第5話 美酒は誰と飲むものぞ

 マルゾコ商店では、酒の製造・販売も行っている。

 酒蔵がケルダールに無いわけではないが、材料や生産コストがそれと全く異なる手法で作られる錬金術製の酒は、また風味が異なる。

 正確には酒蔵で作られる酒と同じ様に作ることもできるが、そもそも錬金術で作る酒に求められているのはそう言うものではない。


 時には果実を、時には小麦、時には穀物、時には乳、時には体液……


 製法は単純に錬成方程式に放り込んで醸造を待てばいいので楽なものだが、一人で行うには少々手間がかかるのが難儀なところである。

 少し雲が空でまどろむ頃、店に一組のカップルがやってきた。


「いらっしゃいまセ」


 プルクが少々大きな発音で来客を出迎える。その顔は人形決まった形のものであるために愛想笑いは不可能だ。


「あの、工房主さんはいらっしゃいますか? お願いしたいことがありまして」


 二人は若く、いかにもな雰囲気を醸し出している。


「私達、今度結婚式を上げるんです。そこで、式で使う血契酒けっけいしゅが欲しいんです」


 血契酒とはこの地方に昔から伝わる酒で、かつてはただの白酒に双方の血液を一滴垂らしたものを飲み合うという儀式的な意味合いだったのだが、最近は錬金術師が新郎新婦の血液から酒を醸造して両親家族に振る舞うのが習わしになりつつある。

 最初の頃はとある貴族が面白半分に注文したのがきっかけなのだが、今では安価で作ってもらえるということもあり、こういう注文が舞い込むこともある。


「ありがとうございマス。少量の血液を提供頂いたうえデ、おジカンを頂くことになりマスガ」

「ああ、大丈夫だよプルク。明後日には用意できます」


 話を聞いていたマルゾコは、奥からフラスコを覗かせて答えた。


「ちょうど今、助っ人が店に来ているんだ。ねえ、ローティア」

「姉弟子を顎で使うつもりか? 自前の工房を持ったからといい気なもんだ」


 血液を採取する小皿を手に、奥からマルゾコともう一人がカウンター前にやってきた。

 その人は、マルゾコ少年姿の人形より少し背が高いくらいの女の子で、黄色いフード付き外套を着ていた。そのフードにまるで猫の耳のような装飾が付いており、歩くたびにピョコピョコと不思議な動きをして見せた。まるで、生きている耳のようだ。


「まあまあ。血契酒に限らず、酒は一人で作るより二人で作った方が早く、おいしくできるし」

「まったく、たまに顔を出すとろくな扱いを受けないわ。……はい、腕出してください」


 客への態度に少々丁寧さが欠けるものの、その手際はさすが姉弟子。来客にほとんど痛みを感じさせることなく終わらせた。


「はい。それじゃあここに名前と連絡先を書いて…… はい。結構です」

「それじゃあよろしくお願いします!」


 二人は手を繋いで店を後にした。



   Δ



 マルゾコとローティアは工房に入り、注ぎ口のある浅いツボを挟んで立った。


「……調子はどう?」

「優秀な姉弟子のお陰で、すっかり」


 酒の材料に使う穀物や水を手際よく注いでいく弟弟子の様子を、ローティアは少々心配気味に覗き込む。


「全く、久しぶりに弟弟子の工房に顔を出したら、まさか妙ちくりんな身体になってたうえ、倒れてるものだから心配したぞ」

「そこは感謝しておりますよ」


 マルゾコは文句を言われながらも手際よく準備を進める。


「それじゃあ少しずつ注いでいくので、エーテルの注入お願いします」

「はいはーい」


 ローティアは、ツボの口付に近手を添えて静かに集中すると、中の材料が淡いピンク色の光を放ちだした。僅かな気泡が発生し始めると今度は中身がゆっくりと回転を始める。


「原料が呼吸し始めた。いいぞ、注げ」


 ローティアの掛け声にマルゾコは、先程客から預かった血液を瓶から銀色の皿に移してツボに注いでいく。一瞬皿に移すのは、雑菌を取り除くのとエーテルを纏わせるためである。

