祈れ狼、火を灯し
伊瀬谷照
序章【街の中の狼】
第一話 魂無き者
パン、と乾いた音が響き、高速で放たれた鉛の弾が的の中心に吸い込まれる。カランと薬莢が地面を転がり、火薬の匂いが充満した。
それが、父そのものだった。
銃と、銃を撃つことに関するすべての物事を、人間の形をした皮袋に詰め込んだような人だった。
『✕✕✕』
低く、低く、銃の中に詰まった緻密な螺子が軋んだような声で、父は僕の名前を呼ぶ。その瞬間がとても恐ろしかった。彼の黒黒とした目は、まさに銃口だ。
それに射抜かれると、僕はいつも緊張で口の中が乾いてしまう。
『ここには来るなと言った筈だ』
『……あ、うん、ごめん』
かしゃん。節の目立つ手の中で、旧式の銃に弾が装填される。
『何か用か?』
『えっと……』
僕は後ろ手に隠していたものをそっと差し出す。ホルダーに収められた、2枚のチケット。ざらついたセピア色のファインペーパーに、万年筆の質感を再現した印字が施されている。更に、文字の周りには勿忘草と思われる植物の絵が、これまた緻密な筆致によって描かれていた。
僕が物心つくずっと前から紙媒体の実用性は失われ、いまやそれらは完全なコレクションアイテムである。このチケットは、4000
父は、紙を好んでいる。月に何度も出版社に電話を入れて、高い制作費を払って電子書籍の製本を注文する。そうして手に取って読まれた本は、彼の書斎に隙間なく並べられていた。
『珍しいな』
眼鏡の奥、鷹のような目に宿る光が、ほんの僅かに柔らかくなった。
『そ、そうでしょ?今公演してるミュージカルのチケットなんだよ。紙の交付のサービスもやってるっていうから、申し込んでみたんだ』
『そうか』
『よかったら、触ってみない?』
『来るな』
一歩踏み出した瞬間、鋭く制されて、僕は石のように固まった。
『火薬の匂いがつくぞ』
『……う、うん』
父は、僕が己に近付くことを嫌う。
火薬の匂いが移るからというのが表向きの理由だが、その真意は分からない。
『父さん、あのさ、良かったらこのミュージカル一緒に……一緒に、行かない?』
口の中はからからに乾いていた。チケットホルダーが手汗で滑り、取り落としそうになるのを力を込めて堪える。
父は紙と、そして演劇が好きだ。書斎に座って紙の本を読む背中と、珈琲を飲みながらミュージカル作品のアーカイブ映像を眺める横顔。
それが、僕が知る父の、人間性を感じる数少ない要素だった。
『ほら』
僕は、チケットの右上部に印刷された、幾何学的な花の図案を指差す。それは、コレクターズアイテムとしての価値を損なわないようにデザインされた認証用コードだ。
『席取ったんだ。明々後日の18時からの公演の……だから』
『✕✕✕』
呼ばれた名が、弾丸のように僕を射抜く。
『私は行かない』
『どうして?』
『目が悪いものでな。現地の舞台は好かない』
黒縁眼鏡を押し上げて父は言う。それが一般的に流通する眼鏡型端末ではなく、ただの飾り物だと知ったのは、15歳の頃だ。
父は、両目を開いたまま、補助装置を用いることなく、殆どの弾を的の中心に当てている。
『父さんは、いつも何を考えてるの?』
『……』
『なんで、何も教えてくれないんだよ』
父は答えなかった。ただ銃を取り、的の中心に狙いを定める。
黒い光沢、乾いた銃声、繰り返される装填、捕捉、射撃。それだけが詰め込まれた皮袋が、ただそこに立っている。
『父さんは』
空っぽだ。呑み込んだはずの言葉が聞こえたかのように、父は顔を上げたが、その瞳に人間らしい感情はついぞ見えなかった。
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