第167羽♡ 全部夏のせい


 「暑い……」


 まだ午前7時だと云うのに夏の太陽は容赦がない。

 

 熱せられたアスファルトからの照り返しと、街路樹から聞こえるアブラゼミの声を合わさると、自分がまるで鳥の唐揚げにでもなったような気分になる。

  

 7月21日土曜日――。

 

 夏休み初日のこの日、本来なら俺のような陰キャは、一学期の疲れを癒すため昼まで寝るべきなのに、朝からジョギングをしている。

 

 滝のように汗を流しながら、似合わない事をせざるを得ないのは全てバイト先のアイドル活動のためだ。

 

 女性アイドルグループのダンスは、一見きつくなさそうに見える。

 だが実際は、常にかわいく見えるアングルを意識するため体力がないと続かない。

 

 しかもダンスをしながら歌わなければならない。

 笑顔を絶やしてはならない。

 

 華やかなイメージとは裏腹に、ガチの体育会系に匹敵するハードワークだ。

 

 これを東京都最低賃金+40円でやっている。

 

 カフェレストランの接客を行い、店長の変態発言に耐え、宣伝のためにSNSの更新やアイドルレッスンもこなす。

 

 日々のメイク代はバカにならないし、お客様に女装がバレないかと云う心配が常にある。

 

 心身の疲労が半端ない。


 やはりバイト先を間違えたかもしれない。

 いや絶対に間違えた。

 

 でも後戻りもできない……。

 

 どうにもならない現実を嘆きながらジョギングを続け、自宅から15分ほど離れた十字路の交差点までたどり着く。


 朝をタオルで拭き、視線を上げると道路を挟んだ反対側に、白のタンクトップにハーフパンツ姿の水野しんが、信号待ちしているのが見える。どうやら俺と同じようにジョギングをしているようだ。

 

 「おはよう緒方、良い朝だな」

 

 信号が変わると、爽やかな笑顔を浮かべ近くに寄って来る。

 

 「おはよう、今日も暑いな」

 「朝からお前に会えて嬉しいぞ」

 

 「……お、おう」

 

 茶褐色の瞳をキラキラとさせて水野は心底から嬉しそうに笑う。

 

 ……こいつは良いヤツだ。

 マイペースで俺の話をあまり聞いてくれないけど。

  

 「緒方、体を鍛えているのか?」

 「いや、今日はただの気まぐれだ」

 

 「今からやっておけば秋の新人戦には間に合うな」

 「前も言ったけど俺は、男子サッカー部に入る気は無いから」

 

 「やはり全国の強豪達と戦うにはお前の力が必要だ」

 「俺がいなくても、水野が頑張れば何とかなるよ」

 

 「お前のシルクの様な繊細なパスが、サッカー部のラストピースになると俺は確信している」


 「しばらくやってないからもう錆びついているよ」


 いつものように会話が成立しているのかしていないのか、わからない会話が続く。

 もう慣れたから、何とも思わないけど。

 

 「緒方」

 「えっ!?」

 

 急に両手を掴まれ、真剣な眼差しで水野は俺を見据える。

 力が強くて振り払う事はできない。


 身長は10cm以上違うし、何よりパワーの差があり過ぎる。

 とてもだが敵わない。

 

 そのまま詰め寄られた俺は一歩一歩後退し、街路樹に背中がぶつかる。

 

 「黙って俺に付いてこい」

 「で……でも、バイトあるし」

 

 「今日からは俺の事だけを考えろ」


 日頃から学園の女子達がキャーキャー言っているイケメンフェイスが更に迫る。


 コイツはさっきから何を言っている?

 

 ここは人通りの多い一般道だ。

 お互いトレーニングウェアとは言え、ギャラリーに見られてしまう。


 俺に付いてこいとか俺の事だけ考えろとか……何だか口説かれてるみたい。

 いや、口説いているのは間違いないだろうけど、サッカー部に入れって話で、それ以上の他意はないはず?

 

 何かある様に聞こえる。

 違う意味で口説かれている気がする。


 でもそれって男が男に……。

 

 ――いやいやいや、ないだろ! ないない!

 でも万が一なら……。

     

 「俺はサッカー部には入らない」

 

 認識齟齬そごが発生しないように、主語と述語をはっきりさせて返事をする。 


 「緒方は思いの外、頑固だな」

 「頑固なのはお前だ、水野」

 

 「でも俺は決して諦めない、必ずお前を俺のものにする」

 「頼むから勘弁してくれよ」


 ――その時だった。

 通りすがりの自転車がブレーキをかけて止まり、俺達に話しかけてきた。

 

 「よう……朝から二人とも元気そうだな」

 「広田? お前なんて格好を!?」

 

 花柄のアロハシャツに紺の短パンとビーチサンダル、麦わら帽子にシルバーアクセサリー。違和感ありまくりなド派手なファッションで、数少ない男友達である広田良助は颯爽と現れた。

 

 「この格好おかしいか? ファッションの事はよくわからないが、俺なりに愉快な夏男を演出してみたのだが」


 「普段と違い過ぎて、違和感が半端ないわ!」

 

 普段の広田は、一言で言えばインテリ眼鏡だ。少なくてもアロハな男ではない。

 

 「広田、俺は良いと思う、どこからどう見てもお前は愉快な夏男だ」

 「水野……」

 

 広田と水野は見つめ合い、男達の暑苦しい友情は更に深まる。

 これ以上気温を上げるのは止めてくれ、そばにいる俺が熱中症で倒れるから。

  

 「ところで広田、海かプールにでも行くのか?」

 「あぁ瑞希みずきとこれから七里ヶ浜まで」

 

 ……そうだった。

 コイツは彼女持ちのリア充だった。

 

 俺はこの夏、女装してアイドル活動なのに、コイツはかわいい彼女とときめきアバンチュールを!?

 

 ちきしょうリア充め!

 

 爆発しろ! 四散しろ! 

 地球上のリア充は全て補完されろ!

 

 ちっとも羨ましくないからな――!

 

 とは言え、突如襲来したアロハなリア充のおかげで、水野の力が抜けた隙に、俺は脱出する事ができた。


 ありがとう広田、感謝する。

     

 「そっか。楽しんで来いよ!」

 「あぁ、それじゃあ待たせると怒られるから」

 

 去っていく広田を俺と水野は見送る。


 「じゃあ水野、俺もそろそろ……」

 「緒方、ふたりでゆっくりできるところで休憩しよう」

 

 「悪いけど遠慮しておく、じゃあ」


 俺は水野を残し、再び走り出す。

  

 水野深。

 学園内で俺が普通に話せる数少ない友人の一人。

 長身イケメンで校内の女子にも人気があり、ストライカーとして男子サッカー部期待のホープだ。

 

 多少言葉足らずのところがあるが根は良いヤツ。

 サッカー好きの天然キャラで、水野の言動には深い意味はないはず……。

 

 だけど、さっき詰め寄られた時は、少しだけドキっとした。

 

 きっと夏のせいだ。

 この暑さは人をバグらせるに違いない。

 

 そう言う事にしておこう。

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