第17話 石檻からの解放
「ん……」
「あ、気が付いたかい?」
毛深い姿からは想像ができないほどのか細い声で目覚めた少女は、覚えのない優しい声に驚いてベッドの上で後ずさった。
「だ、誰ですか!?」
「あーあー、心配しなくていいよ。君が助けを求めたギルドの知り合いだよ」
「……あ!」
何かを思い出した少女は、おずおずとマルゾコに近づき珍しい姿に視線を泳がせた。
「え、っと、お人形さん?」
「まあどう取ってもらって構わないよ。一応この街で唯一の工房持ちの錬金術師だけどね」
「!!」
錬金術、と聞いて目の色を変える少女。突然周囲を漁っては何かを探し始めた。
「探し物は、賢者の石かな?」
ローティアは彼女が持っていたというオレンジの結晶を掲げる。部屋を照らすエーテル灯に照らされ、少し怪しく光を落とした。
「ど、どうしてそれを!?」
「その前に、君の治療だ」
マルゾコは少女の鎖骨の間に手をかざし、エーテルを送り込んだ。
「ふぁっ!」
すると膨大な構築式が幾重にも折り重なり、彼女の中に流し込まれた生物の情報が可視状態になった。それらは内包された様々な生物を構築しているエーテル粒子がお互いの存在に関与せず、かつ同じだけ表に出るように書き換えられ、ヒトでありながらヒトでない姿をするような内容になっていた。
「まずは魂の分離」
ローティアはマルゾコと目配せし、彼女の核の奥へとさらなる侵入を試みる。
エーテルを用いて構築式を
「あぐっ!」
「ごめんね、少し辛抱してて……」
少女は体を小刻みに震わせ、しかし大きく動かないことで答えを示す。
分離した他生物の結晶が、小さな賢者の石となって体外に排出されていく。
それに伴い展開されていた構築式の積層も徐々に薄くなり、また彼女の容姿もヒトのそれに近づいていった。
「ずいぶん…… 妙ね」
「何が?」
「錬成式が雑。まるで『解いてください』って言ってるみたい」
「実際、解けてるんだからいいんじゃあないの?」
「バカね、術式は簡単だと破綻しやすいの。ちょっとしたショックで暴走したり亀裂が入って砕けたりするの」
「ああ、確かに」
二人が話す間も解除は進み、最後の一文にまで進んだ。
「エーテルの供給弁を作ってる式だね」
「これは…… 任せるわ」
「了解」
マルゾコは
「よし、完了」
核座を取り除くとほぼ同時に、少女の身体から生えていた無数の体毛が抜け落ち、可愛らしい年頃の女の子の顔がのぞいた。
「……もう、大丈夫ですか?」
「ああ。歩けるなら鏡を見てきていいよ」
しかし、少女はベッドの上から出ようとはしなかった。
「すいません、ちょっと、体が起こせそうにないです……」
その言葉にローティアはくすっと笑ってマルゾコをつまみあげた。
「これだけ自分の身体をエーテルでひっかきまわされたら普通は喋れないものよ。私たちはまた後日来るから、詳しい話はその時に聞かせてちょうだい」
「は…… い」
それを聞いた少女は、安心したのか間を置かず眠りに落ちた。
「……本当に、治療してよかったのか?」
寝息を確認したローティアは、マルゾコの耳元で呆れた声で囁いた。
「ああ。ただ、今後の事を考えると彼女の持ち込んだ石の方も解除した方がいいんだけど」
フラスコの中が紫に染まる。なにかを言い淀んでいるらしいことはローティアにも伝わった。
「問題でも?」
「過去に何度か試したことがあるんだけど、純粋に時間が足りないんだよ。この街にかけられた賢者の石のエーテル還元に一年かかる計算をコイツに当てはめたとして、軽く年単位の時間が必要なんだ」
ましてこの石には、エーテルを戻す
「それは、例の期限ってやつに間に合うのか?」
「無理。だから取り掛かった覚悟をした時以外は、そもそも手を付けてない」
「まあ、そうだろうな。解除速度を爆発的に向上させる道具とかあれば別なんだろうけど」
「そんなのあったら、この街の解除に流用す……」
