第17話 満月の花

 皇后が生まれたのは、百年以上も前の話だ。

 農民の生まれではあったがたいそう美しいと評判だった彼女は、煌苑殿に后候補として呼ばれた。

 ところが当時の皇后に騙され、陛下の怒りに触れ、地下にある牢獄に閉じこめられた。医師に注射を打たれると身体が熱くなり、日に日に身体が弱ってきたのだという。

 あるとき、弱った皇后に隙ができたのか、とある医師は一人で牢獄の扉を開けてしまった。

 渾身の力を振り絞り、皇后は医師をなぎ倒し、地下から逃げたのだという。

 百年もの間、皇后は近くの村で拾われ、農民として過ごしていた。だが特異体質は満月の夜に訪れた。獣になる醜い姿に、煌苑殿への憎しみを募らせるばかりだった。

「すると、百年以上も生き続けているということか……」

 医師はため息混じりに呟いた。皆が同じ気持ちだ。彼女は犠牲者でしかない。煌苑殿の地下で眠っていた古びた本の内容と照らし合わせても、彼女の話が嘘だとは思えない。

「すまなかったな。つらい思いをさせた」

 ベッドに横たわる皇后の手を禧桜は握る。皇后は単に驚いている様子だった。

「織よ、儂にくれた薬を皇后にもやれるか?」

「もちろんでございます」

「薬……?」

 皇后は訝しみながら聞き返した。

「儂も飲んでおる。満月の夜に事前に飲み、暴れないようにする睡眠薬だ。そなた自身の身体も守るために、飲んでほしい」

 一命は取り留めたものの、皇后の身体はぼろぼろだ。山で暴れ回ったせいで、身体中に多くの傷ができている。

 皇后は素直に頷いた。


 瑛と共に部屋へ戻ると、織は二人分のお茶を淹れた。

「お前の茶は落ち着く。料理人の淹れたものも美味いのだが……これはほっとする味だ」

「それは嬉しく思います」

「織、すべてに片がついたら、家族になってくれないか?」

 唐突に言われ、織は湯飲み茶碗を落としそうになった。今回だけではない。幾度となく申し込まれたが、今日はおかしなタイミングだ。

「今回の件で、俺の弱さを知った。あの場面で戸惑う者たちに声をかけなければならなかった。なのに俺は陛下やお前たちの話に耳を傾けるだけで、何もできなかった。ここへ帰ってきてお前の淹れた茶を飲んだら、不思議と緊張が解れたんだ」

「瑛……家族とはいろいろな形があります」

「そうだ。兄弟や夫婦、親戚も家族だ。俺はお前と繋がりがほしい。幼少期にお前と出会い、俺が望んだものは国の平和とお前だけだ」

 瑛に手を包まれた。目は真剣そのもので、冗談を言っている顔つきではなかった。

 熱が上昇し、温泉に入ったときのような熱さと高揚感を感じる。

「か、考えておきます……」

「そうしてくれると嬉しい」

 瑛はほっとして肩の緊張が抜けた。

 それでも手は離さなかった。

「あの……手を……」

「繋いでおかないと、織はすぐに逃げてしまうからな。今まで何度もかわされてきた」

「そんなことは……」

 ない、とは言い切れなかった。

 子供の頃に結婚を申し込まれ、男だという理由で断るしかなかった。思えばのらりくらりとした態度ばかり見せていて、心から真剣に彼と向かい合ってこなかった気がする。

「織」

 瑛にもう一度、名前を呼ばれた。彼の目は宝石のように輝いていただろうか。

「あなたは……美しいですね」

 心の声が漏れてしまった。瑛は首を傾げるが、仕草は子供の頃と何ら変わらない。この国で昔話をできる、唯一の人。

「まずは、治癒の薬を調合することが先決です」

「ああ、そうだな。返事はその後にでも聞こう」

「何年待つつもりなのですか。もしかしたら、私たちがおじいさんになっているかもしれませんよ。もちろん、早くに陛下と皇后のお身体を治したいと考えますが、正確性を求められる仕事ですので焦ることはできないのです」

「……何年でも待つさ。家族になってくれるなら」




 数か月もの時間を費やし、やれるだけのことはした。

 異国から病気をまとめた本を集めたり、人体実験を記した古書を読破したが、体質を治す改善薬は見つからなかった。

 これだけ探しても見つからないのだから、正攻法ではうまくいかないと感じていた。

 陛下と皇后の特徴といえば、満月の夜に獣になるということだ。織は植物図鑑を徹底的に調べた。すると、満月の夜にしか咲かない花があると書いてあった。

「満月の花……?」

 医師はいまいち信用しきれない顔だった。煌苑殿に滞在する医師はほぼ皆が知らないという。

「大昔ですが、父から聞いたことがありましたな」

 年長の医師は蓄えた白い髭を撫でつけ、昔の話を切り出した。

「満月の日、光が一番当たる場所に咲くと言われていて、万病にも効くとか」

「本当でございますか?」

「ただ父も見たことがない。噂で聞いた程度だと話していた」

「探してみる価値はありますね。噂であっても、実際に耳にしと方がいる。それに図鑑にも載っています。文章のみですが、発見された方がいらっしゃるからこそ掲載できたのでしょう」

「しかし、満月の光が当たるところとなると、おそらく山頂かと思われます。誰が向かうのですか?」

「私が行きます。山での生活には一番慣れていますから」

「若い方が行くのが一番いいです。我々は陛下へ報告し、すぐに満月の花について調べましょう」


 異国との情報を交換しあったが、残念ながら有力な手がかりは得られなかった。

 満月の日はあと数週間だ。できれば今月にも取りにいきたかった。

「夢物語なのでしょうか……」

「そう焦るな。お前が参ってしまうぞ」

 隣に座るたくましい肩に頭を預けてみた。瑛は織が休めやすいように、ソファーの背もたれに身体を沈める。

「万病にも効く花であるなら、お前のような薬師や医師はさぞ探し回ったのだろうな」

「それでも見つからないとなると、やはり空想の花の可能性も……」

「珍しく弱気だな」

 瑛は笑い、茶をすすめてきた。

「織の家族に連絡はとれないだろうか。山で過ごしている織の家族なら、何か判るかもしれん」

「……考えがつきませんでした。すぐに連絡を取ってみます」

 どうして思いつかなかったのだろうと悔やむ。外ばかりに目を向けてしまい、肝心な内側を蔑ろにしてしまった。

 待っていましたとばかりに、梟は木箱から顔を出す。出てくると、瑛の肩に止まった。

「すぐに手紙を書きます」

 こちらはうまくやっていると簡潔に書き、満月の花について記した。優秀な薬師たちがいる村だ。誰か一人くらいは知っていてほしいと願わずにはいられない。

 手紙を書きながら瑛の様子を眺めるが、随分と梟と馴染んでいる。撫で方も恐る恐るではなく、手慣れた様子だった。

「私がいない間、遊んでいました?」

「俺が戻ると梟がこちらを見て木箱から出てくるのだ」

「遊んでいたのですね」

「梟が撫でてほしそうにしていてな」

 自分が遊びたかったとは認めない。笑いをこらえるのが大変だ。山での生き物を怖がらない彼は、根っからの動物が好きなのだろう。

 梟の足に手紙をつけて、織は外へ放った。

 梟は迷うことなく山脈の方角へ飛んでいった。

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