第二話 捨てられた街Ⅰ


 白い外壁に、黒い木枠、小さな長方形の窓。伝統的な王国様式が色濃く残るこの街は、遠目から見れば美しいおとぎの世界のようだ。しかしいざ道路の真ん中に立てば、その美しい建物の多くが廃材によってつぎはぎに補修され、道のあちこちにゴミ溜めやスクラップの山ができていることが分かる。

 そんな街の中心に建つのは、周囲の家々と同じく白い外壁をした5階建ての塔。黒く塗装された木造の円錐型の屋根には、ゴミ溜めの街には相応しくない、メルヘンチックな風見鶏のオブジェが取り付けられている。


『おはようございます。本日は王国歴750年5月12日、時刻は8時58分、気温は20℃、本日の天気は晴れのち雨。昼12時30分頃から14時10分頃まで降雨が予想されています』


 塔の一階、大広間に集まるのは数十人の体格の良い男たちだ。皆一様に、紺の身頃に白袖のラグランスリーブジャンパーを羽織っている。光沢のあるサテン生地の左胸には、同じワッペンが縫い付けられていた。それは、跪き、ベールを被り、祈りを捧げる人間の姿をデザインしている。


『エレイソンの皆さん、おはようございます。間もなく、将軍リーデ・ハリカのご挨拶が始まります』


 天井からぶら下がったスピーカーから中性的な声質の電子音声が響く。しかし、それに耳を傾ける者は少ない。ある者は電子タバコを吸い、ある者は壁に寄りかかって船を漕ぎ、ある者は談笑し、残り僅かになった自由時間を謳歌していた。 


「ふああ……」


 壁際に積み上げられたコンテナの上であぐらをかき、欠伸をする長身の男がひとり。

 短く刈ったくすんだ金髪、切れ長の目、鋭い犬歯、青白い肌、そばかすが散る高く細い鼻─その顔は俳優のように端正だが、琥珀色の瞳だけが爛々と輝き、獣じみた印象を見る者に与えた。


「何が将軍リーデだっつの……くっだらねえ」


 リーデは古語で「統率者」を意味する言葉だ。古語は権威や教養の象徴とされ、公用語が主流となった今も、様々な場面で用いられる。


「下らなくて悪かったな」


 背後の扉が開き、重い低音が空気を鈍く震わせる。

 足音が近づいているのには気付いていたが、あえて聞こえるように言ったのだ。


「オルハ・玉響たまゆら・レテ捜査官、朝礼のときは整列しろと何度言ったら分かる?」


 金髪の男─玉響の前に立ったのは、藍色の髪と青い瞳、赤みがかった肌をした男だった。皆と同じジャンパーを羽織り、腰には古いサーベルを差している。その体躯は玉響よりも、周りの男たちよりもかなり小柄で痩せ型だが、骨張った喉から放たれる声は常に低く明瞭に空気を震わせる。

 “将軍リーデ”・ハリカ・ターシュは、コンテナの上にあぐらをかく玉響をひと睨みし、部屋の中をゆっくりと歩き始めた。

 彼が一歩進むたび、男たちは彼を躱し、口を閉じ、整列する。部屋の前方に作られた演説台に上る頃には、皆の視線はハリカに集められていた。


「おはよう、民兵諸君、まず初めに昨晩の火災での出動ご苦労だった」


 どうやら、4番街で0時過ぎにタバコの不始末による失火があり、夜勤の者たちが出動したそうだ。幸い火は早々に消し止められ、朝になる頃には、風に乗って微かな焦げ臭さが漂ってくるだけだった。


「そうだアユー、君の家は火災現場から近かったろう?自宅は浸水していないか?」


 ハリカは年若い「民兵」に声を掛ける。すると青年はばつが悪そうに頭を掻き、「寝室が水浸しになりました」と言った。


「それは災難だったな。今日の午前の間には、今回の火災に対する補償窓口を設置する予定だ。そこに問い合わせると良い。被害状況の報告と補償申請の仕方も、窓口で説明がある」

「あ、ありがとうございます!将軍リーデ


 勢い良く頭を下げる彼に頷き、ハリカは再び皆に視線を向ける。


「他にも、被害のあった者は大小関係なく窓口に問い合わせるように。珈琲を溢した染みは自己責任だぞ、レン」

「なんで分かるんですかぁ」


 次いで手を上げた青年は、にやりと笑って肩を竦める。整列の中から笑いがあふれた。それを、玉響は遠く離れたところでぼんやりと眺めている。

 不意に、ハリカが整列の隙間から顔を覗かせた。


「玉響、遅刻扱いにされたくないならいい加減整列しろ。業務連絡の時間だ」

「へーへー、承知しましたよ、将軍閣下」


 コンテナの山からひらりと降りる。磨かれたビットローファーが軽快な音を立てた。


「では、皆が揃ったところで、祈りの時間としよう」


 ハリカは、背後の壁際に設置された、ひとつの像を指す。錆びた鉄や銅線を組み上げて作られたそれは咆哮する狼を象っている。


「本日も、大地の神々がこのエレイスと我らを見守ってくださいますよう」


 彼が膝をついて手を組む様は、その精悍な顔立ちと相まって非常に絵になった。

 団員たちは同じように膝をついて祈りを捧げる。何度も繰り返された光景だ。玉響も形だけは従う。

 やがてハリカは立ち上がり、団員たちもそれに続いた。


「でら、本日の警邏けいら区域の分担を発表する。アユー捜査官、レン捜査官は2番街北西を……」


 名前の羅列を聞き流しながら、ぼんやりと窓の外に目を向けた。平屋か2階建てばかりのこの街を一望するのは簡単だ。区分も単純、中心にあるこの塔から見て、真西から順番にケーキのように8分割。そして煤けた空気の奥に見えるのは、エレイスを囲む崩れかけの城壁、王都をぐるりと囲む傷ひとつない黒い壁、天を突く摩天楼。