 数滴垂らすと、今度はもう片方の血液を注ぐ。交互に少しずつ注がれるツボの中身は、薄い白色だったものが琥珀色へと変化していった。


「うん、きれいな色だ。流石は姉弟子。エーテルの操作に関しては超えられる気がしませんよ」


お前達ノールド族と一緒にするな。こっちはお前の倍以上生きる長命種エレーラ族だぞ。エーテルの扱いもこちらに一日の長があるんだからな」

「それも近年錬金術師によって解析されてきてますよね? 俺たちノールド族だって寿命は長くなりつつありますし、錬金術さえ修めればそんなに遜色なくエーテルは扱えます」


 得意げに話すマルゾコにローティアは顔を歪ませる。


「まったく、店に着いた時の焦り様からは想像もできないしたり顔だな!」

「それに関しては、感謝してますよ」


 ツボの中身が綺麗で深い琥珀色に染まっていき、熱を帯び始めているのかふわりと湯気が舞うようになってきた。その湯気から据えた鉄の匂いが消えた頃、ローティアはエーテルの操作を止めて様子を伺う。あとは自然醸造で問題ないだろう。


「で、どうするんだ。店の惨状は見てくれだけでも整えたかもしれんが、また同じようなことがあるかもしれんぞ」

「今は何もしません。というより、何もできませんね」


 マルゾコは醸造中のツボより一回り大きなツボを用意し、目の細かい布を口に被せて紐で縛った。最後の工程の準備である。


「何もしない、って、それでいいのか?」


 ローティアは呆れ声を呟く。


「街の外部のギルドが何を調査しに来たのかが分からないですし、下手にこちらが大きく動くようなことはしたくないんです。自然と馴染んでいくのが理想なので」

「既に外部から来た調査隊が帰ってこないことの方がマズイんじゃあないのか?」


 うぐ、とマルゾコはフラスコの中を濁す。


「それは、確かにそうなんですが」

「なら、偽装報告フェイクレポートくらいは用意すべきと思うよ?」



   Δ



「ええ、来ました。けど、特に正式な手続きを踏んだわけではないので、動向の報告は受けてないんです」


 マルゾコは『都合がいい』と思いながら、適当な質問と精製薬をいくつか買って街を後にした、と嘘の報告をギルドに伝えた。


「そもそも彼らは、この街の何を調査したかったんだろうね」

「なんでも、このケルダールから人が消えた、と」


 その言葉に、マルゾコとローティアは体を強張らせた。


「そんな、まるで街の人間が数日の間に入れ替わる瞬間を目撃したかのような眉唾話を真に受けるギルドがあるのか、とこちらもで話題になってましたよ」


 受付はコロコロと笑う。彼らの判断基準では確かにそうなのかもしれない。


「そう言えばその方たちは『ザナス』から来た、とも仰ってました」

「え、『ザナス』から!?」


その言葉に反応したのはローティアだ。


「あ、はい。そう言えばザナスって、先日終戦した際の敗戦国でしたっけ? 『賢者の石』の生産、使用を根本的に認められなくなった国とか……」

「……そう、確か開戦国でもあり、敗戦国でもありますね」


 マルゾコは、声のトーンを落として受付の話に相槌を打つ。


「とりあえず、報告は以上です。我々はこれで」

「はい、お疲れ様です」


 受付もいつも通りの営業スマイルで彼らが外に出るまで見送った。


「……ザナスか」


 ローティアは小さく呟いた。

 ザナスとは、ある意味錬金術の始まりの国であり、初めて賢者の石の発見が報告された国でもある。大雑把に言うなら『賢者の石によって繁栄した国』なのだ。先の戦争は、そんな彼らの国益を無に帰す他国の政策に反意を翻した戦いだったとも言える。


「なんとなく、賢者の石とのつながりが見えた気がしますね」


 あのホムンクルスが狙っていたのは賢者の石。


「いくらなんでも、お前が賢者の石を持ってるとは思うまい。気のせいかとばっちりではないの……」

「きゃああああああーーーー!!」


 ローティアが自分と変わらない背格好の弟弟子に違和感を覚えたが、それをかき消す金切り声が大通りに叩きつけられた。


「何だ!?」


 マルゾコは声のする方を振り向くと、途端に人の波が襲いかかってきた。


「うお、おおお落ち着いっ、てっ!?」


 逃げ惑う人に体当たりを食らいながらなんとかマルゾコはその場に留まった。


「くそ、腹にいいモノを頂いちゃったぜ……」


 騒ぎを起こした連中から逃げる人混みをかき分けてようやく見渡せる場所まで出ると、その中心部には数人の人造人間ホムンクルスと思われる人影が立っていた。あらゆる生き物を継ぎ接ぎつぎはぎして作られた仮初かりそめの生物は、その手に命を奪う武器を抜き身で携えていた。


