第9話 体育祭 前編

 体育祭当日。

 俺は母さんに黙って水浴びをした。

 ――16歳。

 若さを維持できる最後の年だろう。

 

「やるぞ……やってやるぞ……!」


 俺は通販で買った火打石をカチカチと鳴らして縁起を担ぐ。

 ……自分でやるもんじゃないのは分かっている。けど万全を尽くしたいんだ。


 朝食の食パンを食して、肩で風を切るようにして学校に向かった。


 ◇


 通学路を歩いている最中、この1ヶ月のことを考えた。

 もちろん、三枚目忍者の練習を怠らなかったという振り返りの意味もあるが、どちらかというと俺以外についてのことだ。


 ――妙に俺の周り(淫魔)が静か過ぎた。2年生になった3日目から、あの淫魔どもがエロアピールしてこなくなったのだ。


 俺の異常体質に変化が起きたのかとも疑ったが、俺のほうをチラチラ見てはウインクをしてくるあたり、それはないらしい。


 後、なーんか淫魔同士で小競り合いをしてるというか、火花を散らしまくってるというか、よく分からないことが起きていた。


「ま、俺と白鳥先輩には関係のない話だな!」


 パッと思考を切り替え、早めに体育着に着替えるために走った。


 ◇


「…………なんていうの、お前、本当にたくましいな」


 校庭の外周部、2年生エリアに腰を下ろしていた深山がため息混じりに言った。


「なにがだよ」

「なにってお前……その双眼鏡、いくらのよ」


 俺が構える双眼鏡のことを言っているのか。

 まったく、白鳥先輩を捉えるので忙しいってのに。


「8万くらいかな」

「は……8万!? なにやってんだお前」

「じゃあ逆に聞くけど、遠くの白鳥先輩を綺麗に見ることができる機会を失う代わりに8万を手に入れて、果たしてその8万に価値はあるのか?」

「あー、うん、俺が悪かった、どうぞご観覧を続けてください」


 それきり深山はスマホゲームに勤しんでいた。

 分かればいいんだ分かれば。


 開会式まで時間はまだある。

 白鳥先輩見放題! 最高!

 いつもは私服だから、たまに着る紺色の体育着姿が映える。

 

「うっ……!」


 なんだ?

 今目が合ったような……。

 いや、そんなはずはない、馬鹿みたいに距離があるぞ!

 

 しかしあの蠱惑的な眼差し……いやはや、美しいとしか言いようがない。


 俺は胸の苦しさを抑えて双眼鏡から目を離した。


 ◇


「さて、そろそろ作戦決行の時だ」


 開会式を終えて1つめの競技、徒競走が始まる。

 これは全学年が行い、1年生から順々に走っていく。

 当然、俺が勝てる道理はない。よくてビリから2番目というところだろう。


「……だからこそ、やりがいがある」

「なにニヤニヤしてんだよ」


 後ろから深山がヌッと顔を出してきた。


「俺が白鳥先輩以外のことでニヤニヤしていたことがあったか?」

「……ないな。つかニヤニヤしていたことを否定しろよ」


 深山の忠告を無視して俺は徒競走の列に並ぶ。

 そして1年生の徒競走が終わり、2年生の番がやってきた。


「うっし、やるぞやるぞやるぞ」


 気合いを入れながらも冷静に白鳥先輩の位置を確認する。

 直線70mの位置か。いい位置にいる。

 

 ようやく俺の番になった。

 両隣に2人ずつ並んでいる。みな運動部でゴリゴリに日焼けをしている。

 ーーああ、いいさ。こういう負け戦が楽しいのよ。


「位置について」


 体育の先生がピストルを上に構える。

 全員がクラウチングスタートの体勢をとり――


「よーい……ドン!」


 先生の声とともに打ち上げ花火のような音が鳴らされる。

 瞬間、両隣の男どもが一斉に走り始めた。


「いくぜ……まずは忍者走り!」


 説明しよう!

 忍者走りとは、両腕を後ろに下げ、やや前傾姿勢で走る走法である!

 某有名忍者漫画の人物もこの走りをしているぞ!


 俺の周りから爆笑する声が聞こえる。

 くぅ〜、たまんねぇ!

 

 50メートルを過ぎた。

 白鳥先輩は――まるで俺を見ていない!

 なぜだ! こんなにみんなは笑っているのに!?


「仕方ない、これは使いたくなかったが……」


 俺は体育着のポケットに忍ばせていた手裏剣(ゴム製)を手に取る。

 まもなくゴールする4人の男どもに照準を合わせ――


「チェストー!!!」


 見事に4枚、男どもの頭部に命中した。

 男どもはギロリと俺を睨んだが、構わず忍者走りを続ける。


「ハッ、ハッ、見ててくれましたか! 白鳥先輩!」


 白鳥先輩がいた70m付近で横を見る。

 とーーそこには名もなき女生徒が俺を蔑むような目で見ているだけだった。


「な――にぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ!!!」


 ばかな、ばかなばかなばかな!

 なぜ白鳥先輩がいない!?

 この完璧な作戦のどこに穴が!?


 膝が揺れ、とても立っていられない。

 腰が砕けるようにして俺はその場に前のめりで倒れた。


 その1秒後、ゴールを告げるピストルの音が俺の耳に届いた。


「信じ……らんねぇ……」


 三枚目を気取った俺は、見事に3枚に下ろされた。

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