第17話 終わり
東から昇った太陽が西に沈みかけていく頃、第五中隊は夜営の準備を整えていた。
しかし少し腰を下ろすと、もう尻から根が生えてしまったかのように皆動かなくなってしまうので作業は遅々として進まない。
「さっさとせんかッ!」
下士官や古兵に急かされ、時折り尻を蹴飛ばされながらミキたちは夜営の準備を続ける。疲れているものだから恐ろしく動きが怠慢だ。本来ならば一時間にも満たずに終わる作業が、設営が終わった頃には二時間半以上も経過していた。
当然ながら火はトップリと暮れており、周囲は真っ暗闇である。
「靴と足をよく乾かせ。塹壕足になるぞ」
一日ぶりに腰を下ろし、靴を脱いで焚火で乾燥させる。それだけでもう天国にいるような心地だ。ついでに極めて薄いがお茶が振る回れると、そのまま危うく昇天しそうになった。
これで食事も豪勢だったら何も言う事はないのであるが、残念ながらご馳走どころか携行糧食すら足りない。
「乾パンでも良いから腹いっぱい食いてェ」
僅かな乾パンを大事そうに食べながらアサキは言う。
「おまけに水までない……何処かに木の実とかあれば良いのだけれど」
周辺を捜索すれば木の実や茸くらいはありそうである。
「敵がいるかもしれないのにか?」
その通り。残念ながらここは敵前なのである。
さりとて腹と背中がくっつきそうな状態で戦をするわけにもいかない。武士は食わねど高楊枝などというがミキは武士ではないのである。
シラセに意見具申をしてみると、彼女経由でマイハマに伝えられ、数個の食糧班を編成して食糧捜索をする事となった。さりとて敵前である。そのため敵の捜索も兼ねての食糧探しだった。
とりあえず小銃と
「食糧っていうと何がある?」
懐中電灯で森の中を照らしながらアサキが訊ねる。
「動物の肉、木の実、茸、あとは」
「山芋とかッス」
珍しくアカツキが口を利いたのでミキは驚いたが、直ぐにだんまりに戻ってしまった。
「私は昔から山芋が好きで」
狭い木々を抜けながら、ミキは周囲を見渡す。今のところ敵も食糧も見当たらない。
「生だってけっこう美味しいよ」
「見付けたら、いの一番に食おうぜ」
「勿論だよ」
そうは言うが芋より先に敵の方を発見してしまいそうな雰囲気でもある。
下手に色んな所を照らすと見つかりそうなので、なるべく隠すような形で懐中電灯を使う必要があった。
「二人とも、ちょっと待って欲しいッス」
不意にアカツキが足を止めた。
「なにかいた?」
思わず銃を握る手に力がこもる。
「この葉……」
そう言って、アカツキが見せた葉っぱは独特な形状をしていた。
「山芋の葉だ!」
言うなり分結式だった円匙を組み立て、三人で穴を掘る。疲れ切っている筈だが飯を目の前にしての莫迦力である。
それなりに深く掘った筈だが、時間は全く掛からずに細い山芋が掘り当てられた。
ミキとアカツキはさっさと土を払ってボリボリ食べ始める。不潔とか体裁とかもはやどうでも良かった。都会育ちのアサキは流石に躊躇したようであるが、二人ががっついているのを見て食べ始める。
元より山芋は好物な上に極度の空腹だ。あっという間に見付けた山芋は全部平らげてしまった。
「この周辺、まだ一杯あるみたいだから何人か呼んできて掘ろう!」
腹が膨れて元気が出たミキが言うと、今度はアサキが「待て」と制した。
「どうしたの?」
「水の音がする」
言われてみると確かに水の流れるような音がする。さっそく三人で水の音のする方に行ってみると、木々の間からコンコンと水が湧き出ているのを発見した。
「湧水だ!」
思わずミキは頭を突っ込もうとしたが、アサキに「阿保」と止められる。
「まだ安全か解らないだろ」
確かに自然水は完全に安全が確保されているわけではないし、敵が何か入れていった可能性もある。無闇やたらに飲むのは危険だ。
さりとて周囲には人が立ちいったような様子はない。いちおう三人で周囲を見て回ったが、怪しいものは見当たらなかった。
