第5話 夜襲

 陣地構築を始めてから幾度目かの夜になった。

 これまでと同じように歩哨を立て、他の兵士たちは自分らで掘った穴の中に毛布と天幕を寝具にして横になっている。

 しかし眠れているのは一部の者だけだった。

 多くの兵士は疲れているにも関わらず、眠れない夜を過ごしている。

 何も春の夜は肌寒いからではない。

 一昨日に「島の南部に敵が上陸した」という通達があったからだ。

 そして今日の昼頃には前哨が敵の偵察隊と思しき兵士たちと遭遇、小規模な戦闘が行われたと聞かされた。

 敵は撃退したが装具などから明らかに基地設営隊や警備隊の類ではなかったという。つまりは上陸した敵である。

 中隊の将校たちは上陸した敵が公国軍なのか、王国軍なのかで討議していたがミキにとってはどちらでも然程変わりはなかった。

 敵が上陸し、こちらに向かってきている。

 ミキだけでなく、ほとんどの兵士にとってはソレこそが重要であった。

 この数日で陣地は充分に補強できている。歩兵が携行出来る程度の大砲ならビクともしないだろう。

 だが肉迫され、陣地内にまで侵入されたらどうだろうか?

 眠れずにミキは起きると陣地から少し顔を覗かせた。

 目の前に広がるのはそれなりの幅がある川。しかし深さはあまりなく、渡ろうと思えば船や橋などが無くても渡る事が可能だ。

 右翼は別の中隊が守備に就いているし左翼は海である。従ってこの陣地で敵と戦闘になるのは、敵が対岸から正面攻撃を仕掛けてきた時だ。

 その対岸も深い木々に覆われており、見通しが利くように伐採などもしている筈だが陣地からはほとんど奥が見えない。

 くわえて今夜は月が明るく照らしているから良いが、曇り空だったりしたら目の前の川すら見えなくなるだろう。

 ……大丈夫だろうか?

 ……いや、そもそも自分は敵を撃つことが出来るのだろうか?

 どうにも目の前で戦死した古兵の姿がチラつく。

 考えれば考えるほどに不安になり、ミキは深く考える事を止めて寝床に戻ろうとした。

 ふと。

 対岸で何かが動いた気がした。

 思わず小銃を手に取って対岸を凝視する。

 暗闇であるので何も見えない。周囲を見渡してみたが、歩哨以外に誰も起きている者はいなかった。

 再び対岸を凝視する。

 やはり暗闇で何も見えない。しかし何かが木々の間を動いているような気がする。

 何だろうか?

 一瞬、持っている携行式の電球で照らそうかと考えたが、敵だった場合は位置を知らせる事になる。自殺行為でしかない。

 さりとて他に方法もなく、ミキは眉間に深い皺を寄せながら対岸の凝視した。

 やはり何も見えない。

 それから一時間ほど対岸と睨めっこしていたが、月の位置が移動して対岸が照らされるようになると風で木が揺れていただけだと判明した。

 ホッと安堵の溜息を吐くと同時に、自分の臆病さに嫌気が差す。

 ミキは再び寝床に戻り、毛布にもぐった。

 明日もある。眠らねばならない。

 しかし幾ら経っても眠る事は出来ず、気が付けばすっかり日は昇っていた。


   ◇


「クマ、酷いっスよ」

 アカツキに指摘され、ミキは「えっ」と声を上げながら思わず手で目の下を触った。

 無論、そんな事をしても解る筈がない。

「寝れてねぇのか」

 朝食を食べながらアサキが訊ねる。

 今日の献立はやや豪華で米と川で獲れた魚の塩焼きだった。

「この魚、小骨多いね」

 魚を解しながらミキは話しを逸らす。

 臆病風に吹かれて一晩中眠れなかったなんて事は知られたくなかった。

「話しを逸らすなよ。寝てねぇのか」

 逸らすのに失敗したミキは観念して「うん」と頷く。

「でも大丈夫」

「大丈夫なわけあるか阿保。少し横になってろ」

「課業があるから駄目だよ」

「良いから寝ろ。オレたちが誤魔化しといてやる」

 そうまで言われれば断るわけにもいかない。

 ミキは食事を終えると「ごめんね」と言ってから横になった。

「アサキって何だかんだ優しいッスよね」

「うるせぇな。頭引っ叩くぞ」

 壕では戦友二人がそんな話しをしていた。


 暗転。


 気が付けば夜になっていた。

 余ほどグッスリ寝ていたのだろう。全く何も覚えていない。横を見るとアサキが寝息を立てているので既に就寝時刻は越えているようだ。つまり朝から丸一日寝ていたという事になる。

