海月みたいに

ニニ

海月みたいに

 夢を見た。

真っ暗で何も見えなかった。でも一人じゃなかったの。誰かの声がしたから。

「おーい、こっちだ。右に曲がればいいぞー。」

そっちに行けばいいと思ったの。道があるかも分からなかったから確証も無かった。

「本当にそっちで合ってる?何があるか見えないけどあなたを信じていいの?」

「大丈夫だよ。みんなこっちに来たんだからお前も大丈夫だって。」

「でも道があるのかすらも分からないのよ?」

「今は怖いかもしれないけどここを乗り越えたら将来が楽になるぞ!」

「だけどこっちなら大丈夫って保証はないのよね?」

「そりゃそうだけどお前はまだ子供なんだから大人の言うことを信じれば良い。俺もそうだったから。こっちに来れば将来安泰だぞ。」

信じて進んだ。それしか道が無いと思ってたから。

「痛っ!……嘘つき。」

 大人なんて信じない。それが私の生き方だった。


 朝起きる、ご飯を食べる、着替える、学校に行く、海月に会う。海月は高校に入ってから最初に声をかけてくれた親友。

「おはよー。何調べてんの?」

「別になんでもない。今朝のニュースって何かあったっけって思っただけ。」

「そんな見えすいた嘘に海月さんは騙されないぞー。…って楽に死ぬ方法?悪趣味だねー。何?死にたいの?」

「そうじゃないんだけど。なんか…気になっただけ。」

「死なないでよ?」

「当たり前じゃん。」

「なら良いんだけど。それよりさ、本日はなんの日だか知ってますか!日向さん!」

「え、知らないけど。」

「クウガの卒業ライブの当落発表の日だよ!」

「誰だっけ?」

「歌い手チーム「炭酸水ばかり飲んでいる」の私の最推しだよ!いつも話してる!」

「こないだはGDKのシュンが最推しって言ってなかった?」

「それはGDKの話!今は炭いるの話をしてるの!」

「で、結果はどうだったの?」

「発表は今日の正午だからまだ分かんない。」

「んじゃ無事をお祈りしてます。」

「もうドキドキしすぎて夜も8時間しか寝れてない。」

「授業で寝ないようにだけ気をつけて。」

「ひどい!親友のことを心配してくれても良いんだよ?」

「はいはい。当たっていると良いでちゅね〜。」

「馬鹿にしてるでしょ?」

「してないしてない。」

変わらない光景。時計が8時30分を指せば先生が入ってくる。

「お前らー席つけー。授業始めるぞ。進路希望今日締切だからなー。」

「あっ、忘れた…。」

「出してない奴は放課後進路指導室に来るように。」

「げっまじか。」

「出してない日向が悪いんだよ?」

「そりゃそうだけどさー。」

正直まだ高一だよ?とりあえず授業聞いとけばなんとかなると思うんだけどな〜。それに去年まで高校高校言われてたのにもう大学とか休みないじゃん。

「以上。これでSHRを終わります。」

先生が帰っていく。どうせ今日は放課後まで来ないんだ。

「良いよね〜海月は。もう進路決まってるんだっけ?」

「もちろん!愛しのシュンのためにコンサートを運営する会社に入りたく、映像学科に入ります!そしてあわよくばGDKのコンサートを!」

「おぉー夢があるねー。」

「でしょ?日向も来ない?」

「私はどうしようかなぁ。正直将来のこととかよく分かんないし。」

「私と残りの人生を歩んでくれてもいいんだよ?」

「遠慮しまーす。最初の授業は…」

「数学だよ。もう、日向ったらツ・ン・デ・レなんだから!」

「うんうんそだねー。」

 本当にいいなとは思ってる。将来の夢があってそれに向かって頑張れて、後悔もするだろうけど満足のいく人生を送るんだろうなって思う。私には推してる人がいない。人生かけれるほど好きなものもない。得意なことはパッとは出てこない。何もない。


