敵の姿

第7話 これが敵だ!

 小雨が降っていた。

 河川での戦闘から三日。連隊は再攻撃に備えていたが、幸いにして今のところ敵襲撃の気配はない。

 あの夜の戦いは第二大隊および第三大隊の主陣地と、敵およそ一個大隊による正面対決だった。

 第五中隊は十二名を失い、さらに数名の負傷者を出している。損耗率で言えば一割だから決して少ない数字ではない。そのうえ中隊長が流れ弾で戦死しており、実質的な損害は数値を遥かに超えていた。

 これに対して敵はほとんど全滅に近い状態であり、少なく見積もっても五百名が戦死したという。防御陣地に真正面から攻撃してきたのだから当然といえば当然だ。

「案外、敵は我々の情報を持っていないのかもしれない」

 将校たちはそんな事を話し合っていた。

 実際、河川での無謀な戦い方はそうとしか考えようがない。こちらの数を見誤っていたから突撃を続けたのだ。

 将校たちの言う「大戦果」は敵が情報不足であったが故の物だったのだろう。

 しかしその「大戦果」のせいで戦場掃除つまり死体の回収が大変であり、この三日間は敵の弾がいつ飛んでくるのかビクビクしながらの死体集めであった。

 早くしないと腐り始めるので気持ち悪がっているような余裕はない。この作業でミキは死体の埋葬というのは重労働なのだという事を知った。

「重いね」

「そりゃあ六十キロくらいある肉の塊だからな」

 当初はみんな嫌々という感じであったが、概ね三体目の死体を片付けるくらいから慣れてしまっていた。人間というのは思っていたよりも順応力が高いらしい。

 そして死体片付けの合間に第五中隊は戦死した中隊長に代わり、第一小隊長であったマイハマ中尉が中隊指揮官となった。

 中隊「長」ではなく中隊「指揮官」なのは戦闘に関する指揮権しか有していないからだ。細かな運用等に関しては権限を持っておらず、要するに戦闘時の隊長代理である。

 一連の流れで「戦争というのは戦闘が終わったらそれで終わりというわけではない」という事をミキは学んだ。

「これで敵さんも諦めてくれないっスかねェ」

 昼飯時。飯盒の底に付いた米と格闘しながらアカツキが言う。

 地上での戦闘は終わったが輸送船は退避したままなので補給は相変わらず途絶している。そのうえ川の魚も捕れなくなったので食事は貧相になる一方だった。

「諦めないだろ。むしろ一個大隊って面子を潰されたから躍起になると思うぜ」

 言いながらアサキは放り投げるように飯盒を置いた。

「残念だがそれが現実だ」

 しばらく無言。

 アカツキの箸が飯盒の底を掻く喧しい音だけが聞こえる。

「補給はいつになったら来るんだろうね」

 ずっと海を見ていたミキだが、長い沈黙に耐え兼ねて口を開いた。

 この海の彼方に輸送船団がおり、そこにはミキたちが咽喉から手が出るほど欲しい食糧を積んでいる。

 しかしソレがいつ来るのかは全く見当も付かなかった。

「敵の大内海艦隊が沈んだらだろうな」

「でもうちの水雷戦隊は敗けたんでしょ?」

「おう」

「じゃあ来ないじゃないっスか」

 絶望的な表情をアカツキが浮かべる。

「そうなると空軍に頼るしかねェ」

 ミサキは空を見る。

「飛行場の準備が出来れば飛行機が来る」

「そうなれば艦隊を倒せる?」

「たぶんな」

「なんで曖昧なの」

 睨むようなミキの視線を受けてアサキは溜息を吐く。

「現状、航空機が戦艦を撃沈したって記録はない」

「じゃあ駄目じゃないっスか」

「別に沈めなくたって良いんだよ。損傷与えれば輸送船が荷揚げするくらいの時間は稼げる」

 空を見上げながらアサキは言う。

「どっちにしろ飛行機が来ないといけない」

 ミキとアカツキも空を見上げる。

 小さな雨粒が目に入り、ミキは思わず「ッ」と小さく悲鳴のような声を出した。

 残念ながら今のところ飛行機が飛んでくるような気配はない。

「第五中隊、当直を除いて全員中隊本部前に集合ッ」

 唐突に号令が掛かり、三人は顔を見合わせた。

 新しい命令だろうか?

