第7話 蒼殿下
村にいたときは異国からやってきた物売りより甘味を買うことが多かった。
果物の砂糖漬けや、牛乳に砂糖を入れて甘く煮詰めてバナナを浸したもの、緑豆とココナッツミルクのジュースなど、子供だけではなく大人もよく食べていた。
「白蜜に寒天と旬の果物を入れたものだ。店主、氷菓子ももらえるか?」
「かしこまりました」
「氷菓子?」
「冷たくて甘いぞ。山にはないのか?」
「はい。氷なら冬に作りますが……」
銀色の皿に小さくて丸いものが乗っている。匙ですくうと、表面が溶け出している。
口に入れると、冷たさが広がりすぐに溶けてなくなった。
「氷とは違う……美味しい。いくらでも食べられそう」
「それは良かった」
「瑛殿下も召し上がりによくこちらへいらっしゃるのですか?」
「町の様子を見るついでだが、たまにな。このあと、行きたいところはあるか?」
瑛は優しい目で見つめてくる。
「生薬を売っている店に行きたいのです。それと、本を何冊か見たいです」
「本ならば煌苑殿へ資料室がある。俺か柏をつければ自由に行き来できる。だが町の本屋に興味があるなら行ってみようか」
織は匙を置いた。
「煌苑殿内の皆さんの立ち位置がなんとなく理解できました。禧桜陛下の甥である瑛殿下には第一夫人は逆らえない。柏殿も同様に第一夫人へは強気な態度に見えました」
「位でいうなら柏は第一夫人の下にあたる。が、生まれたときから俺を守るよう育てられ、学問も剣の稽古もかなり厳しく鍛えられたからな。兄以上の存在なのは皇后の耳にも入っている。禧桜陛下にも物怖じしない。絶大な信頼感もある」
「瑛殿下は為政者として、普段は城内で仕事を?」
「ああ、そうだな。男士は物心がついたときから剣の稽古をつけられるが、握らなくていいように外交を行っている」
「この町には、犯罪は少ないのですか?」
「全くないとは言えないが、数は年々減っている」
「仕事がなければ犯罪は増えます。活気に満ちていて、温泉の香りが漂っていて……知れば知るほど好きになります」
「馴染んでもらえたら嬉しい。さあ、そろそろ行こうか」
久しぶりの甘味に舌鼓を打ちつつ、鈴たちに煌苑殿での生活を手紙に記そうと思った。
織の仕事は医師との朝礼から始まり、足りない薬を聞いては調合する。また、緊急で薬がほしいと駆け込む医師もいた。
昼餉を取り終わった頃、ちょうど扉が叩かれた。
「織郭、助けて下され」
「いかがなさいました?」
「子供の腹痛に効く薬を調合してほしいのです」
「腹痛? 今朝お渡ししたと思うのですが……」
「それが……効かない、痛いとずっと訴えておるのです 。腹部の辺りをずっと押さえていて……しかし、私の目から診るとどこも悪いようには思えないのです」
「わかりました。私も参りましょう。念のため、柏殿もご一緒でよろしいですか?」
「柏郭もですか?」
「ええ。城内や町を一人で歩くなと、瑛殿下から言われております」
「なるほど。では彼を呼ぼう」
柏はすぐに駆けつけた。いつものように剣を腰に差し、一礼した。
「事情は聞いております。お相手は禧桜陛下の妹君の子です」
「そうだったのですね。医師でも手を焼いているように見えました」
「原因も判らず、薬師から診て何が必要か知りたいと思っていたようですよ」
「診察はできませんが、できる限りのことはしてみましょう」
腹痛といっても何種類もある。食べすぎ、腹下し、風邪からくるものもある。
複数の薬を持って、織は柏の後へ続いた。
「蒼殿下、柏です」
中から扉を開きそうになると、少年の声で「開けちゃダメ!」とも聞こえてきた。
「入りますよ」
「もう入ってる!」
「……なんですか、これは」
女中たちは慌てた様子で立ち上がり、柏に向かって頭を下げた。
部屋には玩具や菓子の食べた跡が散乱している。張りつめた空気が冷え、少年は「えーと、えーと」と繰り返している。
場の雰囲気を変えようと、織がまず躍り出た。
「蒼殿下、初めまして。織と申します」
「織? 誰だ?」
「煌苑殿の薬師をしております」
「織……ああ、第五夫人として招かれたのに、女人だと嘘をついていた奴だろう? よく首を跳ねられなかったな」
「蒼殿下、言葉が過ぎますぞ」
「ひいっ……」
柏が一声上げると、蒼は女中の後ろへ隠れてしまった。
よほど恐れているらしい。
「元々は我々の勘違いから始まったのです。今は大切な友人でもあり、煌苑殿で薬師として働いています」
「わかったよ……織、あらためてよろしくな」
「精いっぱい、努めます」
「それで、薬師がなんの用だ?」
「蒼殿下が腹痛を訴えているとお聞きし、こちらへ参りました」
蒼はう、と声をつまらせ、とたんに柏の顔色を伺い出す。
これでは埒があかないと、
「柏殿、申し訳ないのですが、廊下で待っていて頂けますか?」
「わかりました。何かありましたら、すぐにお呼び下さい」
察しの良い柏は扉の向こう側へと下がった。
「さて、これで話して頂けるかと思います」
「別に……ちょっと痛かっただけで」
「医師の診断によると、ほぼ毎日のように腹痛を訴えていると聞きました」
「今はもう治ったって」
控えている女中を見回すと、皆困惑した顔で俯いている。
織は腰をかがめ、蒼と視線を合わせた。
「ここには蒼殿下を叱る者もいません。どうか話して頂けませんか?」
「……………………」
なるべく優しく話しかけるが、蒼は何も言わない。
早い段階で、蒼が詐病だと判っていた。蒼が柏に恐れをなしていたのも「ばれたら怒られる」が先行していたからだろう。
「もしや、母君と何か関係があるのですか?」
「……別に、そんなんじゃない」
蒼は目に涙をためて呟いた。
織が何を聞いても、蒼は答えてくれなかった。
これ以上聞くのは難しいと判断し、織は早々に部屋を出ることにした。
「蒼殿下のご様子はいかがでしたか?」
「勝手な診断はできませんが、私の目から見て詐病だと思われます」
「やはりそうでしたか。しかしなぜ偽るのか判らずでして」
「私の村でもいましたが、決まって大人の気を引きたいときによく子供はわがままを言っていましたね」
「大人の気か……。蒼殿下の母君は、皇后と夜な夜な宴へ参加されて、よもやそれが原因とは考えられないか」
「宴? そういえば、前に瑛殿下から煌苑殿ではよく酒宴が開かれると聞いたことがあります」
「主に開いているのは皇后です。蒼殿下の母君……巴様は、派手な振る舞いをなさる方ではないのです。しかし、いつ自分の愛息へ牙が向くか判りませんので、仕方なく参加している次第です」
「ご機嫌取りなわけですか」
「皇后が気に入らなければ、女人や子供であろうとも首を斬れと命じますから」
「女中たちも疲れた表情をしておりました。振り回されていると察しがつきますが、蒼殿下は寂しいのでしょう。明日、会いに行きます」
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