「それで、桐山は進路は決まったか?」

「先生、私まだ高校入学して半年ですよ?」

「高校生なんてあっという間だぞ?志望校に楽に合格するには早く決めてそこに特化した学習が必要だ。」

「でも正直将来とか分かんないですし。」

「選択肢を広げるにはいい大学に行った方がいいな。」

「それはそうですけど…」

「東大とかどうだ!」

「私の学力でいけるとでも?」

「そうだよな〜。早慶…もこのやる気じゃ無理かもしれんな。」

「ちょっとくらい頑張れっていう素振りを見せてくださいよ〜。」

「でもお前そういうの嫌いだろ?」

「そうですけど。」

「で、どうすんだ。」

「今出せって言われても出せないですよ。」

「みんな出してるからな〜。桐山だけ特別扱いというわけにもいかないだろう?」

「いかないですね。」

「分かったら早く出す。」

「え〜。」

「志望校なんて後からいくらでも変えられるんだから適当に書いとけ。明日提出な。」

「はーい。」

 やっと終わった。これで生徒指導室から教室に戻れる。でも海月はいない。卒業ライブに当たったとかで準備のために授業が終わった後早々に帰っていった。そのライブ3ヶ月後だよ?今からでも準備しないとこの気持ちを抑えられない!、なんてこと言って。

 スマホを見る。いい感じの大学を検索しようとすると検索履歴に「自殺 楽 方法」と書いてある。検索したところで何も出てこなかった。……それは嘘だな。今後一生お世話にならないだろう電話番号は出てきた。死ぬことも満足にさせてはくれないのか。社会も厳しくなったものだ。それともおかしいのは私の方か。やはり私は生きるしかないのか。そんなことを考えるのもめんどくさくなった私は帰路についた。


 朝起きる、ご飯を食べる、着替える、学校に行く、海月に会う。

「ねぇ〜日向よ日向。日向さん!何を調べるのは個人の自由だと思うんですけどぉ、自殺ばっかり調べるのやめません?」

「どう調べたら欲しい情報が出てくるか知りたくなって。」

「ダメダメダメ!第一、ネットに聞くより身近な方法があるでしょ!」

「何?」

「えっと〜ほら〜スクールカウンセラーに聞く!…とか?多分これが一番楽じゃない?お金かからないし、ネットみたく規制もかかってない!」

「自殺をやめさせようとしてるでしょ。」

「エ〜ナンノコトダカ、クラゲワカンナ〜イ」

「嘘下手か。……まぁいいや。行けたら行くよ。」

「それ絶対行かないやつじゃん。」

変わらない光景。時計が8時30分を指せば先生が入ってくる。

「おい桐山!進路希望持ってきたか?」

「あ…あはは〜」

「じゃ、今日も放課後進路指導室ってことで。」

「いや、今日はやめません?」

「なんでだ?」

「えっと、ほら〜私今日予定あるし?」

「何がある?」

「え〜っと、あ!ほらスクールカウンセラーのところ行くんで。」

「やだぁ日向行く気になってくれたの!ホントにツ・ン・デ・レ!そこが可愛いんだよなぁ〜」

「じゃあしょうがないな。ほらみんな席つけ〜」

どうしよう勢い任せに言っちゃったよ。しかもよりによって学校の機関。サボっても確認の方法はいくらでもあるんですけど〜。こうなったら本当に行くか?いや〜でもな〜こんな人に言えないようなこと抱えててもな〜。

「私相談室予約しとくからね!」

 終わった。私には逃げることはできないんだ。


 足が重い。ことわざじゃない。本当にだ。だってさっきの体育で怪我をしたから。床を踏むたびに膝に痛みが走る。まるでキリスト、いや私が死のうとしたことへの罰のようだった。実際はそんなことは無いと知りつつも何かのせいにしないとやってられない。重い足取りは私を相談室へと運ぶ。なんで人生はこう上手く行かないんだろう。

 ガチャ

ドアを開ける音がして低めに一つ結びをした優しそうな女性が出てきた。

「あらごめんなさい。時間になってもこなかったから探しに行こうかと思って。」

「足怪我してて歩きづらくて…すみません。」

「いいのよ。スカートから見えるほど包帯巻くような怪我じゃ立ち上がるので精一杯でしょ。でも怪我した時に保健室の先生にでも「遅れる」って言ってくれれば私嬉しかったな。」