 何だか解らないがとにかく「集まれ」と言われたからには集まらなければならない。飯盒を置き、中隊本部前に向かう。

 小雨の中で集まった雨衣の兵士たちは何故集められたのか解らず、不思議そうな顔をしながらガヤガヤと会話していた。

「新しい命令かな?」

「輸送船が来たって話しなら嬉しいんスけどね」

 兵士たちはみんな思い思いの予想を口にする。

 だが憲兵が三名の兵士を連れてくると静まり返った。

 いずれも青い軍服を着た、角の生えていない兵隊である。

「注目」

 中隊附の見習士官が号令を出したが、そんな事を言われないでも皆すでに注目をしていた。

「先の戦いで捕虜になったマーガレット公国の将兵だ。捕虜からの情報によれば、現状で上陸をしているのは公国軍だけらしい」

 つまり今のところ宗主国であるエルフィンシア王国は陸上戦闘においては出てきていないらしい。

「敵と戦うには先ず敵を知る必要がある。よって座学のおさらいとなるが改めて講義する」

 前置きをしてから見習士官は三名の兵士を中隊の前に立たせる。

「見える位置に寄れ」

 言われた瞬間、みんな興味津々で詰め寄った。

「この犬のような耳が生えたのが犬耳族コボルトだ」

 見習士官は兵士の頭部に生えた犬のような耳を指示棒代わりの枝で差す。コボルトの兵隊は反抗的な目をしたが、見習士官はお構いなしという様子であった。

「次に真ん中の奴。こいつは凡人族ヒュマだ。別名は丸耳。我が国でも一割強の人口がいるから見た事がある者も多いと思う」

 何名かの兵士は無意識のうちに頷いた。

 実際、ミキの村にも何人か住んでいたし、連隊の下士官にも何名かヒュマがいた筈である。

 それから、と見習士官は左の兵士を差す。

 酷く小柄で手足も短い、顔の丸い子供のような兵士だった。

「こいつが小人族ホビットだ。公国の人口の半分を占める。つまり当面の敵はこいつらだ」

「このちっこいのがですか?」

 何処となく揶揄した口調の質問が飛び、周囲でもクスクスと笑う事がする。ミキも拍子抜けたというか、少しばかり肩の力が抜けた。

「敵を侮るな」

 見習士官の叱責が飛ぶ。

「ホビットは確かに小柄で非力な民族だと言われている。だが自活能力が極めて優れ、食えない物まで食えるようにする技術を持っている。これがどういう事か解るか?」

 みんな顔を見合わせる。見習士官が何を言いたいのかよく解っていなかった。

「無補給でも何週間、何ヶ月も生存出来るという事だ。これは今回のような持久が必要になる戦場では大きな脅威だ」

 解ったような、解らないような解説だった。ただ一つだけ理解した事がある。要するにミキたちのような空腹の兵士たちが喉から手が出るほど欲しい技術を持っているという事だ。

「いま紹介した三つの種族は王国系列の国々では基本的に下層階級に位置している。従って兵士の大半はこのコボルト、ヒュマ、ホビットであると考えて間違いない」

「質問」

 ミキが手を上げる。

「なんだ」

森人族エルフは捕まらなかったのでしょうか」

「捕まえていたら見せてる」

 それもそうだ。

「エルフは王国系国家の上流階級だ。基本的には将校、それも中隊長以上の階級にいると考えた方が良い」

 つまり「レア物」という事らしかった。

「他に質問は」

「ありません」

「よろしい。とりあえず捕虜に出来た人種だけを紹介したが、王国系列の国家は基本的に多民族だ。従って他にも異なる人種がいるという事は忘れるな」

 見習士官が締め括った時、突如として警報が鳴り響いた。

「空襲警報ーッ!」

 今まで聞いた事のなかった警報にミキは一瞬戸惑ったが「退避!」という声を聞き、大慌てで陣地に戻った。

 壕の中で鉄帽を被っていると上空から聞き慣れないエンジン音が聞こえてくる。

 轟々と勇ましくプロペラを回しながら現れたのは大きなエンジンを二つ積んだ双発の大型爆撃機であった。

 十機近くで編成された爆撃機隊はミキたちの陣地には目もくれず、飛行場に次々と爆弾を落としていく。

 整備途中だった滑走路で次々と爆炎が上がり、爆撃隊が引き揚げた頃には飛行場に大きな穴が幾つも空いていた。

「こりゃあ整備も一からやり直しっスね……」

 愕然とした表情でアカツキが呟く。

 どうやら孤立無援はまだまだ続きそうだ。

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