「芋に湧水、良い土産が出来たな」
早く戻って人員を連れて行こうとした時、不意に草陰から何かが躍り出た。咄嗟に三人は小銃を向ける。
最初は暗くてよく見えなかったが、懐中電灯を照らしてみると出てきたのは青い軍服を着た人間である事が解った。
即ち敵である。
即座にアカツキが撃とうとしたが、アサキがそれを制する。敵は武器を持っておらず、出てきた時点で両手を上げていたからだ。
「待ってくれ、助けてくれ!」
「いきなり命乞いッスか」
敵兵の顔にアカツキは銃口を突き付ける。
「違う、僕じゃない」
そう言う敵はろくに装備も着けておらず、懐中電灯で照らされる全身は泥と血にまみれていた。服は兵用ではなく士官用だが顔は不釣り合いに幼い。どうやら見習士官であるらしかった。
「僕じゃないっていうのはどういう事だ」
今にも撃ちそうなアカツキを制止しながらアサキが訊ねる。
「仲間を助けてほしい」
「仲間がいるのか」
案内をさせると、木の陰で横になっている敵兵の姿があった。服装は先の見習士官と同じであるから、どうやら彼と同期の見習士官のようだ。
左肩に包帯が巻いてあるが血で真っ赤に染まっている。遠目から見ても既に虫の息であるという事は明白だった。
「楽にしてやるッスよ」
アカツキが小銃を構えたが、慌てて見習士官が盾になる。
「止めてくれ。僕はいい。でも彼は助けてくれ」
「うるさいッスよ」
見習士官を押し退け、アカツキは銃口を突き付ける。
「止めてくれ! 友達なんだ!」
アカツキにしがみ付きながら見習士官は叫ぶと、ピタッとアカツキは動きを止めた。
「……ともだち?」
「そうだ。止めてくれ。彼だけは撃たないでくれ!」
涙声で見習士官は懇願する。小銃の銃口が僅かに下がっていた。
「もう、いいでしょ」
優しくミキが言うと、放心したような顔でアカツキは完全に銃口を下げた。そして硬直したようにそのままの姿勢で固まる。
「…………とも、だち……」
小さく、掠れるような声。
反射的に視線を向けると横になっている敵兵が微笑み、そしてゆっくりと目を閉じた。
「おい……!」
慌てて見習士官が駆け寄り、身体を抱き起こす。
「嘘だろ……目を開けろよ」
何回か頬を小さく叩いたが目を開く気配はない。
「おいっ! 起きろよ!」
何度も揺さぶるが、しかし腕の中でグラグラだらしなく動くばかり。まるで無機物であるかのようだった。
「もう突っかかったりしない! 庶民だなんて莫迦にしたりしない! だから目を開けろよ!」
見習士官は怒鳴るように言ったが、しかしやはり動き出す事はなかった。
「…………なんで、君は」
掠れるような声で見習士官は言う。
「そんな、満足そうな顔で死んでるんだよ……」
ミキは二人の傍らにしゃがみ、既に命を失った若者の顔を見た。
安らかな、まるで寝ているかのような顔だ。これまで何人もの敵味方の死に顔を見てきたが、まさか戦死した者がこんな表情を出来るのだとは思わなかった。
「友達……か」
ふと振り返ると、アカツキが放心したように先ほどの姿勢のまま固まっている。否、僅かに震えていた。
「……私は復讐を止めろ、なんて言わない」
それは、それだけ友達の事を想っていたという証拠だから。
「敵の兵士が何人死のうがどうでもいい」
でも、とミキは続ける。
「復讐に奔って我を失い、アイカヤまでも死んでしまう……私はそれが一番怖い」
落ち着きなよ、とミキは微笑んだ。
「敵を沢山殺したからって、友達が生き返るなんて都合の良い話しはないんだよ」
ガチャンッとアカツキの小銃が地面に落ち、続くように持ち主が膝を着いた。
アカツキの目からボロボロと大粒の涙が溢れ、とめどなく地面に落ちていく。
いま、おそらく、彼女の中で復讐は終わったのだ。
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