「…はい。」

「座って話しましょ。そこまで歩ける?」

「まぁ、なんとか。」

半分足を引き摺りながらソファに座る。教室のと違って座り心地がいい。保健室にもこんなのあったよな。座っておけばよかった。

「で、桐山さんはどうしてここに?」

「いや、別にそれといったことはなくて…」

「どんなことでもいいわ。くだらなくても、独りよがりな話でも。守秘義務があるから誰かに伝わることもない。もちろん虐待とかは警察や担任に話すことがあるけどその時は許可を取るから。私と桐山さんとの秘密。…秘密というと緊張しちゃうかしら?」

「いえ、そんなことは…」

ちょっといいかもと思ってしまう。虐待みたいに警察が関わる必要もないから守秘義務は発生しない。話したら楽になるかもしれない。本当はどうでもいいことで悩んでたんだってなるかもしれない。何かがどうにかなるかもしれない。その根拠のない希望は私の口を開くには十分な理由だった。

「……自殺について調べるのはいけないことですか?」

「えぇ、それはいけないわね。だってあなたにはこれから楽しい将来が待ってるもの。今終わらしちゃうのはもったいなくない?」

分かりきってた答えが帰ってきた。でもそれだけじゃなかった。

「でも死にたいなら私に止める権利はないわ。当たり前じゃない。あなたが死んでも世界は変わらず回り続ける。強いていうなら親御さんが悲しむくらいかしら。」

死ぬことを肯定されるとは思わなかった。大人というのは思ってもない綺麗事を言う存在ばかりじゃない。それを知っただけでも嬉しかった。だから私はこの人になら全てを話せると思った。

「どうして桐山さんは自殺したいと思ったの?」

そんなこと考えてもなかった。言われてみるとなんでだろう。意識し始めたのはいつからだろう。きっかけになる出来事はなんだったんだろう。あの夢はいつ見たんだっけ。考えても考えても引っかかることもない。

「特に思い当たる節はないですね…」

「まぁ思春期だしそんなこともあるわよね。私も高校生の時そんなこと思ったわ。でも実際に死のうとはしなかったわ。そこは少し桐山さんと違うかしら。参考にならなかったらごめんなさい。でもね多分桐山さんは今、死にたい原因に思い当たることがないでしょ?」

心を見透かされたような気分だった。確かに思い当たることはない。でも何かが苦しくてどうしようもないのだ。

「大丈夫。探していけばいいもの。親と話すのが苦しい?」

「いえ、そんなことは。」

「成績って悪い方?」

「補修にかかったことはないです。」

「友達はいる?」

「毎朝話しかけてくれる子がいます。」

一個一個、原因になりそうなものを挙げられる。学校、人間関係、日常生活…でも本当に何もない。

「あのね、桐山さん。こんなことで救われるとは思わないけどこの世界にはもっと苦しんでる子がいるの。飢餓や貧困、まともに教育を受けられなかったり命の危機に晒されてる子供もいる。日本にもいわゆる毒親って言われてる人に育てられてる生徒だっている。そう思えば私なんてちっぽけな悩みだったんだなって思えない?」

言われなくても分かってた。海月だっていつもいつでも笑ってきたわけじゃない。先生だってそうだろう。今は苦しいけどいつか過ぎるって言いたいんだろう。死にたくても死ぬことすら許されない、生き地獄が人生の大半をしめてる人がいる。その人からしたら私なんてピーマンが嫌いだから死にたいって言ってるようにしか聞こえないだろう。でもそんなことはどうでも良かった。

「やまない雨はないっていうから大丈夫よ。今は辛いけど乗り越えれば将来楽になるから。桐山さんらしい対処法を見つけてね。」

違う、私が聞きたい言葉はそれじゃない。なんて言って欲しいかは分からないけどそれじゃないことだけは分かる。何がいけないんだろう。なんでみんなみたいにいかないんだろう。分かんない。

