序章 嵐の日に捨てられました

「シルヴィア、ごめん。何も言わずこんしてほしい」

 仕事中、とつぜんエデリー家のしよさいに呼ばれて、くろかみの夫リックスに言われた言葉に思わず私は立ちくした。リックスのとなりには死んだ父のさいこん相手の連れ子のサニアと父の再婚相手のけいのマリアがいる。

「ど、どうして?」

 声をしぼり出しながら私が聞くと、今度はきんぱつの美しい容姿の四十代の女性マリアが私の前に出てくる。

「どうしても何も、見たらわかるでしょう?」

 そう言って、継母が視線を向けるとサニアが目の前でリックスとうでを組んだ。

 ……二人の仲が良かったのは知っていた。

 けれど仕事も、れんきんじゆつもろくにできない私が口を出したらいけないとまんしていた。

 でも、そこまでの関係になっていたなんて。私はくやしくてきゅっとくちびるをかむ。

「それに君、仕事も、失敗ばかりだよね? この前の発注ミスでどれくらい損害がでているかわかっているのかい?」

 リックスが責めるように言う。でも、それは、サニアが最初に発注書のさいミスをしただけで、私のせいじゃない。心の中で反論するけれど、こわくて声が出ない。

 反論したら、きっとまた三人に責めたてられる。

「お姉さま、そういうことだから、離婚届にサインをお願い。これからは錬金術師としてゆうしゆうなリックスと私がけつこんして、エデリー家を盛りたてるから安心してね」

 サニアの言葉が悔しくて、情けなくて私はぎゅっと自分の服のはしつかむ。

「ポーション作りも、事務仕事すらろくにできない貴方あなたは、錬金術師の名家エデリー家にはいらないのよ。シルヴィア。出ていきなさい」

 継母にれいこくに告げられ、離婚届を差し出された。


 結局、私は離婚届を出したその日に、家を追い出された。わずかばかりあたえられたお金を持って私は夜空を見上げる。彼と結婚して三年。錬金術師として私は彼とともに歩んできたつもりだった。でも──私はいつも仕事ができなくて、おこられていた。

 ──役立たず、お前は仕事ができない。錬金術師としても無能だ──

 私を責めたてる言葉が耳によみがえる。

 やめて、お願い、ごめんなさい。かんだ言葉になみだがこぼれて、私はあわてて手で涙をぬぐった。行くあてもなく、とぼとぼと歩き出す。私が持っているのは少しのお金と自分の身分証。どうしたらいいかわからなくてほうにくれる。

 歩きながら降ってきた雨に私は再び空を見上げた。そういえば今日はあらしがくると言っていた気がする。どうしよう。かさもない。まだ街灯のおかげで街の中は明るいが、街中は嵐に備えて人通りもなく、店も閉まっていた。こんな日に捨てられるなんて。嵐をどこでやりすごそう?

 おそらくこの様子では乗り合い馬車も今日は休みだろう。ここは観光客も多い場所だからホテルも満室でとれないかもしれない。

 なんでこんな目にあわないといけないんだろう?

 仕事も、家事も、どう作りも、ポーション作りもまともにできない私が悪かったんだ。

 る間もなく働いていて見かけに気をつかっているひまもなかった。

 だから女として見られないと言われた。窓ガラスに映る自分の姿に足をとめ苦笑いが浮かぶ。

 ずぶれでみすぼらしい情けない姿。肌もぼろぼろで茶色いかみの毛につやもない。目の下のクマも、シミもひどい。……離婚されて当然だ。だって女に見えないもの。

 夫とサニアのなかむつまじい姿が頭に浮かんで目をつぶる。サニアは天使のようにふわふわしているのに、私はまるでぼろぞうきんのよう。じわりとあふれ出た涙で視界がかすむ。でもこんなところでいじけている場合じゃない。

 とりあえず今日の嵐をやりすごすホテルを見つけないと。

 歩き出して、そして──ふらりと身体からだれた。

 とつぜんいた強風で身体がよろけ──目の前には馬がいた。

 ぎよしやが悲鳴をあげ馬車を引く馬が私の姿におどろいて足を大きくあげている。

 ああ──風でよろけて馬車がいたのにたおれてしまった。私、死ぬのかな。どうしよう、馬車の人にめいわくかけちゃう。

 そんなことを思いながらどこか遠くで馬のいななきが聞こえた気がした。


    ● ● ●


「お待ちください! あと一日! あと一日だけでいいのですっ!?」

 酷くゆがんだ顔でスーツ姿のろうれいの男が頭を下げる。そんなろうしんの姿に、目の前に立っていた男は皮肉めいたみを浮かべた。二十代前半くらいでたんせいな顔立ちの黒髪のスーツ姿の男だ。

