繰り返しの果ての死体
朧(oboro)
上
ああすればよかったこうすればよかった、人生なんて結局その繰り返しだ。あいつを置いて地元を出なければよかった、追っかけてきたときに追い返せばよかった、あんな男と付き合うのをもっと強く反対しておけばよかった、別れると言って転がり込んできたときにもう二度と会うなと言えばよかった、最後に二人だけで話をつけたいと言われても居座ればよかった、その果てがこの死体だ。
「……ケイ、」
ケンカになって刺しちゃった、涙声の電話を受けて駅前のバーガーショップから帰るとイオは暗いキッチンに座り込んで泣いていた。
「ごめん、俺……」
「いい、イオが謝ることじゃない」
謝ることじゃないというか、謝られても仕方がないというか。シンクの横に投げ出された包丁は赤黒く汚れている。キッチンの先、白々しいほど明るいリビングに男が一人倒れているのが見える。
同棲していた男とちゃんと別れ話がしたいから部屋を貸してほしい、とイオに言われてしぶしぶアパートの部屋を出たのは2時間ほど前だ。部屋を貸すのが嫌だったわけじゃない。男とは同棲している間もずいぶん揉めたと聞いていたからだ。俺がいた方が牽制になると言ったのだが、2人の問題だからとイオに押し切られて俺は部屋を空けた。
「でも、ケイも話聞くって言ってくれてたのに、俺が断っちゃったから……」
「過ぎたことだよ、な?」
イオの髪をそっと撫でてリビングに入る。ベッドの脇に敷いたブルーグレーのラグにはどす黒いシミが広がり、男はその真ん中に転がっていた。いや――たぶん、おそらく、きっと。これは男というより死体だ。キッチンで俺とイオが話している間もこうして俺が近づいてみても身動きひとつしないし声ひとつ漏らさない。顔を半分覆って口元にかかる乱れた髪の先すら、わずかも揺れていなかった。
息をしていない。つまり、死んでいる。
死体はもともと着ていた服が何色だったかわからないくらい血だらけで傷だらけだった。胸、腹、手に腕に首。刺しちゃった、と震えた声を聞いて想像した光景は生ぬるかったと言わざるを得ない。刃物が刺さったときは抜かない方がいいんだっけ抜いた方がいいんだっけ、とか考えながら帰ってきたのはいらない心配だったわけだ。
「どうしよ、ケイ。どうしたらいいんだろう」
うずくまって頭を抱えるイオの手に赤いものがついている。返り血か、と思ったが指先はきれいだ。そうだ、スマホで連絡してきたんだから手ぐらい洗うだろう。リビングからキッチンに戻り、しゃがみこんでイオの手を取る。
「……どうしたんだ、これ」
イオは怪我をしていた。右手の小指の側から手のひらの真ん中あたりまで、痛々しい傷がいくつも走っている。
「わかんない……気が付いたらあった」
「……そっか」
血は止まっているようだが、放っておいても治ると確信できる大きさではなかった。朝になったら病院に行くとして、応急手当は必要だろう。俺は玄関ドアに貼ったマグネットフックから車の鍵を取る。
「イオ、俺コンビニ行ってくるけど、留守番する? 一緒に来る?」
「コンビニ?」
「うん。消毒液と、絆創膏と――あと、ゴミ袋かな。一番大きいやつ。ガムテープはあったと思うし」
飲みこめない様子で、ごみぶくろ、と呟いたイオに頷いてみせる。
救急車では間に合わない。警察では割に合わない。
「埋めよう、あいつ」
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