「桐山さん?」

「…いえ、なんでもないです。ありがとうございました。」

「なら良かったわ。苦しいのはあなただけじゃない。またいつでも話に来てちょうだい。」

「はい。」

 急ぎ足で部屋を出る。足の痛みなんてどうでも良かった。それ以上に早く一人にならにと涙が出そうだった。先生が言った「この世界にはもっと苦しんでる子がいる」が私の脳内を反響する。このまま教室で首でも吊ってしまおうか。無理だ。私にはその勇気はない。どうしようもないまま私は教室に着いた。そのまま誰にも会わないような経路で家に帰った。誰かに見られたら心配されると思ったから。途中で買った水で抜けてった水分を補給する。


 自室のベットに転がっていた。時計は丑三時を指していて私は何もできずにただひたすら転がっていた。寝られない、寝たくない、睡魔が襲ってきている。でも寝ることはできなかった。私は寝ることすら許されない人間なのだろう。

 何かが怖かった。でも何が怖いのかよく分からなかった。何かが嫌でそれを避けるため死にたいと思っていた。誰でもいいから助けて下さい。助けてくれたら一生パシリしますから。

 ジリリ!

いつの間にか寝ていたのだろう。気づけば朝になっていた。寝て起きたら学校に行ける程度になっていた。やはり私の悩みなんてその程度なんだろう。


 朝起きる、ご飯を食べる、着替える、学校に行く、海月に会う。

「昨日どうだった?」

「別に。どうってこともないかな。」

 どうでもいい。どうでもいい。自分を言い聞かせる。嫌なことは無かった。先生は事実を言っただけだから。誰も悪くない。たまたま相性が悪かっただけなのだと。だからどうでもいい、どうでもいい。

「日向?」

変わらない光景のはず。ほらいつもよりみんなが騒がしいから違う感があるだけ。時計が8時30分を指せば先生が入ってくる。

「お前らー席つけー」

今日の先生はいつもより険しい顔をして入ってきた。

「知ってる人もいるかもしれないが隣の学校の生徒が不審者に襲われる事件が発生した。持っていたナイフで腕を切られたそうだ。」

朝から騒がしかった原因はそれか。日々ニュースでやってる傷害事件がここまで身近で起こるのは初めてだ。少し胸が高鳴る。

「警察やマスコミで騒がしくなるかもしれんが犯人が捕まるまでの辛抱だ。それとマスコミに聞かれても何も答えるなよ。余計騒がしくなるだけだ。授業は午前だけ。4時間目の授業をホームルームに変更する。以上。」

先生は足早に去っていった。教師という職業も大変なんだろう。

「日向ー!4限ってさ、生物だよね?」

「そうだったはずだけど」

「やったー!生物の課題何一つとしてやってこなかったんだよね!」

「それはラッキーだね。」

 真面目にやってきた私としては「先に言われればやってこなかったのに」と思いつつ、海月の幸運力にひれ伏すばかりだった。そういやこないだライブも当たってたよね。ラッキーな人っていいな。そう思いながら1限の教科書をロッカーに取りに行った。


 4時間目のホームルームは不審者対策だった。要は不審だと思ったら警察に言えだの、誰かと一緒に帰れだの。小学生の頃から聞き慣れたやり方が私の耳にタコを作った。

 でも不審者か。私とは縁遠い存在だな。きっとこの世の何かが上手くいかなくて、ムカついたから、それを行動に移した。結果的に経歴に傷をつけたとして後悔してもやっぱり今は自分の行いに疑問を持たないんだろうな。それとも愉快犯か。個人的には無差別な人がいいな。可愛い子ばっかり狙ったら私が襲われないし。でも傷つくだけなら意味ないな…こう、もっと一思いにグサっと。死ねないなら殺してもらえばいい。死んだら私はどうなるだろう。死んだら私は…

