第4話 悪女への道2
私はヴィンセントが差し入れてくれた本で勉強を続けた。
雨の日も風の日も風邪気味の日も、毎日最低八時間は魔法の練習をした。
生活魔法以外の適性がないことが発覚したけれど、逆に言えば生活魔法は使うことができるのだ。
七歳の頃から測っていないけれど、魔力の数値自体は兄姉でも高い方だった。
魔力と魔法技術を高める努力を積み上げ続ければ、生活魔法でも通常魔法に勝つことは不可能ではないはず。
「行け! 《草木に水をあげる魔法》!」
「わっ、水が出ました! すごいです、ミーティア様!」
「いいえ、このくらいはまだ序の口よ。魔力を上げるトレーニングをし続けて来た私が全力を込めれば、生活魔法でも高出力の魔法を放つことができるはず」
「でも、そんな話は聞いたことないですけど」
「常識なんて壊すためにあるのよ! 行け! スーパー《草木に水をあげる魔法》!」
「水の勢いがちょっとだけ強くなりましたね」
「…………」
悲しい気持ちで水浸しになった床を拭いたこともあった。
「今日は《飲み物に入れる氷を作る魔法》の練習よ」
「なるほど、ちょうどいいサイズの氷ですね」
「重要なのはここからよ。ただ単純に魔力を込めても、魔法式の効果には限界がある。だったら数で勝負よ。魔法式を何重にも重ねがけして力尽くで出力を上げる」
「でも、そんな話も聞いたことないですけど」
「あの失敗から私は学んだ。見せてあげるわ、シエル。成長し、覚醒した私の力を。行け! スーパー《飲み物に入れる氷を作る魔法》!」
「な、なんて数の氷! 数が多すぎてあふれかえった氷でミーティア様の首がすごい角度に!」
「あばばばばばばば」
「今助けます! 死なないでミーティア様!」
失敗して首が折れそうになった日もあった。
「今日は《煙草に火をつける魔法》の練習よ」
「大丈夫ですか、ミーティア様……前回は失敗したという話ですし、さすがに火は危険なのでは」
「全然まったくこれっぽっちも問題ないわ、ヴィンセント。所詮、社交会で二流商人が貴族に気に入られるために使う程度の魔法。何より、失敗を経て私は成長している」
「しかし……」
「過保護なシエルは止めようとするから、来ていない今日しかチャンスがないの! 今度こそ私は真の力を発揮してみせる! 行け! スーパー《煙草に火をつける魔法》!」
「すごい! 見事な魔法制御力です、ミーティア様。自分は一切火傷することなく、髪だけを焼いて真っ黒のアフロヘアーに変身するとは」
「そ、そうね。成功なのよ、これは。ぐすっ、えぐっ……」
鏡の前で落涙した日もあったけれど、私は悪女を目指して徹底的に自分を鍛え続けた。
「大きくなったわね、ミーティア」
お母様が私に会いに来たのは、そんなある日のことだった。
「特に髪のあたりがすごく立派になったわ。なんというか、その……斬新ね。私は良いと思うわよ。ミーティアにはミーティアの好きな自分でいてほしいし」
優しさが身にしみた。
私は一刻も早く《髪を綺麗にトリートメントする魔法》を身につけて悪女っぽい艶やかなロングヘアーを取り戻すことを決意した。
お母様はお父様にも内緒で会いに来てくれたみたいだった。
前に見たときに比べて、随分と痩せているように見えた。
しんと冷えた空気。
漂う埃が魔導灯の光を反射して瞬いていた。
私はずっとお母様に聞きたいことがあった。
どうして魔力適性を鑑定された日、私を守ってくれたのか。
貴族社会において子供を育てるのは使用人の役目だ。
伯爵夫人の務めが忙しいお母様と関わる機会はほとんどなかった。
だからこそあの日のお母様の姿が、私にとっては驚きで。
あんな風に誰かが守ってくれたことなんて前世も含めて一度もなかったから、あのとき抱きしめられて感じた体温は今も私の中に残っている。
「どうしてあの日、あそこまで必死に私を助けようとしてくれたんですか?」
聞いた私に、お母様は何も言わなかった。
言葉を探すように押し黙って。
それから言った。
「私はずっと周囲が望む自分を演じて生きてきたの。調子を合わせて、空気を読んで。間違ってるんじゃ無いかって感じる貴族社会のいろいろなこともこれで正しいんだって自分に言い聞かせてた。考えを主張する勇気なんて私にはなかったから」
お母様は言う。
「だから侍女たちから貴方のことを聞いてびっくりしたの。誰にも言われてないのに自分の意志で勉強して、立派な一人の人間になろうとしてる。私からこんな娘が生まれるなんて信じられなかった。貴方の存在を私は密かに誇らしく思ってたの。臆病な私の中にも、貴方みたいな強い部分があるんだって勇気をもらってた」
お母様は目を伏せて続けた。
「だからこそあの日、絶対に守り抜かないといけないと思ったの。私は臆病だからなんて言い訳してちゃいけない。これは私がしないといけないことなんだ。一生に一度しか勇気を出せないとしたら、それを出すのはここだって。貴方のおかげで私は少しだけ、ずっとなりたかった自分になることができたの」
お母様の手が私の髪に触れた。
やわらかい指の腹がやさしく頭を撫でた。
「何があっても貴方は絶対に大丈夫。何をしてもいい。何を言ってもいいの。誰にどう思われても、気にすることなんてない。私はずっと貴方の味方だから。それを忘れないでね。少しだけ遠くの世界に行って会えなくなったとしても」
お母様は言った。
「生まれてきてくれてありがとう。大好きよ」
お母様はその言葉を通して、私に大切な何かを伝えようとしているのだと感覚的にわかった。
どんな言葉でも伝えきることはできない、大切なこと。
お母様が亡くなったと聞かされたのはその二週間後のことだった。
私は涙を堪えながら、いつもよりたくさん魔法の練習をした。
何かしてないと泣いてしまいそうだったから。
それは憧れるかっこいい悪女とは違うから。
がんばったおかげで、《髪を綺麗にトリートメントする魔法》は無事成功し、私は艶やかなキューティクルと悪女っぽいロングヘアーを取り戻すことができた。
(お母様がずっと我慢してた貴族社会の悪いところ。私が全部ぶっ壊してみせるから)
名目上の領主代行として、辺境の領地――リネージュの地に派遣されることになったのはそのすぐ後のことだった。
魔法が使えない劣等種の住む場所として、行われた圧政によって荒廃した土地。
何の産業もなく、農業にも適さない。
治安は悪化の一途を辿り、劣悪な栄養状態から伝染病が蔓延している。
魔法国で今、最も危険な場所。
「あんな危険なところにミーティア様が……」と侍女たちは目に涙を浮かべていたけれど、私の胸には期待と決意があった。
(暴徒や流行病なんかに絶対負けてなんてやらない。私は世界一の悪女になる)
強い思いを胸に、東の空を見つめる。
(見ててね、お母様)
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