第2話 細い月が見える部屋での折檻
高層ビルが建ち並ぶ街の片隅に紛れる古めかしい木造建築、あやかし退治人結社「
「今夜もご苦労だったな」
窓の前には白い服を着たプライドの高そうな男が、満足げな笑みを浮かべて立っている。
「あやかしなんぞは一匹のこらず塵に帰すべきなんだ。だいたい、あの汚らわしいやつらは……」
男は陶酔した表情で、あやかしに対する憎悪を語り出す。ジクはそれを聞き流しながら、ときおり隣に立つセツに金泥色の目を向けた。
処理を手伝ってもらったおかげで、身体の昂ぶりは落ち着いた。しかし、愛想笑いを浮かべた顔が視界に入るたびに身体を貪り尽くしたいという衝動と、優しく頭をなでてほしいという願望が同時に生まれてくる。
そんな胸の内を知ってか知らずか、薄灰色の目は窓辺に立つ男から視線を動かさない。
少しはこっちを見てくれてもいいのに。心の中で呟くと、不意に雑言を吐きつづける口元から満足げな笑みが消えた。
「おい、ジク。なにをボサッとしているんだ?」
まずい。そう思ったときにはすでに、目の前に短鞭の先が突きつけられていた。
「家畜の分際で人の労いを無視するなど、随分と偉くなったものだな」
「……すみません、シキ班長。考え事をしていたので」
謝罪の言葉に、シキと呼ばれた男の表情が更に険しくなる。
「考え事ぉ? 気色悪いバケモノの混ざり物のお前に、物を考える知性などあるわけないだろう?」
「……」
煽るような言葉にジクは鋭い牙を食いしばった。
「なんだその目は? 逆らうなら班員たちを集めて血祭り、いや、いっそのこと塵に返してやってもいいんだぞ」
「……口答えしてしまい、すみませんでした。どうか出来の悪い僕を躾けなおしてください」
「そうだ。それでいい」
プライドの高そうな顔に満足げな笑みが戻った。
「素直に謝れた褒美だ」
歪んだ笑顔が、鞭を持つ手をゆっくりと振り上げる。
「望み通り、躾けなおしてやるとしよう!」
「……っ!」
衝撃と痛みに備え、金泥色の目がきつく閉じられた。
「シキ班長」
しかし、どこか楽しげな声が鞭が振り下ろされるのを遮った。
「え……?」
戸惑うジクの横で、セツが愛想のいい微笑みを浮かべながら首をかしげる。
「少し質問したいことがあるのですが、よろしいですか?」
「……なんだ?」
「まあまあ、そんなに怒らないでくださいよ」
あからさまに不機嫌になった表情を前にしても、愛想笑いは崩れない。
「いいから、早く質問とやらを言え」
「では失礼して。えーとですね、上長の高説を聞き流すのはよろしくないことですが、鞭打ちというのはいささか罰が重すぎるのでは?」
「うるさい。ここでは俺の言うことが絶対だ。いくら本部からの出向とはいえ、今は貴様も俺の部下だ。口答えは許さんぞ」
「いえ、口答えだなんて滅相もございません。私はただ本部の上官から受けた、『第一支部危険集団制圧班の人間関係を円転滑脱にすべし』という命を果たしたいだけですよ」
「なら、なおのこと黙っていろ。そいつのような出来の悪いバケモノを躾けることこそが、その命を果たすための最善策なのだから」
「しかしながら、組織図上は私もジクの上司になったわけですからね。部下の教育という大仕事をシキ班長一人に押しつけてしまうのは忍びないと言いますか、なんと言いますか」
「そんなことを貴様が気に病む必要は……」
シキは言葉を止めると、舐めるような視線を華奢な身体へ向けた。
「……いや、貴様の言うとおり部下の失態は上司の責任でもあるな。ならばセツ、貴様がコイツのかわりに罰を受けろ」
「なっ!? 待ってくださいシキ班長!」
下卑た言葉に、金泥色の目が見開かれた。
「罰なら僕が……」
「ジク。待て、だ」
「っ!?」
