第109羽♡ 女子は意味のない喧嘩はしない


 「お命頂戴マイダーリン!」

 「いゃああああああ――!」


 魔女さくらが高枝切りばさみを持ったまま襲い掛かってくる。

 逃げ場はない。

 

 「ちょっと動かないでダーリン、すぐ終わるから」

 「やだよ~ちょっきんするんだろ!?」

 

 「そうよ。ちょっきんちょっきん♪」

 「許して~!」

 

 「じゃあもう浮気はしない?」

 「浮気しません!」

 

 「他の女の子を見ないで」

 「見ません!」

 

 「他の女の子に触れないで」

 「触れません!」

 

 「もっとわたしのことも見て」

 「いつも見てる」

 

 「――嘘つき」

 

 振り上げていた高枝切りばさみを床に置くと、猛獣もワンパンで倒しそうな怒気がなくなり、急に大人しくなってしまった。

 

 ん……どうしたさくら?

 俺なんかマズい事言ったかな?

 ちょっきんされないならいいんだけど。

 

 「あの……さくらさん?」

 「……」

 

 ――返事がない。

 

 黒いフードで顔の大部分で覆われているせいで表情を伺うことはできない。

 

 さくらと俺の間にはまだ2メートルほどの距離がある。

 両腕は紐で結ばれたままだけど、足は何も拘束されていない。

 

 動くことはできる。

 

 よくわからないけど、さくらは傷ついている?

 

 だとしたら今すぐさくらの元に行かなきゃいけない。

 俺はどんな時でもさくらを支えるし、さくらのためなら何でもする。

 

 さくらを泣かすようなことをしない。

 

 いつどんな時でも……。

 

 古びた木製の椅子からゆっくりと立ち上がり、さくらに手を伸ばし黒いフードを下ろす。

 

 切れ長の赤と黒の中間色の様な瞳も朝露が引っかかりそうな長い睫毛もいつもと変わらない。その肩に手を両手を乗せる。

 

 「本当に見ててくれる?」

 

 小さな声でそっと告げる。

   

 「あぁ」

 

 「本当に?」

 「本当だよ」

 

 俺とさくらは身長がほぼ同じ視線を真正面になる。

 

 「そう……では明後日のおじいさまの誕生日会が終わるまでずっとわたしを見てて」

 「はい?」

 

 「今日から泊まり込みね、心配しなくても部屋は用意するわ」

 「ちょっと待て、急にそんなこと言われても」

 

 「わたしたちはおじいさまに親密さをアピールしないといけない、外野を黙らせるためにもね。でも普段一緒にいる時間が短いせいでボロがでるかもしれないわ。だから誕生日会まで、少しでもギャップを埋める」

 

 「さくらの言うことわかる。でも俺は泊るための準備もしてきてないし、何より今から帰って家の晩御飯の準備や家事をしないといけないから」

 

 「ダーリンの着替えは用意してある」

 「……なんか手際良いな」

 

 「あとダーリンの自宅には明後日まで強力な助っ人を派遣したわ」

 「助っ人って?」

 

 「ダーリンの家の合い鍵を持ってる人」

 「楓かよ~!?」

 

 「炊事洗濯の腕前、それにダーリンの家の事情やおじ様との関係、全てをひっくるめても望月さんほど相応しい人はいないわ、次点ですずかしら」

 

 確かに楓より適任はいない。俺以上に完璧に家事をこなすだろう。

 だけど最強メイドになりえる楓の派兵は致命的な問題がある。

 

 「4月に新宿でリナと楓が揉めた事件を憶えてるだろ、あの場にはさくらもいたし」


 「えぇ」

 

 所謂『新宿事件』、楓とリナの最終戦争ラグナログ開戦5分前までに迫った。

 

 「あの時はたまたま通りかかった前園が収めてくれたし、あれ以降、楓とリナはよく話すようになって上手くいってるように見えるけど、あのふたりを完全にふたりきりにしたことがないんだよ」


 期末テスト前、楓にリナの勉強を見てもらった日も俺は大慌てでバイト先から帰ってきたくらいだ。

 

 「つまりダーリンはふたりきりなると、また喧嘩を始めるじゃないかと心配してるのね」

 「あぁ……」

 

 「リナはああ見えて好戦的なところがあるし、望月さんはおしとやかだけど意志の強さを感じる。戦い始めたら、どちらか又は両方が滅びるまで続くかもしれないわね。でも今は大丈夫よ」

 

 「どうしてわかるんだよ?」

 

 「今喧嘩してもふたりともメリットがないわ。むしろマイナスでしかない。ダーリンはどっちの味方にもなれないでしょ」

 「そうだな……ふたりとも大切だし、できるとしたら両成敗だな」

  

 「あと新宿の時、なかなか収拾がつかなかった理由を教えてあげる。望月さんからすれば想定外のわたしがいたからよ」


 さくらの話をまとめるとこんな感じだった。

 

 楓の誕生日だったあの日、俺たちは新宿のパルトトゥエルブで映画を見た後、ササンテラスをふたりで歩いてたら、突然リナとさくらが現れ口論になった。

 

 だが楓がさくらは部外者ではなく、自分たちと同等だと認識したため引けなくなってしまった。

 

 リナも同様だ。そのまま楓、リナ、さくらの三すくみになってしまう。

 状況を見守っていた俺も誰を止めれば良いのかわからなくなってしまった。

 

 そんな中、どこからともなくクラスメイトの前園凛が颯爽と現れ、荒ぶる三人の少女を鎮めた。

 

 『よっしゃー! みんなの分のチュロス買って来た! さっ早く食べようぜ!』

 

 場に全く合わないその一言だけで。

 

 今にも泣きだしそうだった終末の空模様の下の三人の真ん中に無理やり雪崩れ込んだ少女は屈託のない少年の様な笑顔を浮かべていた。

 

 「つまりリナと望月さんの隙をついて漁夫の利を狙うつもりだったわたしも含めて、だった凜さんに三人ともコテンパンにやられたというわけ」

 

 「だとしたら前園はとんでもないな、あの『よっしゃー!』は意味わかんなかったし」

 「ふふっそうね。でも凜さんが買ってきたチェロス、凄く美味しかったわ」


 「だな……早くパリから帰ってくればいいけど」


 前園は今日から渡仏中だ。来週には帰ってくるらしけど。


 「話がズレたけど、そんなわけでリナと望月さんはダーリンのいないところでは絶対に喧嘩しないわ」

 

 「わかったよ。後でリナと楓に電話させてくれ……それといい加減、縄ほどいてくれない?」

 「あら忘れたわ」

 

 「嘘つけ……」

 

 さくらは床に落ちていた高枝切りばさみを拾うと俺の腕に結ばれた紐をパチンと切った。


「よくよく見ると、ここは昔、かくれんぼした時にさくらが隠れてたところだな」

「あら……憶えてたのね」


「あぁ忘れないよ」

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