「死んだら親御さんが悲しむぞ」

頭によぎった。よく自殺志願者にかけられる言葉だ。別に死んだら親が悲しんでるかとか分からなくない?だって眼や耳はもちろん、脳だって機能してないんだから。死んだらきっと死んだことすら気づかないんだろうな。だってそれを感知する機能が働いてないんだもの。っていうか死ぬ瞬間ってどんな感じ?意識が遠のいて失っていく、まるで寝ているような感覚。気づいたら死んでいる。今日は起きた時に寝ていたことを自覚した。じゃあ死んだら?起きなければ寝ていたことが分からないなら死んだことはいつ分かるの?暗闇の中永遠に彷徨って考えているうちに気づく?いや、考えることさえできないんだ。だってそれを感知する機能が働いてないんだもの。考えれば尽きない”かもしれない”を想像していく。


 今気づいた。さっきまで真っ暗の空間に居た。でも気づけなかった。体の感覚はなかった。音は聞こえなかった。でも景色はこびりついている。今になって目から入った情報が脳で処理されたからだ。怖かった。何も感じない、考えれない、その全てに気づけない。空白の時間。ただ私はあの空間に「存在」していたのだ。椅子から落ちたのだろう、お尻が痛かった。

 保健室のベットで寝ている。お腹がすいた。大丈夫。感じる、考えれる、私は生きている。あの後、私は保健室に運ばれた。そりゃそうだ、だっていきなり倒れるんだもん。

「調子はどう?」

カーテンが開いて保健室の先生に声をかけられる。

「…大丈夫だと思います。」

まだ本調子じゃないけど。

「外でお友達待ってるからね。二人で帰るのよ。」

不審者が出た以上一人では帰せない。だから海月が待っていてくれた。

「ごめんね、待たせちゃって。」

「いいよ。それより大丈夫なの?」

「まぁ…多分。」

何があったかを伝わるように話すには信憑性が足りないだろう。いきなり”精神だけ別の世界に行ってました”なんて口が裂けても言えない。でも本当に体験したことなのだ。

「ここでいいよ。またね、海月。」

「うん。バイバーイ!」


 家に帰り、一人になった瞬間急に怖くなった。死ぬのが怖い。死んだらまたあんな世界に行くのだ。いや、今じゃなくてもいずれ行く。明日か、80年後か。もし明日交通事故にあったら自分が描いていた道がなくなってあの世界に行く。そして転生するまで意識がないまま存在だけし続けてる。これが世界の真理なら私はすごく怖かった。

 机を見ればくしゃくしゃになった進路希望調査の紙が置いてあった。いいかげん書かないといけない。私はどうなるんだろう。大学行って、就職して「これで生きていくんだ!」ってなって、急に奪われる。どれだけ未来を思い描いても明日死んだら向こうの世界。

「…死にたくないな。」

自室で一人呟いた。


 朝起きる、ご飯を食べる、着替えない、学校に行かない、海月に3日会っていない。

 1日目は体調が回復してないから、と休んだ。2日目はまだフラつくからと言った。昨日はなんとなくいきたくなかった。

「海月ちゃん来たわよー」

お母さんの声がして自室のドアを開けると海月が入ってきた。


「大丈夫?」

「……。」

「不審者は被害者の元彼だったって。計画的な犯行だったらしいよ。」

「……。」

「ねぇ日向、何か言ってよ。」

何も言う気は無かった。っていうか言いたいことも無かった。 それでも長い沈黙を破ったのは私からだった。

「…なんで生まれてきたんだろ。」

「………」

「生まれてこなければこんなに苦しまなかったのに。」

そうだ。生まれてこなければ生きる恐怖も死ぬ恐怖も味わうことはないはずだった。

「そんなこと言わないでよ。」

「良いよね。海月は。」

自分でも何を言ってるかよく分かってなかった。でも海月だって今までの人生を笑顔だけで過ごせてきたわけじゃない。中学の時に仲間外れにされていたことも知っている。でも、動く口を止めることができなかった。