おもしろいことを言いますね。そう言って貴方にすがった者達を無視して土地や家を取り上げた人間が、おくめんもなくそれを言いますか?」

 男がまきをふかしながら笑う。そして葉巻の火を灰皿で消すと、老紳士に近づいた。

「それに、日数を延ばしたところで貴方が資金を工面できるはずもない。貴方が借りられそうな場所は私が裏で手をまわしていますから」

「……な!?」

 男がニタリと笑いながら言うと老人の顔が青くなった。

「いやぁ、貴方に人望がないおかげでかいじゆうがとても楽で助かりました。貴方の言葉など、だれも耳をかさないでしょう」

「貴様っ!!」

「おや、貴方がよくしていたことじゃありませんか。やさしい言葉で金を貸し付け、周囲からりつさせ、最後にはすべてをうばう。そうやって何人の貴族から家や土地、しやくを取り上げました? 私だけ責めるのはすじちがいかと思われますが」

 男があざわらいながら、家にあったつえを無造作に手に取ると、ろくな金になりそうもないですが、しちにでもいれますかとつぶやいた。

「この! 若造がっ!!」

 老人が持っていた杖でなぐりつけてきたが、その杖を男は手で止める。

「ははっ、いきなり暴力はいけませんね。まぁ殴られてしやりようせいきゆうしてもよかったのですが、もう貴方にはしぼり取れるものは何もないですからね。殴られる価値もない。多くの者から金をだましとった不正のしようもこちらに押さえてありますので、どうぞ老後は安らかにろうごくでおすごしください」

 男はにっこり微笑ほほえむのだった。


「何もあそこまでしなくても。また敵が増えましたよ」

 老紳士のしきから出た後、馬車の中で商人の男に仕えるぎんぱつの二十代くらいの男性、秘書のキールがため息をついた。

「おや、不服ですか? 先にこちらのきやくにちょっかいを出してきたのはあちらです。あの男はうちの商会の上客だと知っていて、顧客に金を貸し付けつぶしにきました。明らかに私に対するちようせんです。敵対する者はてつてい的に潰す主義なのは貴方もよく知っているでしょう?」

 葉巻をふかしながらキールのあるじであるランドリュー家当主、ヴァイス・ランドリューが笑う。

「……そんなことばかりやっているから悪徳商人とか言われるんですよ」

「その評価は何もちがっていないでしょう。正当な評価ですね。むしろめ言葉で……」

 ヴァイスが言いかけたたん、がくんと馬車が大きく揺れ、馬の鳴き声がひびく。

「何事ですかっ!?」

 キールが急停車した馬車から降りて、御者に問う。

「それが馬車の前に人が倒れてきたんです」

 馬のづなを引いていた御者がうろたえた様子で告げた。

「人?」

 雨の降る中傘をさし、キールとともに馬車から降りたヴァイスが視線をうつすと、確かに馬車の前に女性が倒れている。二十代~三十代くらいのちやぱつの女性。ほっそりとしていて、髪もぼさぼさで身なりもいいとは言えない。

「……行き倒れですか」

 ヴァイスがふむとうでを組む。

「どうしますか。一応生きています」

 困ったようにキールがヴァイスを見た。

「この区画は観光地であるがゆえ、親のいない子どもや住むところがない者などはしん殿でんが保護していて、いないはずです。それなのにこれほどやせ細り病弱な者が倒れているとなると……」

 キールが女性を見る。やせ細りすぎていて、つうの食生活をおくっていたとは思えない。

「病気なのかもしれません。下手に連れ出してゆうかいあつかいになってもあれですし、どこか雨の当たらない場所において、神殿に報告しましょうか?」

 御者の言葉に、ヴァイスは空を見上げた。街灯で明るいとはいえ、時刻はもう夜といって差しつかえない。雨足も強くなっており、季節風のあらしがくる予報がある。雨がしのげる程度の場所に放置では、最悪神殿も動かず、そのままそこで命が終わってしまうだろう。

「いえ、これから風雨はさらに酷くなります。このすいじやく具合で放置してしまえば助からない。連れて行くしかないと思いますよ」

「本気ですかだん様!?」

「……ええ、乗せてください」

 キールのこうの声にヴァイスはため息をつく。めんどうなものにかかわってしまったと。

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