半妖の退治人と呪われた上司

鯨井イルカ

第一章 半妖の退治人

第1話 或る夜の情景

 鋭い三日月が浮かぶ夜の路地裏。

 一人の青年が上機嫌な表情で歩いている。


 乾いた血痕のような赤銅色の髪。

 どこか虚ろな金泥の目。

 夜に溶け込むような漆黒の長い外套。

 裾から覗く純白のズボンと長い刀。

 全身にまとわりつく甘くどこか焦げ臭い香り。


「ふ~ん、ふふふ~んふふ~、ふふふふんふんふふ~♪」


 調子の外れた鼻歌まじりに純白の革靴の踵を鳴らして、青年は路地を進みつづける。


 進む先には人を脅かす人ならざるもの「あやかし」たちの集会場がある。今夜はその集会の開催日だ。


「ふふ~ん……っと」


 鼻歌が終わるころ、青年は目的の場所に到着した。会場に繋がる扉の傍には黒尽くめの服を着た鯵のような顔の男、見張りのあやかしが腕を組んで立っていた。

 

「お前、新入りか? お前、紹介状あるか?」


 見張りは目玉をギョロギョロと動かしながら問いかける。しかし、青年は気にせずに扉に手を掛けた。


「おい! お前、答えろ!」


 怒鳴り声が上がっても返事はない。それどころか扉は完全に開け放たれ、黒い外套をまとった背中は長い廊下の奥へ消えていく。


「おい! お前! おい! お前!」


 それでも見張りは青年を取り押さえることすらせず叫びつづけた。


 塵に帰っていく体の隣に転がる頭だけで。




※※※



「みなさん! あやかしと人とのいがみ合いを止めるにはが必要なのです!」


 煌びやかなシャンデリアが揺れる舞台の上で、体中に棘の生えた緑色の男が熱弁を振るっている。


さえあればあやかしと人は真に融和し、真に安寧なる世界へと至ることができるのです!」


 高らかな声がそう叫ぶと大きな歓声が上がった。部屋の中にひしめいているのは異形のモノ達。人に似た姿も見受けられるが、ごくごく僅かだ。


「さあ、みなさん! 人とあやかしの間にを育むため、この夜に繰り出し……」



  パチパチパチパチ



 不意に大きな拍手が演説を遮った。一同が顔を向けると、黒い外套を纏った赤銅色の髪の青年が舞台袖からゆっくりと現れた。


「とっても素晴らしいお話だね」


 どこかあどけない声とともに、笑みを浮かべた顔が首を傾げる。


「それならさ、人とあやかしの間に生まれた子供は、その真に安寧鳴る世界にとって大切なものになるのかな?」


「もちろんです! あやかしと人の間に生まれた命は絆の証として真に尊ばれるべきです!」

 

「本当? でも、僕は誰からも優しくしてもらえなかったよ?」


 金泥の眼が細められ、つり上がった口の端から微かに牙が覗く。


「その姿……、君もあやかしと人のの結晶なのですね」

 