「起きたんスか?」

 陣地から対岸を見張っていたアカツキがミキに訊ねる。

「うん。ありがとう」

「ご飯は飯盒に入れてあるので食べといた方が良いッスよ」

「ありがとう」

 飯盒の蓋を開ける。中には米と二切れ程度の浅漬け。どうやら今日は不漁だったらしい。

 口にする前に臭いを嗅いだが、幸いにして駄目にはなっていないようだった。

「昼間になにかあった?」

「特に目新しい事はないっス」

 対岸の木々の間を凝視しながらアカツキは言う。

「……いま何か動かなかったっスか?」

 アカツキの言葉にミキは大慌てて対岸を見る。今夜は曇り空で月が隠れているので視界が悪い。そのせいで目の前の川すらほとんど見えない状態だ。

 しかしどうやら生物が動いて揺れたのではなく、風のせいであるようだった。

「風、だと思う」

「そうっスかね?」

「臆病風ってやつかな」

 アカツキは不服そうに眉間に皺を寄せる。

「言ってくれるっスね。自分はビビって寝不足になったくせに」

「それとこれとは別。それで? 昼には何かあった?」

「さっきも言ったけど、特に何もなかったっス」

 そこまで言ってから、アカツキは改めて対岸を凝視した。

「いま何か聞こえたっス」

「また風じゃない?」

 そう言ったミキの耳にも何か奇妙な音が届いた。

 慌てて鉄帽ヘルメットを被り、アカツキの隣で対岸を凝視する。

 先ほどと同様に真っ暗闇で何も見えない。しかし確かに何かの音はする。

「なんの音だ」

 アサキまで起きて鉄帽を被った。

 周囲の壕でも気付いたのだろう。みんな跳び起きて音のする方角を見ている。

「水……の音?」

 パシャッパシャッという水が跳ねるような音だ。

「中隊、弾込め」

 小声で命令が伝えられ、ミキも愛銃に弾薬を込めた。

「照明弾を打ち上げる。命令あるまで発砲はするな」

 全員小銃を構え、引き金に指を伸ばしていつでも発砲できるようにする。そうこうしている間にも謎の音量は増していく。どうやら接近しているようだ。

 ここにきて、ほとんどの者が「敵襲」を確信していた。

 後方の迫撃砲が吊光弾を打ち上げ、兵士たちの頭上で輝く。

 吊光弾というのは落下傘付きの照明弾であり、打ち上げられた途端に周囲が真昼のように明るく照らし出された。

 瞬間。

 思わずミキは愕然とした。

 目の前に広がる川。そこを十名以上の兵士が渡ろうとしている。その兵士たちは頭から擬装網を被り、身体中に葉や枝を挿していた。

 軍服は青色で、被っている鉄帽はスープ皿のようだ。

「敵襲ッ!」

 誰かが叫び、ミキは我に還った。

「中隊、各個に撃てッ!」

 号令。

 陣地の兵士たちが一斉に発砲し、次々と川の兵士たちが斃れて水飛沫が上がる。ミキも発砲したが、誰の弾が何処に飛んでいるのか解らないような状況だったので当たったかは定かでなかった。

 この遭遇は敵にとっても予期していなかったらしい。

 川の半ばまで来ていた敵兵が慌てて対岸に戻ろうとする。そこを容赦なく撃ったが、陣地の各所に銃弾が飛んできて皆思わず身を屈めた。

 対岸からの銃撃だ。木々の間をチカチカと銃火が光り、陣地のあちこちで着弾の砂煙が上がる。

 入念に作られた陣地なので容易に弾丸が飛び込んでくるような事はない。しかし今のミキたちにはそんな楽観的に考えられる余裕はなかった。

 とにかく撃つ、装填、撃つ、装填を繰り返す。

 対岸ではしきりに号笛ホイッスルが鳴り響く。

 密林の中を青い軍服の兵士たちが走り抜けていくのが見え、ミキはそれを狙って何発か撃ったが、当たっているのかいないのかはサッパリだった。やはり射撃場で撃っているのとは感覚が違う。

