怪談、奇談、夢のはなし

馬村 ありん

第01話 古びた橋

 あの古い橋を渡ったのは、なにか深い考えがあってのことではない。ほんの気まぐれだった。


 高校生の時だった。ある休日の午後、僕は飼い犬「チョコ」の散歩がてら川まで出かけることにした。


 日差しは強く、玄関を出てすぐ額に汗が噴き出るほどだった。


 散歩コースの国道は、モダンな家々や商店が立ち並んでいて、日よけになるものがない。横を通る自動車が土煙をもうもうとばらまいていくのを想像するだけでうんざりした気分になった。


 普段とは別の旧道を進んだ。木陰があり、涼しかった。ただし、道はせまく、曲がりくねっていて、自動車が通るたびに犬を抱き上げなければいけなかった。


 坂を下り川の土手まで行けば、さわやかな川風に気持ちは穏やかになる。チョコもいきいきとして好奇心いっぱいに土手の草むらにその長い鼻先を突っ込んでいた。


 僕とチョコは土手沿いに歩いた。けっこう上流のほうまで来てしまった。ここまでくると、整備は行き届いておらず、中州の灌木かんぼくはみだりに育ち、舗道ほどうに敷かれたアスファルトも老朽化していた。

 

 土手道を通り抜けた先は三叉路さんさろで、右手には高台への上り坂が、左手には古びた橋があった。この場所に差し掛かった時、何かを感じたかというと、そんなことはなかった。霊感に欠ける人間なので、妖しいものへの感度は著しく低いのだ。


 僕は向こう岸にわたって、元来た道までひとまわりして帰ることにした。


 橋は川幅のせまい場所に作られていて、長さはなく、幅も車両一台が通りぬけられる程度。入り口の欄干らんかんにあった、遊ぶ子どもの小像は風雪によって摩耗し、刃物で顔を削られたように見えた。橋を中途までわたると、チョコが急にほえ出した。


 ワン、ワン!


 初夏の青空に、犬のほえ声が響き渡った。リードを引いてもチョコは短い四肢を踏ん張らせ、橋の中ほどから先に進むことを拒否している。


 ――一体、どうしたんだよ?

 

 尋常な様子ではなかった。チョコは小柄な黒いダックスフントで、大人しい性格だったものだから、色をなしてほえる様子に僕は戸惑った。


 チョコがある一点をにらみつけているのに気がついた。特になにがあるわけでもない。橋の欄干と、その向こうに広がる緑豊かな山並みが見えるだけだ。


 ――チョコ、行くぞ。


 犬を抱っこして、僕は橋を渡った。橋から離れると落ち着きを取り戻したのか、チョコはにわかにグルルと威嚇いかくの声を出したあとは、いつもの調子を取り戻した。


 一体この大人しい犬になにがあったのか。チョコをして怒らせるものが何の変哲もない、あの橋にあったというのか? 僕は振り返り橋をながめたが、ただ牧歌的ともいえる風景が広がるばかり。その時は気にせず立ち去った。


 その橋が事故現場であったことを聞いたのは、それから後のことだ。


 教えてくれたクラスメイトによると、坂道を下ってきたバイクが途中で横転し、ドライバーは坂を転がり、橋のほうまで投げ出された。坂はかなり急だった。救急車が駆けつけたとき、ドライバーは橋のなかほどで息絶えていたという。


 事故は事実だし、チョコが吠えたのも事実だ。両者を結びつけるのは難しいことではない。動物は人間にはない鋭い感覚を持っている。もしかすると、チョコには見えていたのかもしれない。無念のうちに命を落としたドライバーが橋の欄干の前にいたのを。


 もしその通りだとしたら、ドライバーは何を求めてそこにいたのだろうか? 生者である僕をうらやまし気に見ていたのか。それとも、なにか邪悪な目的で近づこうとしていたのか?


 どちらにしろ、僕はその橋には二度と近づくことはないと思う。



 ……1話、終わり

 

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