その後の佐助

飛鳥 竜二

第1話 小原の老人

空想時代小説


 片倉小十郎で有名な宮城県白石市の郊外、蔵本に小さな墓地がある。そこには、田村定弘とその奥方の墓があり、その傍らに名もない小さな墓が2つある。ひとつは奥方の父である真田信繁(幸村)の墓と言われている。そして、もう一つが墓守りであった男の墓だという。名を佐助というそうだ。


 時は江戸時代。徳川の政権が安定してきた家光の時代。背が丸まった80才前後の小柄な男が、みちのく白石の里の小原にある川沿いの温泉につかっていた。ここ小原の温泉は「目に小原」と言われる秘湯である。年老いた人間にとっては体にいい。また洞窟内に温泉がわいているので、人目を避ける人間にとっては好都合である。

 男は、この小原と白石城下の中間にある炭焼き小屋で、炭焼きを生業として生きていた。年の割には、足さばきが素早く、山道を苦もなく歩く。時に、物音に反応し、木陰に隠れることはあるが、何もないことを確かめると、また歩みを始める。

 夕刻には、いつものように墓地についた。落ち葉をはらい、墓石を手ぬぐいでふき、手を合わせる。これが、この男のいつもの行動だった。墓の主は田村定弘とその奥方阿菖蒲。田村定弘は政宗の正室愛姫(めごひめ)の父、田村清顕の孫養子。愛姫の甥子にあたる。小田原の戦いに田村家は参戦せず、改易となった。これは政宗から小田原への参陣は不要と言われたためであり、田村家の重臣は政宗に反発し、佐竹氏へ移っている。

 定広は、愛姫の親戚であるので、政宗の重臣片倉小十郎の家来として迎えられた。そして大坂の役で、2代目片倉小十郎は真田信繁の娘阿梅と阿菖蒲を連れ帰ってきて、後日、阿梅は片倉小十郎重長の後室となり、阿菖蒲は田村定広の正室となったわけである。阿菖蒲は一男一女を産み、60才近くまで生きたと言われる。

 二人の墓の傍らに無銘の小さな墓がある。これは阿菖蒲が父真田信繁のために建てた墓と言われている。もちろん、遺骨があるわけではないが、墓の下には桐箱に入った遺髪が入っている。佐助が、大坂夏の陣の際に、真田信繁から託された遺髪である。

 時はさかのぼって、大坂夏の陣。道明寺の戦いで敗れた真田信繁は佐助とともに、天王寺近くの安居神社の境内にいた。

「佐助、今まですまない。わしはもう終わりじゃ。もう動けん」

「殿、そんな弱気にならず、今までにも、つらい時は何度もありました。それを乗り越えてきたではございませんか」

「いいのだ。佐助。充分戦った。敗れたとはいえ、真田の名はいつまでも残るであろう。気になるのは奥とその子どもたちだ。佐助よ。奥と子どもたちを頼む」

と言って、毛髪をひとつかみし、脇差しで切り取った。その毛髪と脇差しを佐助に差し出し、

「これを奥と子たちに渡してほしい」

「殿!」

「ほれ、敵がせまってきた。急いで立ち去れい」

佐助は人の気配を感じ、信繁のいる大岩の陰に隠れた。

「そこの将、名のある武将と見た」

「よくぞ参った。我こそは真田左衛門佐。我を倒し、手柄とせよ」

「ナヌ! 真田とな。 これは好機。いざ尋常に勝負!」

 信繁は最後の力を振り絞って立ち上がり、刀を抜いた。3太刀ほど交わすことはできたが、疲労困憊の体は長くもつことはなく、敵の応援に来た武士に槍で突かれ、首を取られてしまった。佐助はそれを見届けると、京へ向かった。涙がとめどなく流れ、ほほを伝っていた。


