フラスコの底から覗く錬金術師~愛する街ケルダールへ愛を込めて~

国見 紀行

第1話 その男はフラスコの底に

 もうすぐ冬の訪れを感じる夜。


 月が最も高くなる時刻に、とある店の扉の前に真っ黒な形式鎧を身に着けた騎士と思われる人間が数名と、明らかに場違いで豪奢な外套を羽織った小柄な人間がやってきた。

 騎士の一人がそっと扉を三回ノックすると、扉ののぞき窓の目隠しブラインドが半分開き、ガラス玉のように透き通った瞳が騎士たちを見透かすように一瞥した。


「どなたでしょウ?」


 僅かな間を置いて響いた抑揚のない小さな声が問いかけたのは、確認なのか怪しんでかなのかは分からない。

 しかし扉に一番近くにいた騎士は、外套を羽織った人物が懐から取り出した懐中時計を受け取り、のぞき窓に差し込んで確認を促した。


「これを」

「……アリアント王家のものと確認いたしまシタ」


 時計を戻された騎士はそれを元の人物へ返す。その直後、ガコッという重い音が腰辺りから響き、同時に扉が半分開いた。


「どうゾ」


 暗闇からの声に誘われ、鎧を纏った人影らは外套を羽織った人物を囲む形で中へと入っていった。

 全員が入り終えると、再び重い音がして扉に閂がかけられる。だがその音は人が一人で持ちあがるような音ではない。最後尾の騎士は、そんな閂を一人で軽々と持ち上げるその人物…… メイド服を着こんだ少女を注意深く観察した。


 身長は彼らの肩ほどの高さもなく、金髪の長い髪が腰のあたりでまとめられており、白磁のような透き通った肌は月明かりで青白い光を反射していた。どこから見ても華奢な身体で同じ大きさの閂を持ちあげている姿は、それが人間ではないことを示していた。


「こちらエ。あるじが奥でお待ちデス」


 しかしメイド服の少女はその視線も気にせず、先ほどのように抑揚のない話し方で部屋の奥を案内した。

 言われるまま一行はぞろぞろと奥へ通されるままに進んだ。


「こちらデス」


 外の建屋からは想像できないほどの距離を歩いた後、一つの扉の前で少女は歩みを止めた。ひときわ堅牢な扉はひんやりとした冷気を放ち、とても誰かに会うための部屋には見えない。


「私が先に入る」


 先頭の人物が警戒しつつ扉を開き、ゆっくりと入室する。それを見た後続も、それに倣って奥へと入っていく。だが、最後の一人はそのまま廊下に残った。

 がたん、と重い音がして扉が閉まる。どうやらあのメイド服の少女は入ってこなかったようだ。


 石造りの大きなこの部屋はさしずめ応接室のような装飾がされていた。高い天井にそこかしこが明るい昼間のような照明が壁いっぱいに張り巡らされ、貴族でも持っているものはないであろう座り心地のよさそうな大きなソファが一対、これまた美しい白岩の板でこしらえたテーブルを間にして据えられていた。


「どうも。時間通りのご来店、いらっしゃいませ」


 凛とした涼しげな声が部屋に響き渡る。


「……あなたが店主の?」


 不安げな声が外套を纏った人物から漏れる。


「ええ。このような姿ナリで申し訳ない。ですが、仕事はきちんといたします」


 一行は奇怪なものを見たような目を声の主に向けた。

 それもそのはず、その涼し気な声は目の前のソファに座る、首のない少年サイズの人形が抱えた


「どうぞ、お掛け下さい」


 彼に促されるまま外套を纏った人物はソファに着席し、しかし他の鎧の面々はその後ろに整列する。


「きちんとした自己紹介はまだでしたね。私はこの店のオーナー、ボートレスと申します。呼びにくいようでしたら、気軽に『マルゾコ』とでもお呼び下さい」


 鈴のような美しく響く声でフラスコの男?は自らを名乗った。

 それを聞いた右端の鎧の人物が一歩前に出て会釈し、自己紹介を始めた。


「我々はこの貿易都市ケルダールを治めるアリアント王国が近衛騎士団、『空の剣』の精鋭部隊。私は副団長のアルバー。そしてこちらが……」

「アリアント王国王位継承権第六位の王女、アリセルナ様であらせられますね」


 アルバーの言葉を遮って、マルゾコは彼女を肩書から言い当てた。


「……そのフラスコからこちらが見えているのですか?」


 アリセルナは目深に被ったフードを外し、先ほどからくすぶっていた疑問を投げかけた。

 外套の下から現れたのは十代半ばの少女だった。肩まで伸ばした漆黒の髪は美しく整えられ、目立たぬようにとあしらえた黒のドレスはこの明るい部屋においてなお落ち着いた雰囲気を纏っていた。


