手記
ザザーン……。ザザーン……。
潮騒の音が聴こえる。ときおり心地良い潮風が吹き抜け、どこからか、子供たちの遊び声やボールの反響音を運んでくる……。
◇
私は迷っていた。
白い石造りの城砦都市。
回廊を歩き、階段を昇ったり降りたりしながら、いくつもの部屋を通り抜ける。ときどき現れる中庭には強い陽射しが照りつけ、白い石壁と咲き乱れるカボチャ農園の緑とが、色彩のコントラストを奏でている。廊下には放置されたストレッチャー(この国の主要な乗り物だ)。
無数の病棟が連なる様は、さながら巨大な迷宮のようであった。
各病棟はそのまま国民(患者)の居住スペースでもあり、私は最初通り抜けるのを躊躇したが、皆ニコニコと無言の笑顔で通してくれた。
◇
この島は一個の巨大な城砦であり、病院だ。
国民は全員が患者にして医療関係従事者で、相互に医療行為を行って生活している。食糧は100%自給自足で、主食は中庭で収穫されるカボチャだ。主要な交通手段は徒歩だが、高速移動を要するときにはストレッチャーを使う。
国王は病院長であり、私はその人物に用事があった。彼の有する《トンガの秘宝》を借り受けねばならない。どういったものなのかまでは分からないが、私のミッション達成には不可欠なアイテムであることが判明している。そのため、私はいかだで単身渡海し、エーテルの潮流に乗って、この隔絶された島まで辿り着いたのだ。
◇
しかし往けば往くほど、内部は複雑さを極め、私はすでにどの辺りを歩いているのか分からなくなっていた。王宮(院長室)は城砦の中心部に位置するという。白塗りの案内板は常に7~8方向くらいの診療科や病棟群を指し示しており、その中から中心部を指し示す矢印を頼りに歩いてきた筈だが、どこかで道を間違えたのだろうか。言葉が通じないので、住人に道を尋ねることもできない。
長い階段を降ってゆくと、不意に視界が開け、これまで見なかったような無人の大空間が出現した。幅50メートル、奥行きは200メートル位であろうか。天井に施された装飾紋様の穴から、太陽光が疎らに降り注いでいる。ここは一体どういった目的の部屋だったのだろうか。長年使われていないであろう、打ち捨てられたベッドが数個だけ並んでいる。他には何もない。暗闇に次第に目が慣れてくると、ベッドの一つに、人影があることに私は気づいた。
近くまで歩み寄ると、それは痩せこけた老人だった。髭は伸び放題に伸び、骨と皮のようになった身体を病衣で包んでいる。かけた丸眼鏡にレンズは無かった。生きているのか死んでいるのか分からない。
「あ……あんた……」
突然老人が身じろぎし、薄眼を開け、震える手を私に伸ばした。生きていたのか。そして言葉が通じる。私は動揺を隠しながら応えた。
「どうされましたか」
「こ……これ……を……」
差し出されたのは一冊の分厚い大きな本。年月の経過を感じさせるその表紙には、こう書かれていた。『トンガ病院全図』。
「わしは……ここで待っておった……『旅人』が現れるのを……」
「貴方はこの国の出身ではありませんね?」
私は頁をめくりながら訊ねた。そこには驚くべき細密な図が、何百ページにも亘って書き込まれていた。
「そうとも……。わしは若い頃、単身海を渡り、この地に辿り着いた……。そして生涯をかけてこの島を測量した……。だがわしはもう長くない……この本をあんたに託そう……。この地図は未完成じゃ……続きを完成させるなり、好きにするがよい……」
老人はそこまで喋ると、息を引き取った。
本の内容を見て、私は戦慄した。私が彷徨ったエリアは表面のほんのごく僅か。外周部分は気が遠くなるほどの巨大な円周を描いており、なおかつ、驚くほどの多層構造になっていたのだ。中心部分は未だ空白。理論上、王宮(院長室)が存在すると思われる予測地点には×印とクエスチョンマークが書き込まれている。トンガ病院は想像を遥かに超える巨大迷宮都市だったのだ。
◇
私は今、中心部……まだ見ぬ王宮(院長室)に向けて旅立とうとしている。それには老人の残したこの本が、ある程度の道標となるだろう。目的地に到達するまで、何十年、或いは何百年かかるのかは分からない。道中の食糧に困ることは無いだろう。カボチャの庭園はそこかしこに点在している。また、私のような旅人であっても、病気をした際には医療サービスを受けられることが、老人の本の記述から判明している。
病院王に出会うことが叶えば《トンガの秘宝》を借り受けることができるかもしれない。そうすれば一つ前の旅のミッションは達成可能となる。或いは、秘宝を借り受ける為に新たな交換条件を出され、別の旅が始まるのかもしれない。
私の名は宇那木由依子。
夢世界旅行者だ。
夢世界旅行:第七十二層「トンガ病院」 ウナーゴン @unargon
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