 壁の奥の王都は、今日も別世界のように荘厳で、傷ひとつなく、無機質だ。

 その栄華を保つために、王都は様々なものを吐き出してきた。ギャング、少数民族、犯罪者、病原菌、野良犬─あの街では、抗生物質と消毒液を注入された、臭みも汚れもないものだけが、存在を許される。そして行き場を無くした者たちは寄り集まり、吹き溜まり、いつしか王都周辺街エレイスと呼ばれる街を作り出した。

 石造りの城壁が残る古い街は、吹き溜まったものを集めておくには都合が良いのだろう。


「玉響捜査官とスレイ捜査官は8番街北部を。聞いているか、玉響」


 神経質な眼差しをいなし、玉響は気怠げに頷く。

 ハリカ・ターシュは、王都の吐瀉物で出来たこのエレイスで、自警主義と隣人愛を掲げて自警団「エレイソン」を結成した変わり者だ。

 ギャングたちと渡り合い、麻薬密売を摘発し、市民を襲う暴漢を逮捕する。勿論エレイソンに捜査権や逮捕権はないので、やっていることは王国法に反した犯罪行為だが、王都から本物の王立憲兵が顔を出したことは1度もない。


「俺ひとりで良いんだけど」

「汚職の防止、捜査官の安全確保のために、職務中の単独行動は許されない。それとも、2人では都合の悪いことでもあるのか?」

「わーったよ、将軍閣下」


 ひらりと手を振って返し、玉響はコンテナの上に置き去りにしていたベージュの中折れ帽を

手に取って被る。

 ジャンパーに白シャツ、リボンタイ、濃紺のテーパードデニムにローファー。長身でハンサムな彼の出で立ちは昔から街の注目の的となっており、今では殆どの自警団員がそれぞれアレンジを加えながら似たような格好をしている。


「ユラ、待てって。すんません将軍、行ってきます!」


 耳の上で切り揃えた焦げ茶の髪と、左頬についた切り傷が特徴の青年スレイは、ハリカに頭を下げたあと、早足で彼を追いかける。


「お前さー、ただでさえ目つけられてんだから、あんま反抗的な態度取んなよ」

「俺は後ろから、お前たちの整列が揃ってるか監督してやってんだよ」

「マジな話だって。ユラって将軍リーデの幼馴染なんだろー?色々言う奴がいるんだよ、友達だから特別扱いされてるとか……」

「アセナだから気に食わねえとか?」

「分かってんじゃねーか」

「俺だって、半分はクレール人なんだけどなあ」


 長身、青白い肌、色素の薄い髪や瞳、鋭い犬歯─それは王国の先住民族アセナの特徴だ。対して人口の9割を占めるクレール人は、赤みがかった肌と色濃い髪を持つ。

 玉響は、アセナ族の母とクレール人の父を持つ混血であった。アセナ族の大半は自治区で伝統的な生活を送るが、彼の母親のように、王国臣民との結婚などを期に都市部に移住する者も少なくない。

 しかし彼らは、あらゆる時代と場所において、クレール人から白眼視される存在だった。


「俺はアセナ好きだぜ、アセナの女ってデカくて色っぽいじゃん。1回寝てみてーもん」

「やめとけやめとけ、興奮すると噛みついてくるぜ」

「最高!」


 下品な軽口を叩きながら、ふたりは廊下を進む。エレベーターに乗ったところで、再びポケットに振動を感じ、玉響は縦5インチの板状をした支給端末を取り出した。


『おはよう、玉響捜査官。本日の業務連絡をメッセージアプリに送信したけど、ちゃんと確認した?』


 朝スピーカーから響いていたものと同じ、変声期前の少年のものとも、ハスキーな女性のものとも取れる声─便宜上組織内では「彼」と形容されているその声音からは、「面倒くさい」という態度が滲み出ている。


『って言っても聞かないだろうから、今読み上るよー』

「うるせえ、今読んでやるから黙れ」

『読むならエレベーターの中でね。歩行中の端末の操作は危険なんだから』

「エルーク、こいつの相手も大変だな」

『スレイ捜査官も人のこと言えないけど?あなた、朝全然起きないじゃないか』


 “エルーク”は、エレイソンの支給端末にインストールされている人工知能だ。

 電子の海の情報を貪り吐き出すことで、知恵と意識を持つように振る舞うAIが生まれてから200年。現在、人工知能と呼べる存在は概ね、高度な学習能力と自律した思考を有しているとされている。

 エレイソンを立ち上げた際、非合法の自警団のサーバーに、政府支援を受けた大企業の人工知能をインストールするのは憚られた。そのため、玉響は世間知らずのハリカを説得し、知人が開発した「エルーク」を導入させたのだ。

 企業の純正品と使い比べたことはないが、エルークの性能もすこぶる優秀と言っていい。


「お前の開発者も起こしてやれよ。あいつ、マトモに朝起きれることなんてあるのか?」

『あのひと、端末の電源切るんだよ。女の人を連れ込むときとか。だから知らない』

「俺も電源切っていいか。うるせーから」

『助けてー!殺されるー!』

「うるっせえなお前はホント!」


 機械が命乞いをすると人間は電源を落とすことを躊躇う─数百年前に行われた実験のデータを使って、エルークは騒ぎ立てる。

 性能はすこぶる優秀、というのは嘘だ。皮肉屋で説教臭くて生意気で、まったく煩わしいばかりである。


「あー、めんどくせ……」


 エレベーターの壁に身を預け、玉響は電子タバコをくわえた。

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