第16話 果てなき戦場

 まだ薄い霧の出ている山中で爆音と木が倒れる音が響き渡った。

 砲撃によって粉砕された木々の間を第五中隊は一歩一歩登っていく。道などある筈もない。倒木を乗り越え、道なき道を第五中隊は進む。

 山を登っていくにつれ、敵の抵抗も激しくなっていた。

 応急とはいえ構築された陣地だけでなく、倒木で組まれた特火点トーチカや砲撃痕を利用して敵は第五中隊を迎え撃つ。

 陣地は入念に擬装されており、時には手榴弾を投擲されて初めて存在に気付くというような場面すらあった。

 それでも第五中隊は進む。

 砲兵隊の力を借り、あるいは擲弾筒や迫撃砲で陣地を吹き飛ばし、機関銃で敵兵を薙ぎ払う。時には無謀ともいえる突撃で陣地に踊り込み、銃剣や円匙シャベルでの格闘戦を繰り広げた。

 食糧など運ばれてくる筈もなく、しかし炊事を出来るような状況でもない。食事は全て携帯可能な物――主に乾パンのみであり、飲料水の運搬が困難なので水分も切り詰めるという状況であった。

 敵の夜襲があるのでゆっくり寝る事も出来ない。マムシ高地攻略に乗り出してから早や一週間、兵士たちの疲労は目に見えて溜まっていた。

 こんな状況であるからミキもアカツキと話すような余裕がない。ただ彼女が暴走しないよう、常に付き添う程度の事しか出来なかった。

 もっとも戦闘中であるから付き添う事すら満足に出来ない。そのため見失ってしまう事も少なくなかった。

「あの砲撃で全部くたばってくれれば事は楽なんだが」

 攻撃前、砲兵隊によって行われる効力射の様子を座って見ながらアサキはボヤく。

 この砲撃が終われば歩兵の前進だ。そのため以前は砲撃中に自己の無事を祈ったり、震えていたりする兵隊もいたが、今ではボケッと見学でもしているような感覚になっていた。

 あまりにも繰り返される戦闘で色んな感情が麻痺してしまっているのかもしれない。アサキなんぞは煙草まで吸っている。

「うちの爺さん、木こりだったんだけどさ」

 ミキの隣で姿勢を低くしているシラセが話し掛ける。

「こうやってボカンボカン撃ってれば失業するかもしんねぇな」

「はァ」

 冗談なのか、真面目に言っているのか解らないのでミキは適当に相槌を打った。

 確かに激しい砲撃によって、大木ですら容赦なく倒れている。

 しかしミキがいま気にしているのは木よりもアカツキだった。

 相変わらずアカツキは「復讐」を続けているが、そのせいで気が張っているのか明らかに他の兵隊たちよりも疲弊している。復讐心が先走っているせいか、ミキたち以上に睡眠もとれていないようだ。

 休ませてやりたい、とは思う。しかし状況が状況だ。とても無理なのは解り切っていた。

 砲撃が終わり、第五中隊は前進を開始する。

 しかし十分にも満たない間に敵の攻撃に阻まれて前進は一時停止した。やはり入念に構築された陣地を砲撃だけで潰すのは無理である。

「第二小隊は左翼から回り込め」

 他の小隊の支援を受けつつ、第二小隊は命令通り迂回しながら敵陣地に接近する。

 しかし敵も莫迦ではない。迂回される可能性も充分に考えており、これまた擬装されていた陣地による攻撃を受けた。

「ベニキリ、手榴弾ッ!」

「はいッ!」

 攻撃用の柄の付いた手榴弾の安全栓を抜き、敵の陣地に向けて投擲する。派手な爆発。土砂がミキたちにも降り注ぐ。

 続けてアサキ、アカツキも投擲し、敵陣地の近くで次々と手榴弾が爆発した。

 しかし陣地は健在で、相変わらず機関銃を撃って来る。

 とてもでないが、まともに応戦出来るような状況ではない。とにかく隙を突き、定期的に手榴弾を投げつける。

 無論、こちらが届く距離なので当然ながら敵も手榴弾の投擲範囲内だ。必然的に手榴弾の投げ合いになり、至るところで手榴弾が炸裂し、土砂と木片、時折り血肉などが降り注ぐ。

 そんな熾烈な戦闘を繰り返しながら、しかし第五中隊は一歩一歩、確実に高地を登っていく。

 ピーッ! という一際大きな警笛の音が鳴り、続いて蛮声が山の中に響き渡った。

「敵来るぞ! 総員着け剣!」

 擬装された陣地や倒木の隙間、タコツボの中から敵兵が跳び出し、蛮声を上げながら次々と第五中隊目掛けて突撃を開始した。

 何処に隠れていたのか、と呆れる量の敵兵が銃剣付きの小銃を手に高地を下って突っ込んでくる。

 既に敵味方入り乱れているような状況だ。砲兵による阻止砲撃は不可能である。必然的に第五中隊が自力で突撃を食い止めなければならない。

 機関銃と小銃が引っ切り無しに鳴き声を上げ、突撃してくる敵を次々と撃ち倒す。だがこれまでのような「敗残兵」と違い、陣地に籠っていた敵兵たちの士気は高い。仲間が斃れても、斜面を転がり落ちても、蛮声高らかに吶喊してくる。