 ――赤い液体を滴らせて。


「穏やかじゃないね」


 ローティアは一歩進み出て、数人の人造人間に向けて叫んだ。


「あんたたち、この街に何のようだ!」


 すると、その中のひとり…… 蛇の頭を持つ女が下をチロチロ出しながら答えた。


「驚かせて済まない。我々はザナスが追跡兵。我が国から国宝を盗んだ盗賊を追っている」

「こっ、国宝!?」

「そうだ。万死に値する罪深き罪人はさきほど傷を負わせたが逃げられてしまった。見つけ次第処分し、国宝を奪還した後にここを去る。お前たちは速やかに立ち去れ」


 一人はネコ科の頭、もう一人はゴリラのような腕を持っている。生命を弄んだ結果の姿とはいえ、見ていてあまり気持ちの良いものではない。


(……ん?)


「どうしたマルゾコ、腹でも痛いのか?」

「いや、さっきの人混みで思いっきり」


 腹を擦りながらマルゾコは姿勢を正し、追跡兵に声をかけた。


「わかった。俺たちはここから立ち去る」

「お、おいマルゾコ!? いいのか?」

「あまり関わらない方がいい。ローティア、行こう」


 マルゾコはローティアの手を取って、足早にその場を後にした。



   Δ



 その日は一日中大通りを彼らが行き来したせいでほとんどの店や工房が店を閉めた。だが、結果的に盗賊は見つからずに彼らは数日この街に残ることになったらしい。

 マルゾコ商店は通りの隅っこなので様子を見ながらではあるが通常通り営業していたため、店員も一人多くいたことも幸いして普段の数倍の売り上げを上げることができた。


「さて、じゃあ今日は店を閉めようかな……」


 だが、マルゾコは閂を落としただけで店の照明を落とそうとしない。


「どうした? 何か忘れものか?」


 臨時店員ローティアはどこか不自然な様子の弟弟子に声をかけた。


「いや、ちょっとね」

「主、戸締りは終わりましタ」

「ありがとうプルク。それじゃあ」


 マルゾコはカウンダーの少し広いところに立ち、懐をまさぐった。


「確か、この辺……」


 そして、そこから手のひら大の琥珀色の塊を二つ、目の前に並べた。


「お、おい! それって」


 近づこうとするローティアを制しながら、マルゾコはその塊を手に取り、明かりに透かして中身を覗き見た。

 まるで、誰かに見せびらかすように。


「触るな!」


 突如近くにある棚の影から大声があがり、塊を持っていた方のマルゾコの手が宙を舞った。


「うぉっ!」


 マルゾコたちの意表を突いた攻撃が成功し、中空に放り出された塊を影から現れた何者かがそれを強引に奪って入り口の方へ駆けだした。


「あっ、く、なんだこれ!?」


 だが、閂を落とされた扉はびくとも動かず、その場に足止めされてしまった。

 試しに閂を外そうと手をかけるも、全く動く気配がない。


「ダメだよ。それは普通の人じゃあ動かすなんてできない」


 マルゾコは離れ落ちた手をちぎれた場所にねじ込み、手を握ったり開いたりして動きに支障がないか確認する。


「俺の体は生身じゃないんだ。残念だったね」


 フラスコの中身が青や緑に色を染めながら微妙にくゆる。彼なりの笑顔の再現らしい。

 侵入者は諦めてマルゾコに向き直った。薄茶色の汚れた短い外套を羽織り、目深にフードをかぶっている。手には先ほどマルゾコの手を切り落としたと思われる、真っ黒に塗りつぶされた小剣が握られていた。


「……人形ゴーレムか」


 想像の倍ほど高い声が侵入者から漏れ出た。どうやら女性のようだ。


「残念。ちょっと錬金術をかじった、れっきとした人間さ」


 そして、改めて懐から琥珀色の塊を一つ取り出した。


「!?」

「探し物はこれかな?」


 それを見た侵入者は自分の手元にあるものと見比べ、瞬時に偽物を掴まされたことに憤り、持っていたほうのを床にたたきつけると、甲高い破裂音とともにそれは砕け散った。

 怒りに任せた侵入者は、その勢いにのせて小剣をマルゾコに向け、大声で叫んだ。


「返せ! それはウチのとうさんとかあさんだ!」

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