 他の兵士たちも同様らしく、興奮して撃ちまくってはいるが命中しているのかどうかは全く定かでない。

 しかし小銃はともかく各所に配置された機関銃や擲弾筒は確実に戦果を上げていた。

 機関銃によって大量に放たれた銃弾が次々に敵兵を穿ち、擲弾筒の榴弾が周囲の木ごと敵兵を吹き飛ばす。

 それでも敵が怯んでいる様子はない。

 対岸からは銃弾が飛来し、時として陣地の近くで派手な爆炎と土砂が舞い上がる。敵も大砲を持っているのだろうか。

 何度も鳴り響く号笛、飛び交う命令や蛮声、引っ切り無しに続く銃声や砲声、そして爆音という不快な演奏オーケストラが戦場で奏でられる。

 とても聞いていられない。耳を塞ぎたくなる。しかし手を止めるわけにもいかず、ミキは壊れた玩具のように小銃の引き金と槓桿ボルトを繰り返し操作した。

「弾薬の節約をしろ!」

 分隊長の叱責の声が飛ぶ。それでようやくミキは我に還った。下手な鉄砲も数撃ちゃ当たるとは言うが銃弾は無限ではないのだ。

「突撃ッ!」

 声が響き渡り、続いて号笛が鳴り響く。

 最初、ミキは自分たちに命令が出されたのかと思って壕から跳び出しそうになったが、直ぐに自分たちに下された命令ではない事に気が付いた。

 驚くべき事に敵指揮官の声である。

 大陸共通言語で敵側も同じ言葉を話すという事はミキも知っていた。しかし実際に敵兵が自分たちと同じ言語を使っているのを聞くのとでは実感が違う。場違いながらミキは驚き、戸惑ってしまった。

 だがその戸惑いは直ぐに霧散する。

 敵は強行渡河しようと画策したのだろう。機関銃の支援を受けながら次々と川に入り始めた。

 銃剣の付いた小銃を槍のように構え、青い軍服の兵士たちは川を渡って来る。

 しかし彼らにとって不幸だったのは、満ち潮によって想像以上に川が深くなっていた事だ。

 普段は腰程度の水位だが、満ち潮時は深い所になると胸元くらいまで上がる。不安定な足元と水の抵抗で思うように前に進めず、そこに銃弾が襲い掛かるわけなので渡河しようとした敵兵は成す術なくバタバタと斃れていった。

 しかし川に沈んでいるからだろうか。あれだけ次々に斃れているにも関わらず、死体がほとんど見当たらない。まるで消えているかのように錯覚して、ミキはゾッと悪寒が奔るのを感じた。

「集積所から弾薬を貰って来い!」

 分隊長から命令が下り、ミキとアカツキ、アサキは陣地を出て物資集積所に向かう。とはいえ銃弾が飛び交っている中なので、とても立って走る事など出来ない。地面にへばりつき、匍匐前進で後方の集積所まで這っていく。

 物資集積所では他の分隊も来ており、半ば強奪するかのように弾倉と弾薬箱を持って行った。

「中隊長戦死! 第一小隊長が臨時に指揮を執ると大隊長に連絡しろ!」

「吊光弾をもっと打ち上げさせろ!」

「第三大隊の陣地にも襲撃です!」

 集積所近くの中隊本部では中隊の将校や電話交換手たちの怒鳴り声が飛び交っている。

「いま聞いたか?」

 驚愕した表情でアサキが訊く。

「聞いたっス。中隊長戦死って……」

 愕然とする二人だったがミキはそれどころではなく、とにかく現状から脱したいがために「早く行くよ!」と二人に声を掛けた。

 どうやら二人はミキが平静さを保っていると勘違いしたらしい。頼もしそうな顔で頷き、這って先を進むミキについてくる。

 陣地に戻り、弾倉マガジンと弾薬の入った弾薬袋を機関銃班のいる壕に投げ込む。

 それから壕の底に座り込み、ミキは荒れていた呼吸を整えた。

 激しい銃声と砲声は、未だ鳴り止まない。

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