいし父親の事も大変だけれど長い目で見てあげていって欲しいと切に願うのだ。ただ私もこれ以上彼女の言いなりになんかなりたくもない。
寝室のドアが閉まると、私は台所へ行き扉を開いて鍋の横にかかっている包丁を眺めていた。
この一ヶ月の間に父親が倒れて入退院を繰り返し、ようやく家で介護生活が始まったのだが、あの人は別人の様に変わってしまった。どこの誰だかわからないくらい変わり果ててしまった。ねえ、優しかった彼女はどこへ行ったの。誰にも言えない私達だけの密閉された空間がひたすら漂っている。もうこれ以上我慢したくない。
今夜、私はあの彼女を殺そうと思う。
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