 近距離から突如突撃してきたわけなので戦闘距離が間近だ。銃撃だけではとても食い止められない。必然的に敵味方入り乱れる白兵戦が展開された。

 己の肉体と銃剣のみが武器である。突っ込んでくる敵兵を突き刺し、あるいは殴打し、殴る蹴る、刺すの暴力の嵐が吹き荒れる。

 ミキも例外なく白兵戦に参加した。敵味方ともに長い戦いで疲れ切っているが、互いに情け容赦なくぶつかり合う。闘志と殺意だけが兵士たちの肉体を動かしていた。

 戦いはいつまでも続くと思われたが、しかし二、三回ほど警笛が鳴り響くと敵は撤退を開始する。勝てないと判断したのだろう。撤退の合図である。

 命令どおり敵は撤退を始めたが、ミキたちは逃げる敵を羽交い絞めにし、あるいは引き摺り下ろして撲殺、刺殺する。手の空いた者は逃げる敵の背中を撃ち、全てが終わると今までの戦闘が嘘であったかのような静寂が訪れた。

 負傷者は出ているが敵味方ともに重傷者はいない。動けなくなった者から殺されたのだから当然である。

「損害は」

 軍刀にべったり付いた血糊を拭きながら、マイハマは各小隊長に確認を行う。損害は思ったよりも少なかったようであるが、しかし各指揮官の顔は暗かった。中には嘆くような言葉を口にする者までいる。

 しかし小隊長たち同様、いやそれ以上に兵隊たちの嘆きは大きかった。

 何しろ損害が「数字」ではなく、文字通り目に見えている。気付けば一人消え、二人消え、と櫛の歯が欠けていくような状況だった。

「指揮班長、夜営の準備を」

「まだ日没まで時間がありますが」

「兵隊たちの疲労も限界だ。少し休ませる必要がある」

 そう言うマイハマも疲弊しきった顔をしている。誰も彼も、みんな限界に達しようとしていた。

「歩哨は多めに立てろ。手空きの者は戦場清掃だ」

 命ぜられるがまま、ミキたちは死体の後片付けを始める。

 もっとも仲間の死体は大切に扱うが、敵の死体は適当に溝に放り込むだけという有様でとても「清掃」などとは言えなかった。

 ふと見ると一人の兵士が敵兵の雑嚢かばんを漁っている。

 当初は敵の持っている情報目当てでの死体漁りであるが、今では戦利品――というよりも飲食物が目当てだった。

 死体の持っていた食べ物、というと気味が悪いが、既に兵士たちの感覚は麻痺してしまっている。ミキも例外ではなく、片付けの片手間に死体を漁った。

 敵の下げていた水筒を振ると、僅かに音がしたので蓋を開けた。何しろ水の補給も日に一度あるか無いかという状態なので、空腹だけでなく咽喉の乾きもある。

「うっ……」

 しかし水筒の臭いを嗅いで、ミキは飲むのを諦めた。

 あまりにも悪臭が酷い。考えてみれば敵の方が追い詰められているわけだからミキたちより良い物を持っている筈がない。実際、水だけでなく食糧の類もほとんど持っていなかった。

「どういうわけだか煙草だけはあるな」

 そう言ってアサキが煙草の箱を差し出したので、ミキは一本だけ抜き取った。ヨモツ国の煙草とは葉が違うのか、咥えただけで独特な匂いがする。

 大狼原野の戦い以降、ミキも煙草を吸うようになった。もっとも美味いと感じた事はない。しかし吸っている間だけは何だか落ち着けるような気分になれた。

「おーいっ! 来てくれー!」

 何やら歩哨の方で声がする。

 何か見つけたのだろうか。敵だったら発砲で知らせる事になっているので、少なくとも危険な物の類ではないらしい。

 ほとんどの者は疲れていたので興味を示さなかったが、ミキは好奇心の方が勝った。小走りで歩哨の所まで行ってみる。

「おぉっ」

 思わず声が出た。

 歩哨が見つけたのは立派な葦毛の馬である。背中に鞍がついているが、しかし周囲を見渡しても持ち主らしき者はいなかった。

「立派な馬だなァ」

 思わずミキは馬の鼻先を撫でる。どうやら敵の将校が乗っていたものらしい。明らかに駄馬やペーペーの兵隊が乗るような馬ではなかった。

「馬肉って結構美味いぞ。煮込んで食おう」

 誰かが嬉しそうに言ったが、しかし誰も馬を殺そうとはしなかった。

「お前やれよ」

「嫌だ」

「じゃあお前」

「無理無理」

 誰もが馬を殺す事を拒絶する。それもその筈で、中隊のほとんどの兵士が農家出身なのだ。そして家には家族同然の農耕馬がいる。馬を殺したがらないのも当然だった。

「どうした」

 騒ぎを聞きつけたマイハマがやって来たので、その場の全員が敬礼をする。

「馬を見付けたので、食おうと思ったのであります」

 馬を見付けた兵隊が率直に言う。

「見たところ筋肉質で食えたものじゃないぞ」

「煮込めばいけると思います。しかし、誰も撃ちたがらないので困っていたのであります」

「ふむ」

 少し考えてからマイハマは拳銃を取り出した。

 弾薬が入っているのを確認し、銃口を馬の額に当てる。

「悪く思うな」

 マイハマの指が引き金に掛かる。

 思わずミキは、というよりも農家出身の者はみんな顔を背けた。馬が撃たれるところを見たくなかったのだ。

 だが、幾ら待っても銃声は聞こえてこない。

「…………お前は煮込むには美し過ぎる」

 ポツリと言って、マイハマは拳銃を拳銃嚢に収めた。

「この馬、食糧にはせずに駄馬の代わりにしよう。少しでも負担が減る筈だ」

 誰ともなくホッと安堵の溜息が出る。

 そしてミキは気が付いた。みんな人を殺すのは躊躇わないのに、馬を殺すのは見る事すら拒絶している。

 認めるしかなかった。

 もはやミキたちにとって、人の命は動物よりも軽いのだ。

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