入学前夜編
第1話
B SIDE
私は小さい頃から歌うことが好きだった。「上手に歌えたね。」と周りの大人に褒めてもられるのが嬉しかったのだ。
近所の爺ちゃん家には、父ちゃんやおいちゃんがまだここに住んでいた頃のCDのコレクションとコンポと呼ばれるCDを聞く機械がそのまま残されており、私と兄ちゃんは何がなんだか良く分からないままよくそれらを聞き漁っていた。
中学生になると小学生から習っていたピアノは辞めてしまったけども、音楽の授業でクラシックギターに触れたのをきっかけに、爺ちゃん家にあった弦の切れたフォークギターに興味を持ち毎日夢中になって弾いていた。
高校に上がると爺ちゃんと婆ちゃんが入学祝いだと言って新しいギターを買ってくれた。楽器屋の店員さんに相談し購入したそれは、線を繋げばアンプで鳴らせるからバンドでも使えると説明されたエレアコだった。
福岡の中でも田舎の町の更に端っこに住む私は、自転車で片道30分掛かる高校に通っており、鼻歌を歌いながら通学をしていると家や学校に着く頃にはそれがある程度形になり、忘れないうちにと譜面やスマホのボイスメモに書き留めるのようになった。そしてそれを元に家でギターでコードを付け適当な歌詞を書いて曲らしきものを作るのが日課のようになった。しかし文化祭でバンドをやるような高校ではなかったため発表の場は無く、ただひたすら一人で曲を書き留めていたのだった。
私は爺ちゃんと婆ちゃんの広大な畑を一望出来る木陰に作られた爺ちゃん特製の丸太ベンチに腰掛け、愛犬のこはく相手にアコースティックギターを弾きうたを歌う。これがお気に入りの日常である。
中学高校と何かに夢中になれるものが見つけられなかった私が、唯一夢中になれたのがこのギターとうただったのだ。
私には大好きなアルバムがある。それは父ちゃんのコレクションの中から見つけた一枚で、アーティスト名は横文字でバンドっぽいのだがどうもソロアーティストらしい。というのも、CDのライナーノーツを見る限り、そのCDのうたはもちろん全楽器、更には作詞作曲ミックスプロデュースまで全て一人で作ったらしく、作詞作曲の欄に載っている名前がこのアーティストの人の本名だろうと推測した。
もっとそのアーティストのことが知りたくなって持ち主である父ちゃんに聞いてみたけど「値札のシールがついとるっちゅうことは中古CD屋で買うたんやなか?」と言うだけだ。自分でネットで調べてもみても中古CDがいくらだと言う情報は出てきても当時の記録は出てこない。
どうしても気になって別のCDも買ってはみたがどうにもピンと来ない。音の感じが違う?のだ。そして結局その一枚のアルバムを繰り返し聞き続けるのであった。
「将来なりたいお仕事はあるの?」
高校2年生の秋のある日、母ちゃんに聞かれた。
「うーん…」
「なんでもいいの。何となく気になってることでも。こういうことが好きとか、こういう仕事に興味あるとか。」
「うーん、まだ決めとらんけど…うたを歌う人になりたい。かな?」
「うた?…そっかぁ。じゃあ、うたを歌う人になるためにどうしようって具体的に考えたりしてる?」
「ううん、まだ考えとらんけど大学行くんかなぁ。音大…とか?」
「音大に行って音楽を勉強したいの?」
「うーん…ねえ、音楽ば勉強せんと、うた歌う人になれんの?」
「どうなんだろうね?そういうのを自分で調べてみたら?そろそろ華ちゃんも将来のこと、真剣に考えてみても良いんじゃない?」
それからネットで色々と調べ始めた。音楽を勉強すると言えば真っ先に思いつくのは音大だが、音大へ行くには今まで何もして無さすぎたことが早々に理解出来た。
1、大学に行って軽音楽部なりに入ってから考える
2、音楽の専門学校に行く
この2案を持って友人たちや担任に相談してみたけれど、どうにもピンとくる返事が返ってこない。音楽の先生は親身に話を聞いてくれはしたものの「音楽の専門学校に行くなら学校はちゃんと選ばないと時間とお金だけを無駄に使うことになるぞ。」と言うだけで、結局私はひたすらネットとにらめっこする時間が続いた。
そして高校2年の3学期に聞かれた進学希望の欄に私は『大学』と書いた。
それから進級し、進路についての悩みが目前に迫る高校3年生の夏になろうかという時期になっても、私は未だに進路を決めかねていた。頭が良いわけではないが実家から通えるという理由だけで決めた大学には入れるだけの学力はあるようで、問題は自分がどうしたいかだった。
『音楽 専門学校 一覧』と検索窓に打ち込むと、当たり前だが全国の学校がまとめられたサイトが出てくる。
しかし場所は勿論、カリキュラムや専攻コースに少しの差があれど、どうにも学校の色というか違いがよく分からない。正しくはその学校がロック色かジャズ色かというのは分かるのだが、その先のこの学校はここが良いという決定打が無いのだ。それが一番の問題だった。
それならば「単純に実家から近いほうが良いんじゃないか?」「学費の安いところが良いんじゃないか?」と考え始め、「それでいいのか?それでうたを歌う人になれるのか?」「この程度で悩むならばそもそも専門学校なんて選択に入れるべきでは無いんじゃないか?」「やっぱり無難に大学に行くべきなのでは?」と堂々巡りのまま一日が終わるのであった。
親戚が訪ねてきて賑やかだったお盆も過ぎた夏休みも終わる頃、大学受験の準備もしつつその日もブックマークしていたサイトを巡回していた。今までは主に九州に絞って探していたのだが、エリアを全国に広げて調べてみる。すると何気なく見ていた学校の講師紹介というページに目が止まった。
・音楽理論担当 芝井戸 久詩
写真は声のイメージとは違うちょっと怖そうな見た目だけれど、そのあまり聞かないような独特な名前に間違いはないだろう。こんな珍しい名前で同姓同名はあり得ない!
