木ぐつ師ホルツ
@chromosome
第1話 老いた木ぐつ師
これは、青い空の下にそびえる山々がどこまでも続き、はるか氷河の下には、牧草地が広がるアルプスの麓に住むひとりのおじいさんの話です。
おじいさんは、小さい時は、オルゴール職人になる夢を持っていましたが、こどもの頃、手が不自由になって、細かい道具をあやつることが、できなくなり、その夢をあきらめました。
オルゴール職人は、手先が器用で、しかも難しい仕組みを理解しないとなれないというのは、こどもの時に聞いた話でした。確かに、ネジ回しを使うには、親指が必要です。しかし、おじいさんは、オルゴール職人にはなれなくても、立派な木ぐつ師には、なれました。
木ぐつとは、昔、まだ革製のくつが高かった頃、 木をくりぬいてくつの形にしたものをいいます。硬い木でできているので、石に当たっても、足を守ってくれるのは、いいのですが、急いで歩くと足があたります。そんな時は、中に、わらをつめます。少しの水なら通さないし、足もむれず温かく保つので、お百姓さんなどに人気がありました。
おじいさんは、若いときから年をとるまで、一生懸命働きました。おかげで、仕事をやめた後も、あこがれだったアルプスの麓に住んで、夏は、ひつじ飼いの小屋にくらしていました。
そのおじいさんの名は、ホルツといいます。とても腕の良い木ぐつ師でした。ホルツじいさんの木ぐつは、はきごこちがよくて、たいそう売れたものでした。しかし、革のくつがだんだんと増えてきて、木ぐつをはく人は減っていきました。
おじいさんは、それでも木ぐつ作りの材料と道具一式を持って、ひつじ飼いの小屋で、誰のためでもなく、自分の楽しみのために木ぐつを作っていました。
木ぐつなど見たことがない、山のひつじ飼いたちが、珍しがって見物に来ています。ひつじ飼いの少年が大勢いる中で、一人、木ぐつ師のしごとが面白いと思った子どもがいます。クラウスという名のひつじ飼いです。
クラウスは、おじいさんが、ちょうど年季奉公に上がったころの年齢でした。
「ぼくは、クラウスって言うんだ。おじいさんの名前は、なんて言うんだい」
おじいさんは、熱心に仕事に取り組んでいるらしく、返事がありません。
「じゃあ、じいさん、その手、どうしたの。自分で切ったはずはないよね」
クラウスは、興味を持ったことには、何でも聞いてきます。
おじいさんから返事はありません。おじいさんの仕事を見ていたひつじ飼いの子どもたちは、自分の家のひつじを追って一人また一人と立ち去っていきます。クラウスは、残念そうに、後ろを振り返りました。一人、残されたクラウスは、なぜ、ひつじを追わないのかと叱られるのが心配でした。
「こんな大事な手の指を、わざと切り落とすものか」
と、おじいさんが怒ったように答えました。
「えっ、じゃあ、ノミで」
クラウスが、どうしても知りたいとわかったおじいさんは、仕方なく話し出しました。
「いや、ノミじゃない。ハサミだよ」
「えっ、ハサミ、痛かったろう。お医者さんに行ったの」
とさすがに、クラウスは、痛そうな声をあげました。
ホルツじいさんが、ジロッとクラウスを見ました。
「どれ、わたしが、「親指」、いや「なみだ指」を、どうして失ったか、そのわけを聞かせてあげようか。だが、今日はお帰り。ひつじを追わないと怒られるぞ」
「じゃあ、おじいさん、明日は休みの日だから、明日来るね」
そう言って、クラウスは、名残惜しそうに帰っていきます。その後姿をずっと見ていたおじいさんは、両手を開いて、手のひらをじっと見つめていました。
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