 京都龍安寺に真田信繁の奥方はかくまわれていた。敷地内の池の浮島みたいなところに尼僧が住む庵があり、そこに隠棲していたのである。龍安寺は大谷吉継が生前庇護した寺院で、その娘である奥方は、その縁を頼ったわけである。もちろん徳川方には知られており、周りは徳川方の忍びで囲まれていた。真田の生き残りが、やってくるのを待ち伏せしていたわけである。

 佐助は昼に龍安寺に墓参りする客をよそおった時に、気配を隠そうとしている寺男の存在を知った。

(徳川方の忍びか、伊賀の者か、柳生の者か)

 夜分、寝入った時間に佐助は信繁の奥方の枕元にいた。

「だれじゃ?」

「お静かに、佐助でございます。あかりはつけずに」

月明かりだけだが、聞き慣れた声でお互いがわかりあえた。

「佐助か、無事だったのね。それで殿は?」

「討ち死になされました。一時は家康の本陣近くまで行けたのですが、敵の旗本衆にはばまれ、本懐を遂げることはできませんでした。しかし、真田の名は残せた。とおっしゃって天王子安居神社で最期を迎えられました」

「やはり・・・殿らしい最期だったのでしょう」

と涙声をこらえていた。

「殿よりこれを」

と言って、佐助は信繁の遺髪と脇差しを差し出した。

「これを私が受け取っても、殿の墓を建てるわけにはいきません。見張りがついている身。何かあっては無駄になります。これを我が子のだれかに、子どもたちの行先は?」

「長男の大助さまは、秀頼公・淀君さまとともに最期を迎えられました。阿梅さまと阿菖蒲さまは、かねてからの片倉家との密約に従い、政宗公の行列に入っております。政宗公は片倉家にお預けするもようです。二男の大八さまは、鞍馬寺にかくまわれているとのことです。大八さまの守り役我妻佐渡さまがお姫さま方を追って、片倉家に向かうとのことです」

「そうですか。大助は殿の命で秀頼さまを守っていたのですね」

息子の死を知り、しばらく絶句となった。

「姫たちは、やはり政宗公に預けられたのですね。殿や父が小十郎殿と親しくしていたのが、功を奏しましたね。大八が無事でいてくれれば真田の血も残ります」

と言って、奥方は袋に入ったいくばくかの銀を佐助に渡した。

「豊臣からいただいた銀子の一部じゃ。今後のくらしに役立てよ」

「はっ、ありがたくちょうだいいたします。無駄にはいたしません」

「そろそろ、見張りの者が気づくころじゃ。気をつけていかれよ」

「はっ、奥方さまもお元気で」

と言うと、佐助は天井裏にとびあがり、屋根伝いに外へ出た。

「佐助、無事で行けよ」

 信繁の奥方は、その後、龍安寺大珠院の院守となり、一生を終えた。父大谷吉継と夫真田信繁を弔う日々だったと言われる。自分の墓とともに、信繁の墓も建立している。きっと信繁の魂はここにきたのだろう。


 庵を出ると、佐助は人の気配を感じた。そこにピュッと手裏剣がとんできた。佐助はとっさによけ、手裏剣は近くの立ち木に突き刺さった。十字手裏剣だ。

(柳生か、しかし、一人なのは好都合)

 暗闇なので、視界はきかない。月明かりが届かないところにおり、気配を消せば見つかることはない。先に気配を与えた方が負けだ。しかし、敵は自分の庭。ましてや応援がやってくるかもしれない。

 佐助は長居は無用と決め、分身の術を使うことにした。近くにある木切れを手に取り、自分が転がりでて、その方向に木切れを投げつける。自分はとっさに別方向に逃げる。その方向に敵がいればやられる。いちかばちかだ。

 都合よく月が雲にかくれ、そのタイミングで佐助は飛び出した。夜目はきたえているので、茂みや立ち木はわかる。転がり出て、その方向に木切れを投げつけ、茂みの音をたてた。案の定、その茂みに手裏剣がとんでいる。佐助は左の方向に飛び移り、立ち木にすばやく登り、木々を伝わり、その場を逃れた。手裏剣使いは上方向にはなげにくいからである。


 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る