第6話 それぞれの朝
「あー、本っ当につっかれた」
今日も疲れた表情で貴賓室に戻ってくるなり、セツは天蓋付のベッドに倒れ込んだ。その傍では黒い作務衣姿のジクが背中を丸めて立ち竦んでいる。
「ごめんなさい。僕のせいで」
泣き出しそうな声に、枕に突っ伏した顔が微かに向きを変えて力なく微笑んだ。
「気にするな。むしろシキのやつゴキゲンだったぞ、私を好き勝手できる口実ができたから。ただ」
白い手袋をはめた手が、胸の玩具を勝手に外した折檻と称して散々いたぶられた臀部をなでる。
「このまま相手をするのは、ちょっと無理そうだな。シャワーを浴びてちょっと休んでからでもいいか?」
子供をあやすような疲れた声に、赤髪の頭がうな垂れたまま首を振る。
「今日はゆっくり休んでて」
「ふふ、お前は優しいな。よっと」
華奢な身体がベッドから起き上がり、白い手袋が頭をなでた。
目の前に浮かぶ優しい微笑みを自分だけに向けてもらう方法。セツはそれをすぐに冗談だとはぐらかした。しかし、どこか淋しげな笑顔はまったくの嘘を言っているようにも見えなかった。
それなら、今ここで体中に牙を突き立てて食いちぎって。
「そんな顔をしなくても、シキ関係の仕事は明日くらいで片がつくから」
気がつけば、薄灰色の目に顔を覗き込まれていた。
「片がつく?」
「ああ。さっきも言ったが、アイツ今日はかなりゴキゲンだったからな。長期休暇になっている社員達を処分したと口を滑らせてくれたよ。亡骸はまだ見つけられていないが一応録音もできたし……、あとは本部に報告して本人からあらためて話を聞かせてもらえばこの件は終わりだな」
「そう……」
「ちなみに、ジクの身柄はしばらく私預かりにしてもらうよ。まだ色々と聞きたいこともあるし」
「……そう」
「そうそう。ということで、これからはもっとゆっくり構ってやれるぞ。さて」
「ん」
頬に手が添えられ、薄い唇に軽く口づけられた。薬と果実と血が混ざり合った香りが微かに鼻腔をくすぐる。体中の血がほんの少しだけざわついた。
「ふふ、やっぱり風呂から出たら相手をしようか?」
「だから、いらないって」
「そうか。なら、今日も添い寝をしてやるから先に横になっていなさい」
セツは身を翻して浴室に向かっていく。
「……そんなこと言って、いつも自分が先に寝ちゃうじゃないか」
ジクは軽くため息を漏らしながらも、言いつけ通りベッドに身体を横たえた。
夜が明けジクが目を覚ますと、ベッドからセツの姿が消えていた。眠い目をこすりながら辺りを見渡すと、部屋の中央にあるテーブルの上に置かれた一枚の紙に気がついた。
「ちょっと出かけてくる。日が沈むまで何があっても絶対にドアを開けるなよ( ´_ゝ`)ノ」
またしても、やけに達筆な文字とふざけた顔文字が白い紙の上で踊っている。きっと昨晩言っていた本部への報告に出かけたのだろう。それは分かるのだが、言い様のない脱力感が全身を襲った。
「仮にも護衛役を置いて出かけないでよ……」
今から追いかけたほうがいいのだろうか。それでも、言いつけは守りたい。
トントン
「おーい、ジク起きてるか? 忘れ物をしたからドアを開けて欲しいんだが」
まるで中を覗いていたかのようなタイミングで、気の抜けた声が聞こえてきた。
「分かった。ちょっと待ってて」
ため息を吐きながら玄関に向かい扉を開く。
「お待たせ……え?」
しかし、目に入ったのは銀色の髪でも、薄灰色の目でもなかった。
「ああ、ジク。こんな所にいたのね、ずっと探してたのよ」
自分と同じ赤銅色の髪と金泥色の目をした女性が、黒いベールつきの帽子とドレスを纏って立っている。
「な、んで」
息が詰まる。
鼓動が速まる。
逃げ出したいのに身体が少しも動かない。
「か、あ……」
「この、嘘つきの人殺し!」
「っ!?」
黒いベールの下で金泥色の目が見開かれ、裂けた口から鋭い牙がこぼれる。