「かーちゃあああん!」
転げ落ちるように一気に階段をかけ降り、夕食の準備をしていた母ちゃんに経緯を話す。
「じゃあその学校にするの?」
「まだ分からんけど、見つけた!見つけたっちゃ!」
「そう、じゃあどうするのかちゃんと考えてみてね。」
いつも私の味方の優しい母ちゃんは冷静だった。
A SIDE
「芝井戸先生。」
職員室で机仕事をしていた私に、受付の南さんが声をかけてきた。
「さっきお電話で、進路希望の問い合わせだったんですけど『芝井戸さんはFragile Projectの人ですか?』って、そういう話でして。」
「それはまた珍しい話ですね…えっと、それで入学希望の生徒さんですか?」
「はい。今、高校3年生とおっしゃってましたし、声もそんな感じのお嬢さんでしたよ。」
「では親御さんの影響なのでしょうか。それでなんと答えになられたのですか?」
「個人情報だからそういうのはって言おうとしたんですけど、先に尊敬してるみたいなことをばあーっと言われちゃって、まぁ、その。」
「…そうですか。」
「ってことですので、一応お伝えしましたよ!」
この学校に限らず、音楽の専門学校には様々な経歴の先生たちがいる。
有名アーティストや芸能人とツアーを回ったりレコーディングをしたという人もいるし、一般的には無名でもライブバンドとして界隈では有名だった人もいる。勿論レッスンプロと呼べるような先生もいらっしゃるし、これからという若い人も先生として働いている。全く売れない音楽家だった私のような人間にも、熱狂的すぎるファンはいるところにはいるもので、学校として一応警戒はしてもらっているのだ。
久しぶりにその名前を聞いた私は、厄介事じゃなければいいなと思いつつ仕事に戻った。
B SIDE
一度電話してみよう。それが数日悩んだ結果である。一応、母ちゃんに確認すると「自分の部屋で掛けなさい。」と言われた。自分のことは自分でちゃんと考えて決めなさいというのが我が家の方針なのだ。
自室で子機を片手に間違わないようにと慎重に電話番号を打ち込む。ここ数年で一番の緊張を感じていた。
「お電話ありがとうございます、大阪ミナト音楽専門学校、受付でございます。」
「あ、あの、古賀、古賀華乃と言います。い、今高校3年生で、あの、それでその、進路のことで聞きたいことがあって電話しました。」
「はい。お問い合わせありがとうございます。来年度の入学希望でしょうか?」
「あ、はい、まだ決めきれとらんですけど。」
「では、なにかお聞きになりたいことはございますか?とりあえず資料をお送りしましょうか?」
「あ、あ、あの、し、芝井戸先生…」
「はい?」
「あ、えっと、あの、お、音楽理論の芝井戸先生はFragile Projectの人ですか?」
「えーっとあの、そういうのはお答え・・」
「そのファン…じゃない、尊敬してるんです!音楽を教えて貰うならこの人だってホームページ見て思ったんです。『風鳴』ってCDいっぱい聞きました。」
「えーっと、ええ、その、…はい。芝井戸は当校で音楽理論を担当していますよ。」
その後「一度、進路相談会か体験入学会にいらっしゃいませんか?」と聞かれて「はい!」と即答をした。そして相談会の案内の資料を送るということで連絡先を聞かれて答えると「一応お伺い致しますが、本校は大阪ですが大丈夫でしょうか?」と確認された時に、必死で応答をしていた私は急に現実に引き戻されたのだった。
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