「もちろんです。皆さんも、部屋の外も、この街全体を見通すことができます」


 騎士の一行もその言葉にギョッとしたが、アリセルナだけは少し表情が緩んだ。

 ……いや、琥珀色の瞳が珍しいものを見たような輝きを帯びて彼を見つめ始めた。


「アルバー!」

「なりませぬ!」


 突然名前を呼ばれたアルバーは、即座に要望を断ち切った。


「……失礼。姫は珍しいものを見ると途端に手に入れたくなる性分ゆえ、諫めたところにございます」


 姫がふてくされて頬を膨らませる横で騎士は深く頭を下げた。どうやら日常茶飯事の発作のようだ。


「はあ、そちらも大変ですね」

「それよりも」


 アルバーは再び時計を取り出し、マルゾコの前に置いた。

 ――その時計からは、何の音もしない。


「お話に聞いていた通り、動かなくなってしまっているようですね」

「ええ、王妃様が亡くなられてからはアリセルナ様が霊素エーテルを充填することになっておったのですが……」

「ふむ、恐らくは内部の駆動源になっている賢者の石との接続が弱いのでしょう。すぐにとりかかります」


 その言葉に、アルバーはきょとんとマルゾコを見つめた。


「しかし、そのお体では」

「問題ありませんよ」


 アルバーの言葉に即答したマルゾコは、内部からぐいと力を込めて自身を封じ込めているコックを外した。

 どろり、と液体とも気体とも知れぬ何かが溢れ、自身を抱えている人形に触れる。

 その瞬間、人形は勢いよくフラスコを持ちあげひっくり返し、自身の首元にフラスコの口をねじ込んだ。


「!!?」

「っと、少し傾いたな」


 くいっと角度を整えた姿は、なんとなく頭が丸いガラスで覆われた少年位の人間に見えた。

 その人形自体もどこか少年を連想させる幼い服装で統一されているが、背中の中ほどまでしかない短いフード付きローブがどこか異質な存在であると主張していた。


「騎士の皆様は壁際へ。姫様はその時計を持ったまま前に掲げて動かずに」


 マルゾコは立ち上がって姫が持つ時計にテーブルを挟んだままつま先立ちになって手を添える。すると、フラスコの中が淡い紫の輝きを帯び始めた。


「……うん、石と姫の霊素波長エーテルレンジが調整されてない。一日肌身離さず持っていたとしても、半日動くぶんくらいしか霊素は蓄積されないでしょうね。これでは王家の血族としての証明にならない」

「ど、どうしてそれを?」


 姫は驚いてマルゾコを見上げるが、そこにはただ薄暗い霧が渦巻いているだけだった。


「なあに。ちょっとばかし世界との関わりが長いと、場末の錬金術師も情報通になるものですよ」


 その言葉が終わると同時に、部屋の照明が半分ほど落ちた。


「おあ!?」

「なんだ、一体!?」


 騎士たちがどよめく中、マルゾコは落ち着いた口調で姫に話しかけた。


「体を楽に。あなたの霊素を少し分けてもらいます」


 添えた手を軽くひねると懐中時計の蓋が開いた。が、マルゾコはそれをさらに回すと、硬い金属音と共に左右に割れて展開した。


「えっ、なに!?」

使用者登録マスターレジスト、直前までの使用者情報欄にあなたの情報を上書きします。ちょっと痛いですよ」

「っ!」


 マルゾコの注意の直後、姫は時計を持つ手に微かな痛みを一瞬感じた。


「採取した血液から霊素情報エーテルパターンを解析して内部構造の賢者の石に自動で登録されます。しばらく待ってください」


 痛みが引くと同時に時計の針が目まぐるしく回転を始める。秒針も分針も時針も、それぞれが狂ったように回転して、ふわりと緑の光を一瞬放った後にぴたりと回転は止まった。


 チッ、チッ、チッ……


「あ! 動きだしましたわ!」


 騎士の一団からため息が漏れる。


「助かりました。これで姫が」

「王位継承の権利をはく奪されずに済みましたね」


 マルゾコはそのガラスの向こうでニコリを笑う。


「……どこまで、ご存じなのですか?」


 アルバーはもう驚かないが、警戒の色はより濃くなった。


「ご心配なく。私はこの街より外には興味がありませんから」

「その言葉、今は文字通りと受け取っておこう」


 謎の儀式めいた修理に驚きながらも、少々乱れた部屋から騎士たちは主君を連れて出る際、彼のささやかな独り言を耳にした。


「これで、またやり直せる……」



   Δ



「うむ。王家伝統の懐中時計が動く様をしかと確認した。アリセルナ・ファーンブロム・ティディオ・アリアント。そなたを王位継承者として認める」


 数日後、アリセルナは十六歳の誕生日を迎えた。

 この日までに彼女は何としても懐中時計が動いていなければならなかった。

 もし動いていなければ、彼女の王位継承権は失われていただろう。


「うまくいったようですね」


 権利認定式に参列していたアルバーに、宮廷魔術師のルーロベルトが話しかけてきた。


「ええ、ルーロ様の紹介していただいた錬金術師のおかげです。フラスコ頭がちょっと気になりましたが、仕事はきちんとこなしていただきました」

「そうでしたか。それは何より……」


 しかし、ルーロは彼の言葉に少し頭をひねった。


「……フラスコ頭?」

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