第2話 勘違いから生まれた想い

 丸三日ほどで瑛は完治したと連絡が入った。

 昼食中にいきなり瑛が顔を出すものだから、織は慌てて席を立つ。

「いきなりで何のお構いもできませんよ」

「すまない。早く君に会いたくて」

 瑛の鋭い目に見つめられると、どうしていいか判らなくなる。

 彼を招き入れ、瑛の分の昼食もよそった。特製のお茶も淹れる。

「すごいな。薬だけではなく、ご馳走まで作れるのか。料理の説明をしてほしい」

「これは山芋の澱粉を固めてパンにしたもので、よく食べられる主食です。そのままでも充分に甘いんですよ。魚は川で釣ったものです。あとは山菜の炒めものです。お茶は山で実っている果物と野生の茶葉を乾燥させて作りました」

「素晴らしい香りのお茶だな。甘くて良い香りだ。もしや川でたくさん泳いでいた魚か?」

「そうです」

「実は柏と食べられないかと話していたんだ。木の実を見つけて手に取ろうとしたとき、毒蛇に噛まれてしまった」

「赤い実ですか?」

「そうだ」

「甘くてそのまま食べても美味しいんですよ。実はお茶の材料に使っていますし、薬にもなるんです」

「織たちの村は本当に素晴らしい。心からそう思うよ」

「……失礼ですが、瑛殿はどちらのご出身ですか?」

「煌苑殿から来た」

 これには目を丸くする。山を越えた先にある地だ。貴族が住み、下町に住む庶民も裕福な暮らしをしているという。

 彼の着ている服も、触り心地が良さそうな上質なものだ。

「お貴族様でしたか」

「貴族なんてものじゃない。私はここの暮らしが本当に素晴らしいと思っているんだ。皆がのびのびとしていて笑顔が溢れていて……どうしてこんなに活き活きとしているのか教えてほしい」

「それは……、」

 織は口を閉じた。薬師が集う織の村は、他の地域にはない知識が溢れている。貴族や武人に狙われないよう、ひっそりと暮らしているのだ。

 過去に薬師たちが貴族たちに誘拐され、拷問にかけられた上に首だけになって帰ってきたと代々聞かされている。だからこそ、山奥で生活している。

 だが大昔の話であって、童話のような世界だと思い、決して毛嫌いしているわけでもない。

「自然が多いからではないでしょうか」

「ああ……それは判る気がする。人間関係に疲れ、暑さを避けるために避暑地へやってきたんだが、こんなに癒されたのは生まれて初めてだ。それに、私のいる地はこんなに美しくない」

「そんなに煌苑殿はお疲れになるのですね」

「毎日のように宴が続いたりして、誰が跡継ぎになるかや、大きな宝石を身につけた女人たちの子の自慢話、酔った男の怒鳴る声……。辟易するよ」

「それは大変ですね」

「織は、一人暮らし?」

「母と父もいます。ふたりは仕事で出かけているんです」

「ああ、そうだったのか」

「私の村は、女人だからとか男士だからと性別判断せず、それぞれに得意分野ごとに分け与え、村を繁栄してきました。例えば、釣りが得意な人は魚を釣り、村に持って帰って山分けするんです」

「大工は家を建てたり?」

「はい。学校にある机や椅子も大工が作ります。女人の大工もいますよ」

「それは驚いた」

「生き物の面倒を見るのが得意な人は、牛や馬を育てて乳を搾ります。それを村人へ配るんです」

「貴族や庶民のように、階級は存在していないのか?」

「しいて言えば、村長が村を仕切っていますが、階級制度はないですね。同じように読み書きも皆ができますし、勉強を教えるのが得意な人は教師をしています」

「君はまだ少女だろう? 学校には通っていないのか?」

「私はもうすべて終わりましたから。昔から勉強が好きで、先生に教えられるものはないって言われてしまって。同じ齢十の子は、通っています」

「君の話は驚くことばかりだよ。俺よりも五つも下なのに」

「瑛殿は十五歳なのですね」

「そうだ。そろそろ婚約相手を決めなければと、父も張り切っておられる」

 瑛は肩をすくめた。

「結婚したくないのですか? 男士であり貴族であればなおさら、嫁をもらうなど成人の証でしょう?」

 瑛は力なく首を振った。

「この村の話を聞いて思ったことがある。階級制度にとらわれず、全員が仕事をして生きる制度が俺の憧れる生き方だ。婚姻にとらわれる生き方も、古いと思っている」

「けれど、急に変えるとなると何十年と時間が必要になります。特にお貴族様は納得されないはずです」

「その通りだ。どんちゃん騒ぎの貴族は、庶民から税を取り、その富で酒を煽る毎日だ。いつか天罰が下る」

「きっと、そういう志は子の世代へ継がれていきます。正直、煌苑殿の話はあまり良い噂は聞きません。ですから瑛殿が新しい時代を創り上げて、皆が笑顔になれる日々になることを楽しみにしています」

織姫しきひめ

 瑛は織の手を取り、そっと握った。

 やはり、瑛は盛大な勘違いをしていた。名前の後につける敬称には男士は『郭』、女人は『姫』がある。瑛は織を姫をつけて呼んだ。

「俺と一緒に煌苑殿へ来ないか?」

「……行けません」

「なぜだ?」

「私はここが好きで、守って行かなければならないからです」

「会ってまだ数日だが、俺は織姫をとても好いている。五つも下だが、それを感じさせないほどの度胸と知識もある」

「お気持ちは充分に嬉しいです」

 たとえ織が女だったとしても、彼の元へは嫁げない。

「お貴族様が村の人間を嫁にもらったとなると、瑛殿が悪く言われてしまいます」

「そういう時代を俺はなくしたいと思っている」

「なりません」

 織は頑なに首を縦に振らなかった。それ相応の理由を並べてみても、自分は男だと言うことができなかった。貴族とはそうそう会う機会はないし、彼の恋した証を壊したくない、と思ったからだ。

「せめて、この村にいる間は仲良くしてほしい」

「もちろんです。客人として精いっぱいのもてなしをさせて頂きます」

 織は二杯目のお茶を淹れた。これほど美味しいと喜んでくれ、身分を越えた異なる感情が生まれそうになる。

 織は言える範囲で村の話をした。生き物を大切にしていること、たとえ一本の花や雑草であっても人間の生活を豊かにしてくれること、必要な命はむやみやたらにとらないこと、食べ物は必要な分だけ自然から頂くこと。

 翌日には柏が荷馬車でたくさんの食料や着物を持ってきた。あまりに上質なもので着るのはもったいないが、ぜひ着てみてほしいという瑛の願いで羽織に袖を通した。

「白い肌には赤の羽織がよく似合う。柏もそう思うだろう?」

「そうですね。お似合いです」

「ありがとうございます。このような素晴らしい生地の羽織はなかなか着る機会がありませんが、大切にします」

 こうして織は瑛と別れた。瑛は最後までふたりきりで話したそうにしていたが、織はあえて気づかないふりをした。彼とはもう会わない。だからこそ、あっさりとした別れにして特別を無くしたかった。




──こうした出会いから、織は齢十五となった。




 使者から届いた一報に、織も家族も村長も驚愕した。

 知性と品性を買い、陛下の第五夫人として招き入れるとの内容だった。

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