マルゾコは、そこまでいってあるものの事を思い出した。
Δ
「ご依頼のマルゾコさんの工房はこちらですか? 『鷹羽の帽子』所属のマルミドです!」
「待ってたよ、こっちへ」
後日。
例の少女はやはり名前をフェクタと言い、その日の翌日にはマルゾコの工房を訪れていた。
例の石を持って。
「じゃあフェクタ、その石を借りるよ」
「……はい」
マルゾコはそれを受け取ると、中央の作業台に置かれた箱の中に石をしまう。
すると、作業台は仄かな赤い光を放ち、僅かな間を置いて石そのものも輝きだした。
「エーテル反応、出てるね」
マルゾコは冷静に成り行きを見守った。
作業台のスペースに幾何学模様が幾重にも表示され、その細やかさは時間を追うごとにどんどん精密さを増していった。
「これ、解読できるレベルになると思う?」
「無理だね。それじゃあ」
マルゾコは作業台に
「な、なんですかこれ!?」
フェクタが怯えた表情で真っ赤な構築式の柱を見上げながら叫んだ。
「ああ、これは賢者の石に保存されている『
「め、
「万物にはエーテルが宿る。うちの師匠の言葉なんだけどね。そのエーテルって何だと思う?」
「さ、さあ…… 考えたことは」
「『記録』なんだよ。それがどんなもので、どんな力を持ち、どんな事ができるかが『記録』されているんだ。それを紐解き、純粋なエネルギーに転換したものが
ローティアがマルゾコの代わりに答え、柱の一部分をつまんで引き出す。ひものよ
うにスルスルと抜け出た構築式は、ヒトの血液に関する記載が延々と書かれている。
「賢者の石になったエーテル集合体には、人がヒトたらしめんとする情報が延々と書かれている。でも、石から純粋な魔素を抽出すると、これらの情報はただのエネルギーに変わるんだ。そして、それらはもとの状態に戻らないのが通説だ」
そこまで聞いて、フェクタの顔は真っ青になった。
「もど…… らないんですか!?」
「普通はね」
いつの間にか柱の裏側に移動していたマルゾコは、一緒に裏へ回ったマルミド《支援者》にある指示を送る。
「じゃあ、行きますね……」
マルミドは周囲の魔素と自分のエーテルを体内で混ぜ合わせ、世界への干渉を行う準備に入った。
「効果範囲は部屋全体。対象はあの『箱』…… 広げます!」
マルミドの練り上げられた魔法がエーテル粒子となって賢者の石をしまった箱へ放たれる。
だが、着弾した瞬間に箱は真っ赤に輝き、魔法の影響を中和しようと唸りだした。
「大丈夫、続けて!」
「は、はいぃ!」
ローティアの声にあわせてマルミドはさらにエーテルを注ぎ込んだ。
「もうちょっと、いけるはずなんだ! 頑張ってくれ!」
「……あっ、箱が!」
箱は赤く光ったままだが、その大きさが徐々に作業台のスペースを圧迫していくのがフェクタにも見えた。
「まだまだ! もう二回り欲しい!」
「はいいいいい!!」
マルミドの額に汗が浮かぶ。その汗が顔の横をつたい、顎に到達し、床に滴る頃には作業台は見えなくなっていた。
「よし、そこで固定して!」
ちょうど、柱がすっぽり入るサイズになるころ、ようやくローティアによって魔法の詠唱が止められた。
「さすが空間魔法の使い手。助かるよ」
「はぁ、はぁ…… これ、すごくきついんですけど、あれ何なんですか?」
「我々の見立てが間違ってなかったら……」
マルゾコは箱に近づいてエーテルを流し込むと、ヴン! と空気が震える音と共に、
「ここまでは、こないだと同じ……」
「行けるか?」
「やってみる」
マルゾコは、成れない作業台の操作に四苦八苦しながら、映し出される
「初期設定…… やっぱりあった。これを、反時間設定にして、経過は1000倍くらいか?」
たしたしと新たな設定を放り込むたび、構築式の書かれた文章が飛び出ては消えていく。
その作業が何度か続いた後、マルゾコは仮想作業台から離れ、ローティアたちに目配せした。
「起動する。うまく行けば数分で賢者の石が生成前の状態まで戻るはずだ」
