第168羽♡ わたしだけの天使になってくれませんか?

 

 「カスミン先輩、ひょっとして今日も怒ってます?」

 「別に怒ってないよ」

 

 「でも~さっきから全然目を合わせてくれないし」

 「お仕事が忙しいからだよ」

 

 本当は昨日、葵ちゃんが前園や楓と言い争いをした事を少し怒っている。

 前園はパリ行きの事でタダでさえ今大変な時のに、更にややこしくなった。

 

 7月21日土曜日の午前11時過ぎ。

 カフェレストラン『ディ・ドリーム』で今日もバイトだ。


 今日もアイドルレッスンがある。体調不良で昨日早退した加恋さんも元気に出勤している。


 日中帯の混雑ピークは12時なので、普段ならまだ余裕があるはず時間だけど、夏休み期間に入ったせいか、朝からずっと賑わっている。


 いつもこれくらいお客様が来てくれれば、わたしの時給も上がるかもしれないし、女装をしなくても良くなるかもしれない。


 ……多分無理だけど。

 

 「忙しくても後輩のお世話をするのが先輩の役目ですよ」

 「お世話をしなくても葵ちゃんは、もう十分お仕事できるでしょ」

 

 「そうじゃないです~カスミン先輩は全然わかってないなぁ……ちょっと失礼しますよ」


 つま先立ちして背を伸ばすと、わたしの耳に手を当ててヒソヒソ声で話しかけてくる。

 

 「大好きな先輩が褒めてくれるから頑張れるし、叱られたいからイタズラをするんです」


 「イタズラはやめてほしいかな」


 耳元に息が吹き掛かるのも止めて欲しい。

 背筋がゾクっとするから。 


 「それに先輩と仲良くしていると皆さんも喜んでくれます。周りを見てください」

 

 「え?」

 

 いつの間にか、スタッフもお客様もわたし達に視線が集中している。


 ドリンクバーで珈琲コーヒー豆の補充をしている加恋さんまでニヤニヤしながらこっちを見ている。

 

 「先輩は気づいていなかったかもしれませんが、わたし達を見に来てくれるお客様は少しずつ増えていますよ」

 

 SNSを使った宣伝や、かわいいけど短いスカートラインと胸元が強調される夏ユニフォームに不快な視線を感じながらも、日々頑張っている接客対応。 


 何より小悪魔系美少女葵ちゃんと美人女子大生加恋さんがいる。

 変態店長の思惑通り、ディ・ドリーム世田谷店は少しずつ好転しているみたい。

  

 ……わたしも少しは役に立てているなら嬉しいけど。

  

 「学校は白花ですよね?」

 「そうだけど周りに聞こえない様に言って」

 

 ここから白花学園までは徒歩で10分も掛からない。

 学園とは180度真逆の恰好をしているから大丈夫だと思うけど、万が一身バレしたら大変だ。

 

 「先輩は噂に聞く白花の天使同盟ですか?」

 「違うよ。わたしは学校では全然目立たないし、でも昨日来たふたりは天使同盟だよ」

 

 「あのふたりは確かに美人さんでしたね……先輩はどうして天使同盟じゃないんですか?」


 「あれは選ばれてなるものだから、わたしがなりたいと思ってもなれないの」

 

 「わたしなら絶対にカスミン先輩を天使同盟に推すのに」

 「ありがとう冗談でも嬉しいよ」


 天使同盟に入りたいなんて考えた事もない。

 そもそも男の子のわたしは絶対なれないし、なりたくもない。


 堕天使遊戯で心に秘めた大切な想いは、知らない誰かに踏みにじられる。

 

 こんな事は絶対に間違っている。


 「冗談じゃないですよ……じゃあ先輩、わたしだけの天使になってくれませんか?」


 「えっ?」

 

 「わたしとなら必ず幸せになれます。とは違います」

 「ちょっと葵ちゃん何を言っているの?」


 「もちろん愛の告白ですよ、そう聞こえませんでした?」

 「……でもわたし達はまだ知り合ったばかりで」

 

 「時間なんて関係ないですよ。大切なのは今の気持ちです。違いますか?」

 「そうかもしれないけど」

 

 「では返事を……今の先輩の気持ちを教えてください」


 どうしよう。

 仕事中に突然、告白されてしまった。

 

 葵ちゃんがわたしの事を好き?


 今のわたしは緒方霞ではなくカスミンだ。

 葵ちゃんが好きなのもカスミンで、緒方霞ではない。


 男の子が苦手な葵ちゃんに本当の事を伝えたら、ここでのバイトを辞めてしまうかもしれない。何より心を傷つけてしまうかもしれない。 


 そんな事は絶対にしたくない。

 でも告白された以上、返事をしないと。


 ……やだな。

 恋愛なんてわからないし、好きじゃない。


 「わたしは葵ちゃんの天使にはなれないよ」

 

 ……痛い。

 まるで何か心臓を強く掴まれたようにギュッとなり、酷く痛む。


 好きとか嫌いとかそれ以前に、わたしは幻のようなものだ。

 葵ちゃんは知らないだけで、カスミンなんて最初からどこにもいないから。


 「わかりました……とても残念です」

 「ごめんね」

 

 「気にしないでください、さて、そろそろ仕事に戻りましょう。さすがに長話し過ぎました」


 「う、うん、そうだね」


 レッスン時間も含めこの日は、葵ちゃんと目を合わせる事ができなかった。

 

 わたしのせいでバイトを辞めてしまわないか心配していたけど、翌日以降は告白した事は初めから無かったかのように、葵ちゃんは以前と態度は変わらず、至って普通だった。

 

 彼女の思惑が別にあり、僅かに出していたサインにも気づけず、不当でいびつ遊戯ゲームを強制終了させる鍵をわたしは見落としてしまった。

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