第8話 詐病の正体
翌日、織は再び蒼の元へ訪れた。昨日の今日であるためか、蒼は気まずい顔を崩さない。
「蒼殿下、私と遊びませんか」
「お前と?」
「剣の稽古や学問を学ばないと柏殿が怒るのでしょう? ご安心下さい。本日は許可を取っております故」
少し迷って蒼は渋々頷いたが、口元に感情が表れている。にやけるのを抑えようと必死にあらがっていた。
「蒼殿下はどのような遊びがお好きなのですか?」
「…………、…………」
あー、うー、と繰り返し、蒼はもじもじしている。
織はしゃがみ、辛抱強く待った。
「獣や、虫と戯れたい」
「蒼殿下は生き物がお好きなのですね」
「けど、獣臭いって言われるんだ」
「あら、どなたにですか?」
「皇后。母上にまでこわい顔を向けてきて、嫌だった」
こんな小さな子にまで気を使わせるなど、自由のない国だ。
織は片方の手を握り拳を作り、もう片方は蒼の頭に乗せる。大人になりきろうとしている、まだ小さな頭だ。
「では、虫を見に行きませんか? 山には虫や生き物がたくさんいますよ」
「いいの?」
初めて見る子供らしい笑顔だ。花が咲いたよう、とはまさにこの顔を差す言葉だった。
「柏殿に聞いてみましょう。それに臭いは、しっかりと湯浴みをすれば取れます」
「えー、柏?」
「柏殿が苦手なのですか?」
「僕の方が剣も強いのに、あいつはいつも卑怯な手を使うんだ」
「卑怯?」
「こう、こんな感じでっ……」
「何か卑怯なものですか」
「げ、柏…………」
廊下から現れた柏を見るや、蒼は織の後ろへ隠れる。
「むしろ敵は正々堂々と戦いはしませんぞ。必ず卑怯な手を使ってきます故、私は蒼殿下に強くなって頂きたいがために毎日の鍛錬を怠らずにいるのです」
「剣の稽古なのに足で引っかけたりしてくるだろ」
「正面から戦う私は優しい人間です。敵は背後から剣を突き立ててきますよ。それでも卑怯だとおっしゃるのですか?」
「う…………」
「話は伺いました。山へ行くそうですね」
「っ……俺が言ったわけじゃなく、織が誘ったんだ」
「誰も反対はしておりませんよ。さあ、ご準備をなさって下さい」
女中とともに奥へ消えていく蒼を見送った。
柏の顔を見ると、破顔している。
「柏殿は蒼殿下と仲が良いのですね」
「仲が良い……そう見えますか?」
「見えます。可愛がっておいでのようですし、実際に愛らしい方だと感じました。殿下といえどまだ子供で、遊び足りないのでしょうね」
「お呼びがかかれば父君も母君も皇后の元へ向かわなければならない。わがままが言える立場でもなく、ぐっとこらえる姿を見ていると胸が締めつけられます」
三人で山へ行くと、蒼は子供らしい笑顔になった。
あれはなんだ、これはなんだ、と質問を繰り返し、その都度織は答えていく。
「これは宮殿でも食べられている茸だな」
「お待ち下さい蒼殿下。そちらは毒です」
「毒?」
「裏側に斑点がございます。死に直結するものではありませんが、腹を下します」
「織はなんでも知っているな」
蒼は尊敬の眼差しを向けてくる。
「光栄です。薬と毒は紙一重なのですよ。毒が薬にもなりますし、薬は毒にもなります」
「これも薬になるのか?」
「左様ですね」
「あ、あそこに甲虫がいる! 柏、かがめ」
「最近の蒼殿下は重くなられて厳しいですよ」
「なんだと!」
「はいはい」
「返事は一回だ!」
まるで喜劇のようなやりとりだ。
蒼自身、柏に対しては遠慮ない物言いをしているように見える。女中に対するものとは違い厳しいが、信頼がなければ成り立たない。
「本当に重くなりましたな」
「まだ言うか!」
「蒼殿下、もう少し上ですよ」
織が声をかけると、蒼はめいっぱい手を伸ばす。
蒼は手に収まりきらないほどの甲虫を熱心に見つめている。
「大きい。しかも重い」
「良かったですね」
「これは部屋に持って帰ってもいいだろうか?」
「甲虫は自然のままにいるべきだと思いますよ。犬と違い、人間の世話を必要としていませんから」
「……それもそうだな」
蒼は名残惜しそうだが、木に甲虫を戻した。すると甲虫は蜜のあるところへ行き、食べ始める。
「次は織の家に行きたい」
「私の家にですか? 殿下がいらっしゃっても楽しめるものは何もありませんよ」
「瑛兄様もしょっちゅう行ってるのに、僕はだめなのか?」
「しょっちゅうというほどでは……」
実際には時間があるとよく来ている。それを知っているのか、蒼は譲らなかった。
「ほんの少しだけお邪魔させてもらってもよろしいですか?」
「柏殿まで……わかりました。お茶くらいしかおもてなしはできませんが」
「やった!」
蒼が飛び跳ねている横で、こっそり柏が耳打ちしてきた。
「無理を言って申し訳ございません。蒼殿下はあなたに懐いていらっしゃるようです」
「子供に好かれるのは嬉しいものです。ですが玩具なども何もありませんよ」
「受け入れてくれる、という気持ちが愉しいのでしょう」
二人を迎え入れ、織はいつもの三人分のお茶を出した。山のどこでも穫れる赤い実と茶葉を乾燥させて作った甘みのあるお茶だ。
「宮廷で出されるものよりずっと美味しいよ」
「ありがとうございます。これ以上のない誉れですね」
「ねえ、またここに来てもいい?」
さすがに難しいと思ったのか、蒼は遠慮がちに聞いてきた。
いつでもどうぞと言いたかったが、立場上は頷けなかった。
「いつでも歓迎したいところですが、もしいらっしゃるなら瑛殿下や柏殿と一緒にお越し下さい」
「やった。約束だよ」
「ええ、約束です」
蒼は織の使用する道具に興味を持ち、これはなんだと聞いてきた。
静かになったかと思えば椅子に座ったまま眠っていて、柏と顔を見合わせた。
子供の寝顔はいつだって回りを幸せにしてくれる。
柏はそっと蒼を抱き上げた。手慣れており、幼少期からいかに可愛がってきたのか見て取れる。
「まったく……口は誰に似たのか年々達者になりますよ」
「ふふ……早く大人の仲間入りがしたいのですよ」
「本日はありがとうございました。殿下の愉しげな顔は久しぶりに見ました」
「私もとても愉しかったですよ。何かお菓子を作れればいいのですが、材料が揃っておりません」
「では、瑛殿下にお願いしてみましょう」
「……瑛殿下は、よく私の世話を焼きたがります。ご迷惑ではないでしょうか」
「焼きたくてたまらないのです。瑛殿下の性分ですので、受け入れて下されば喜びますよ」
「わかりました。柏殿のことも少し判った気がします。子供想いで、瑛殿下への忠義心は厚い方です」
「家族であり幼なじみだと瑛殿下から嬉しいお言葉を頂戴します。立場が違いますが、家族と言われると胸の辺りが熱くなります」
蒼や瑛を守る柏は常に回りに気を配っているが、今は剣も握らず年相応の顔をしていた。
「蒼殿下も、もう詐病を訴えることはないでしょう」
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