それは紛れもなく、十年前にバラバラにしたはずの母親の顔だった。
※※※
「こんな早い時間からシキ班長に声をかけていただけるなんて、喜ばしいかぎりです」
午前の陽射しが差し込む班長室で、セツは媚びた笑顔で白々しい台詞を吐いた。いつもならすぐに頬杖をついたシキの顔に下卑た笑みが浮かぶ。しかし、今日は眉間にシワをよせたままだ。
「今日はご奉仕をいたしますか? それとも、昨日の躾の続きを……」
「少し黙れ」
表情に違わない険しい声が、いつも通りを続けようとした声を遮った。
「昨晩、本部に忍ばせている部下から報告があった。貴様、
「……さて、なんのことでしょうか?」
とぼけてはみたものの、射抜くような目つきは変わらない。
「ふん、あくまでもしらを切るか。なら」
どうせ、身体に聞かせてもらう、などと使い古された台詞を吐くんだろう。薄灰色の目が脱力気味に虚空に向けられる。
その瞬間、視界の上端でなにかが蠢いていることに気がついた。
上を向くと天井に赤黒い粘液がへばりついている。
ああ、まずい。
そう思ったときにはすでに、天井から滴り落ちたスライムに視界を塞がれていた。
「くっ……」
引き剥がそうとする手に絡みついた粘液が器用に蠢き、手首をひとまとめに拘束する。その間にもスライムは天井から降り注ぎ続け、身体にまとわりつき自由を奪っていく。
「ははは、いいザマだな」
暗闇のなか水音に紛れて楽しげな声が響いた。
「俺を誑かそうとした報いは受けてもらわないとなぁ」
「それは、誤解で……」
「黙れ!」
「あぐっ!?」
粘液に絡みつかれた右脚が凄まじい熱と快感に襲われ、セツはその場に崩れ落ちた。
「この……ぅぐっ!?」
体制を立て直そうと力をこめた脚に激痛が走る。
今までの躾でスライムを使われたことは何度もあるが、ここまでの痛みを感じたことはない。今回は明らかに何かがおかしい。
「ほう? その様子だと気付いたようだな。それは尋問用ではなく処分用だ。気色は悪いが、エサさえ与えれば割と従順でね」
「……処分した社員たちの亡骸も、こいつに食わせたのか。ウワサ通り下衆極まりないな」
「はははは! ようやく本性を現したか! こちらのほうが躾がいがありそうで気に入った!」
「ははっ、微塵も嬉しくない言葉をどうも……うぐっ!?」
今度は左脚に絡みついた粘液から凄まじい熱が放たれる。痛みと快感に震えていると、足音がゆっくりと近づいてきた。
「おや、腰が跳ねているぞ? どうやら、あの淫乱さは演技ではなかったようだな」
「うるさ……がっ!?」
脇腹が蹴り上げられ、粘液にまみれた身体が仰向けに転がされた。
「そう喚くな、雌犬。今まで楽しませてもらったせめてもの褒美だ。まずはそのどうしようもなく盛った身体を喜ばせてやるよ」
「っ」
塞がれた視界のなか、媚薬を含んだ粘液と革靴に身体中を嬲られていく。
「ぅ、ぁ……」
「さて、こんなものか」
ひとしきり痴態を晒すと、足は体から離れていった。
「この物欲しそうな身体を埋めてやってもいいが、その前に……」
「……ぅぇ」
胸の辺りがズシリと重くなり、顔に這い上がったスライムに口を開かされる。
この期に及んで口でさせる気かと、ため息が漏れた。しかし、舌に触れたのは予想よりもずっと硬く冷たいものだった。
「ん……?」
「巷には歯に仕込む録音機もあるそうだな」
「え……あがっ!?」
突然、奥歯の根本に鋭い痛みが走った。
「あの新本部長なら使いかねないからな。ここは
暗闇のなか、心の底から楽しげなシキの声が響く。
「んくっ……」
セツは喉の奥に流れ込む血を飲み込みながら、この様子だとジクも面倒な目にあっているのだろうと、他人事のようにぼんやりと考えていた。
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