その場の全員は固唾を飲んで起動を見守った。
「じゃあ……
エーテルを含んだ声によって箱は正常に稼働を始め、青白い光を放ちだした。
立ち上っていた構築式柱が、今度は箱に向かって縮みだす。だが、その流れはいつまで経っても途絶えることなく吸い込まれていく。
「よし、挙動に齟齬はない」
暫くすると周囲の空気すら張り詰め、室内だというのにひんやりとした風が舞い上がった。
「これ、何が起こってるんですか!?」
一番状況が飲み込めていないマルミドがマルゾコに説明を要求する。
「あの賢者の石を、元の『ヒト』に戻すんだよ」
「ふぇっ!?」
マルミドは式の柱とマルゾコを交互に見る。今の状況は、そんなコトをしているように見えないからだ。
「で、でも、賢者の石ってエネルギー結晶体でしょう? 時間を戻したらただの『無』だと思うんですが……」
「なんていうか、あの石には結晶としての構築式以外に何かを作るための基礎理論が埋めこまれているんだ。それの保存を行うために、ヒトを分解、再構築することで容量を確保してて……」
そこまで話してフェクタの顔が『?』でいっぱいになってきたので、マルゾコは咳払いしつつ姿勢を正す。
「ま、まあ見ててよ。もう少しで始まるはずだから」
その言葉通り、徐々に構築式の柱が細くなり青い光だけが残った。錬成の術式が箱の機能によって紐解かれ、元の組成体に還元され始めた。
「来た!」
石から解離したエーテルが中空で人体を構成する物質へと組み変わり、それらが骨や血液、皮膚を形成していく。
「うわっ、ちょっとグロい……」
マルミドは筋肉の組成が始まった体を見て視線をそらす。彼女が仲間の分断された姿を見たのは別の記憶のことなので仕方がないのだが、マルゾコにはそれが少しだけ滑稽に見えた。
するすると体が作り戻されていくのは彼らとしてはいつもと違うエーテルの流れなので微妙な気分ではあったが、最終きちんと息を吹き返すかだけが不安であった。
「……うまく、いってるはず」
一人、また一人と石の束縛から戻されて行く中でフェクタが一瞬駆け出そうとする。
「お父さん! お母さん!」
「もうちょっとまって!」
「で、でも!」
「まだあの空間は『箱』の管理下だ! 君の体が巻き戻ってしまうかもしれない!」
それを聞いたフェクタは、すぐさま離れる。あんな姿に戻ることは、何としても避けたいだろう。
「でもまあ、そろそろか」
マルゾコは再び箱に近づき、仮想作業台を操作する。
下り落ちる青い柱が徐々にその輝きを失い消失する。
先程まで室内を漂っていた冷たい空気も、再び熱をはらんで舞い上がっていく。
狭い空間で起こる気圧の変化をきっかけにか、中で巻き戻された人々が次々に目を覚まし、起き上がってきた。
「あれ、ここは……」
「ん?」
「あ、え?」
「きゃああああああああーーーーーーー!!!」
しかし、残念ながら衣服の再生までは行われなかったようで、その瞬間はちょっとした騒ぎになった。
Δ
マルゾコたちは騒ぎのせいで荒れた工房を直しつつ、石から解放された人々にそれぞれ服を提供したりと対応していく。
そんな中でマルゾコとローティアは、その中から工房の奥でうなだれている見知った顔を見つけた。
「まさか、あなたがこの石に閉じ込められているなんて」
その男の左目は失われており、ひどく生気のない顔をしていた。
「……一体、なにがあったんですか? あなたほどの錬金術師が、どうしてこんなことに!?」
男はくぼんだ左目ごとマルゾコを覗き込み、口の端をわずかに上げた。
「なにも」
男はそれだけ言うと、また俯いてしまった。
もちろん、マルゾコには覚えがあった。
二人の兄弟子であり、エーテルの実在を証明した錬金術師『銀眼のレリジン』その人でだった。
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