落ち着いた声とともに、辺りに甘い香りが漂う。その途端に、ジクは声を出すことも身体を動かすこともできなくなった。
「よし。上司の言うことをちゃんと聞けていい子だな」
白い手袋をはめた手が赤銅色の髪を優しくなで、薄く微笑む唇が「大丈夫だから」と微かな声をこぼした。
「お待たせいたしました。どうぞ、私を罰してください」
「いい返事だ。ならばまずそこに跪け」
「仰せのままに」
華奢な身体が所々に赤黒いシミが残る硬い床に膝をつく。欲情に血走った目がその姿を楽しげに見下ろた。
「まずはそうだな……、この鞭を舐めろ」
黒い短鞭の先が白い顔に突きつけられる。
「かしこまりました」
「その貧相な身体を存分に可愛がってやるのだから、丁寧にな」
「はい」
軽く開かれた唇から伸びた赤い舌が、鞭を下から支えるようにしながらゆっくりと前後に動きだした。舌はそのまま絡みついていき、ときに先端をはじくように刺激する。
「ずいぶんと慣れているじゃないか! そのあさましくうねる舌は本部で生きるために、さぞかし役に立っているんだろうなぁ!」
下卑た笑みを浮かべる顔を食いちぎってやりたい。ジクがそう思うたび、薄灰色の目がチラリと視線を送り、銀髪の頭が微かに左右に振れる。
金泥色の目は繰り広げられる痴態を見つめ続けることしかできなかった。
※※※
「ふん、なかなか楽しかったぞ」
「それは何よりです」
「今後も誠心誠意、本部からの命を果たすことだな」
「はい。仰せのままに」
一通り好き勝手をしたシキは、上機嫌で部屋を出ていった。
廊下からの足音が聞こえなくなると、セツが大きなため息を吐いてから床に散らばった服をかき集める。
「まったく。本部でもウワサは聞いていたが、アイツは本当にろくでもないな。なあ、ジク?」
「……」
呼びかけられても、ジクは重苦しい表情でうつむいたままだった。
「ジク? おい、大丈夫か?」
「……ごめんなさい。僕のせいで」
ようやく声を絞り出すと、薄灰色の目が穏やかに細められた。
「気にするな、こういうのは慣れているから。それよりも、痺れ香が効きすぎたわけじゃなくてよかったよ」
「痺れ、香……?」
「そうだ。今シキに危害を加えられると、ちょっとだけまずくてね。まあ、ともかくだ。これからは、上司の話はちゃんと聞いているフリをしような」
「わかった……」
「よし、いい子だ」
白い手袋をはめた手が、赤銅色の髪を優しくなでる。
「それじゃあ、今日はもう帰って休むとしよう。ジク、お前の部屋まで案内してくれ」
「わか……っえ?」
突然の言葉に、金泥色の目が見開かれた。
「えっと、僕の部屋?」
「そうだ。本部の上官からお前の生活の調査および報告も命じられているからな」
「そんな話、聞いてないし」
「あ、そういえば……これはシキ経由でも言ってなかったかも……、いやあ悪い悪い」
「悪いと思うなら、他の所にしてよ。誰かを泊められるような部屋じゃないから、狭いし何もないし」
「でも、荷物はもうそっちに届いているはずだし、こんな時間から宿を探すの面倒だから泊めてくれ」
「そう言われても……」
「なら仕方ない。シキの部屋にでも押しかけて、さっきの腹いせに睡眠時間やらなんやらをことごとく奪ってやろうかな」
「……分かった。でも、本当に狭くて何もないからね」
「大丈夫、大丈夫。ヤキモチ焼きの部下がいれば、他に何もなくてもそれなりに楽しめるから」
「そういうのいいから。早く行くよ」
「はいはい」
大げさに足音を立てながら部屋を出るジクの後を、セツがヘラヘラと笑いながら軽やかな足取りで追いかけていく。
いつのまにか、窓に浮かぶ月は見えなくなっていた。
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