 気色悪い。

 そう思いながらも、演説者は愛想のいい笑顔で手を広げた。


「それなら私たちが君を迎え入れましょう!」


 言葉とは裏腹に棘だらけの手が舞台袖に「そいつを摘まみ出せ。生死は問わない」と合図を送る。すると即座にあやかし達が現れ、侵入者を八つ裂きにして運び出す。


「……ん?」


 ……はずだった。

 しかし、人影どころか足音すら近づいてこない。


 戸惑う演説者を眺めながら、青年は笑みを深めた。


「ああ、裏にいたやつらなら全員片付けたよ。仕事とはいえ一方的に斬らせてもらっちゃったから、ちょっとだけ可哀想だったかも」


 黒い外套が脱ぎ捨てられ、純白のスーツと腰に差された刀が露わになる。


「まあ、でも、どうでもいいか。僕ウソツキは嫌いだし」


「私は、嘘、など」


 緑色で棘だらけの顔が反論を口にする。


 舞台の床に転がりながら。


「やめてほしいんだよね、絆だとか愛だとかなんて嘘で頭お花畑のやつらを煽るのは。胸くそ悪いから」


 ぼやく声と共に、よく研がれた刀が塵に帰っていく頭を貫いた。


「退治人だ!」


青雲あおくものヤツらだ!」


「人とあやかしの絆を乱す悪魔!」


「破滅をもたらすもの!」


 集っていたあやかし達がにわかにどよめきたつ。冷めた表情がため息を吐きながら客席を見渡した。


「騙されてたとはいえ夜に紛れて街で凌辱の限りを尽くそうとしてたやつらに、悪魔だのなんだの言われるのはけっこうムカつくなぁ……」


 塵の塊から引き抜かれた刀の切っ先が客席に向けられる。


「……っアイツを倒せ! あやかしと人のために!」


 叫び声を皮切りにあやかし達が一斉に舞台へ押しよせる。青年は刀を構えなおし、異形のものたちに殺気のこもった笑み向けた。


 まさにそのとき。


「合図をしたら5秒、目を閉じ耳を塞いで息を止めろ」


 頭の中に聞いたことのない声が響いた。


「……え?」


「ほうけてないで言うことを聞け、死にたくないならな。ほら、さんはい!」


「っ!?」


 勢いに流され、言われるままに目を閉じ耳を塞いで目を閉じる。


「5、4、3、2、1……よし、もういいぞ」


 声に促されて目を開くと、客席には塵に帰っていく身体がいくつも倒れていた。


「……は?」


 わけの分からないなか、舞台に向かってカツリカツリと足音が近づいてくる。


「まったく。可能なら首謀者は生きたまま捕らえろという命令だったのに、班長の話をちゃんと聞いていなかったのか?」


 呆れた声と共に暗闇から一人の男性が現れた。


 艶のある銀色の髪。

 白に近い灰色の瞳。

 血の気の感じられない顔色。

 白尽くめの服と薬品の匂いを纏った華奢な身体。

 純白の手袋と純白のブーツ。


「ふむ。この薬が効くってことは、集まってたのは大した連中じゃなかったのか。可哀想に」


 青年はしばらくの間見惚れていたが、愁いを帯びた表情で小ビンの蓋を閉める姿を見て我に返った。

 

「あんた誰?」 


「ジク、お前本当に班長の話聞いていなかったんだな?」


 脱力気味の声に金泥色の目が見開かれる。


「え!? なんで俺の名前知ってるの!?」


「質問に質問を返すな……とお決まりのセリフを言いたいところだが、先にしたのはこっちのほうか。よし、答えてやろう。私の名はセツ、お前のいわゆる上司だ。だからもちろん、名前からなにからバッチリ知っている」


「……上司?」


「その通りだ。どうだ? 美人な上司で嬉しいだろう?」


 得意げな表情を浮かべるセツを前に、ジクは脱力しながら刀を鞘に収めた。


「別に、どうでもいいよ」


「へえ? そう言う割りには、さっき鼻の下を伸ばしながらこっちを見てたじゃないか」


「伸ばしてない」


「またまた、意地を張って。そんなことになっているくせに」


 薄い灰色の目が視線を下に落とした先で、丈の長い上着の上からでも分かるくらいに下半身が存在を主張している。


「……これは、仕事のあとで身体が昂ぶってるだけだから」


「ああ、お前も仕事で興奮を覚えるタイプか。なるほどな」


「ほっといてよ」


「ふふ、恥ずかしがらなくても大丈夫だぞ。そういうヤツは昔っから一定数いるから、特殊性癖ってほどでもないし」


「なんのフォローをしてるんだよ……、ともかく鎮静剤を使えばすぐに治まるから」


「鎮静剤って、煙を喫むタイプのあれか?」


「そう、それ。たしかポケットに入れてたはず」


「まあ認可されてるものだしとやかく言えたことではないが、あれも副作用とか色々とあるしなぁ……そうだ、私が手伝ってやろうか?」


「……は?」


 突然の言葉にジクは目を丸くして、上着のポケットを探る手を止めた。


「なに、こんな麗しい見た目で退治人結社なんかに長くいると、色々な仕事・・が回ってくるからな」


 淡い色の薄い唇が弧を描く。

 言葉の通り、目の前に立つ姿は性別など些細なことに思えるほど美しい。


「それに評判だってわりといいんだぞ」


 純白のブーツが一歩距離を詰めた。


「そのまま社に戻るのはつらいだろう?」


 シャンデリアの明かりに照らされながら、妖艶な微笑みが首をかしげる。


「……」


 無言でうなずくと、笑みが深まった。


「ふふ、素直でいい子だな」


「うるさい」


 不満げな声とともに、金泥色の目が笑みから反らされる。

 

「いいから。早く終わらせて」


「まあまあ、そう急くなって」


 薄い唇が軽く頬に触れる。

 薬品と果実それにほんの少しの血が混ざり合った香りが鼻をくすぐるなか、金泥色の目がゆっくりと視線をセツに戻した。


「さあ、愉しもうじゃないか」


 シャンデリアの明かりが映る灰色の目を前に、ジクは全身の血がフツフツと沸き立っていくのを感じた。しかし、それがどんな欲によって引き起こされているのかまでは分からなかった。

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