「辛くてもなんとかなって、推しがいて、夢があって、死にたいって思わなくって、未来があって、生きたいって思えて、私みたいに苦しんでないんだ、」

私は酷いことを言ってる。それを海月は何も言わずに聞いてくれている。

「違う、あのね、海月を悪く言いたいんじゃなくて、その、…怖いの。怖くて怖くて仕方ないの。」

「学校が?」

「ううん。でも…!」

言いながら自分の思考を整理していく。何も考えずに言葉を出して、訂正していく。どれだけ遠回りでも海月は何も言わずに聞いてくれてた。

「怖いんだよ。何も怖くないはずなのに怖いんだよ。成績が悪いわけでもない、いじめられてるわけでもない、親に虐待されてるわけでもない、何にも問題なんてないけど怖くて死にたい。」

死にたい。そう言うたびにあの世界が蘇る。今も刻一刻と私自身に迫ってきている。いつ出会うかは分からないけど。

「未来が怖い。いつ死ぬんだろう、親が死んだらどう立ち直ればいいだろう、ねぇ海月、海月がいなくなったらどうしよう。このまま生きたらいつか出会う運命なんだよ?生きるのが怖い、生きたくない!」

ずっと何かに怯えてた。今なら分かる、いつか起こりうる出会いたくない未来だ。自分は死にたいって言ってるくせに他人には死んでほしくないって思ってる。

「大丈夫、私はいなくなったりなんてしない。」

海月は優しかった。人生の親友になってくれる自信があった。でもだからこそ死んでほしくなかった。死なないだなんて思ってる海月がひどく憎かった。怒りと寂しさを混ぜながら肩を掴んだ。

「分かんないでしょ!もしかしたら明日事故に遭うかもしれない。そんな状況に出会いたくない!その前にこんな人生断ち切ってしまいたい!…けど、死にたくない。死にたくないよ、私。もっと生きてたい。何年も何十年も。」

 ”かもしれない”だなんて考えるだけ無駄かもしれない。でも今はそれしか考えれない。ずっと死にたいって思ってた。でも違う。本当は…生きたかったんだ。

「生きてたいのに…生きてたいから…死ぬのが怖いの。どれだけ充実した人生を歩めてもそれが急になくなっちゃうのが怖いの。ずっとこのまま、今のままで時が止まってしまえば良かった。でも止まってくれなかった。もうやだ、生きたくない、生きたい、死にたい、生きたい、死にたい…生きてたい!」

 矛盾している。そんなこと分かっている。生きたいから今すぐ死にたいのだ。これからもずっと生きてたいから、死ぬのが嫌だから、未来を断たれるのが怖いから、だからそうなる前に死んでおきたいのだ。

「もう戻れないよ…知らなかった頃には…一回感じたらそればっかり気になってくる…無理だよ…みんなに追いつけない。明るくなれない。いっそ溶けて消えてしまいたい。」

「追いつけなくてもいいよ。他の人に置いていかれたって日向が昨日より一歩でも進んだら、指が1ミリでも前に進んだら、顔が1度でも上がったら、全力で肯定するから。否定なんて絶対しないから。だから私は日向に生きててほしい。」

”生きててほしい”だなんて初めて言われた。固く掴んだ海月の肩をそっと離す。涙も感情も全部ぐっちゃぐちゃになっても海月は私をまっすぐ見つめてくれた。

「生きろだなんて軽い言葉は言わないよ。でも、私は日向に生きててほしい。もっと一緒に色々したい、私の推し活の話を聞いてほしい、朝来たら話しかけたいから、生きててほしい。」

 私はわがままだった。結局自分のこと以外考えられてない。誰も死んでほしくなかった。でも同じくらい海月もわがままだった。海月は私に生きててほしかった。ずっとそう言ってたはずなのに私は気づけなかった。その一言で救われるだなんて思わずに無視していた。

「…ありがとう」

「もう死にたいなんて言わないでね。」

「…努力はするね。」

「ねぇ!」

 生きることの怖さを死ぬことを怖さを忘れることはできない。これからも何度も生きることが怖くなる。その度に死ぬことも怖くなる。溶けて無くなってしまいたくなる。それでもいいから私は生きていたい。

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