始末の仕方

 夜が更ける頃、店内は近所の常連たちで満席になった。「店が閉まるんは惜しい」「この店がなくなったら、どこで飲めばええんや」と、惜しむ声があちこちから聞こえてくる。伯母は特に常連の相手をすることもなく、黙々と手を動かしている。


 常連たちから聞いた情報によると、従業員の就職先を世話したのは伯母だという。


「アルバイトの子だけちゃうで。いろんな道具が次の場所へ行くんや」


 赤ら顔の常連が、ご機嫌な顔で教えてくれる。


 まだ使える道具類は、道具屋に引き取ってもらう手筈になっているらしい。


『自分が元気なうちに、始末をつけなあかん』


 いつかの伯母の声がよみがえった。


 常連さんもいて、まだ伯母の体も元気で。なぜ店を閉めるのかと疑問に思っていた。でも、これが伯母なりの始末の仕方なのだ。店を畳むのにも労力がいる。


『いつまでも意地張っても迷惑をかけるだけや』


 昔から、そうだった。


 仕事に誇りと責任感を持っていた。真面目で、頑固で、妥協を許さない。そういうひとだった。


「ごちそうさん、美味かったわ」


 千鳥足になった客さんが、にこにこしながら店を出て行く。伯母はちらりと視線をあげて「まいど、おおきに」と言った。その顔は、いつもの仏頂面ではなかった。


 伯母の顔はわずかにほころんでいた。お客さんに「美味しい」と言われたとき、伯母はいつもこういう顔をするのだった。


「……ありがとうな、助かったわ」


 最後のお客さんが店を出たあと、伯母が千影に頭を下げた。


「伯母さんこそ長い間、お疲れさまでした」


 千影も同じように、頭を下げる。


 本当に終わってしまった。


 無事に営業を終えられた安堵感と同時に、どうしようもない寂しさがある。千影ですらそう思うのだから、伯母はもっと強く感じているだろう。


「お腹減ったやろ、一枚焼いたるわ」


 そう言って、伯母は鉄板の前に立った。


「何にする? 豚玉か、焼きそばか、なんでも好きなん言い」


「……モダン焼きがいいな」


 モダン焼きとは、関西風のお好み焼きに、焼きそばを入れて焼いたものだ。


 見た目は広島風のお好み焼きに似ているけれど、調理方法が違う。広島風は薄いクレープ状の生地に千切りキャベツと麺を乗せ、目玉焼きをプラスする。


 一方のモダン焼きは、キャベツをあらかじめ生地に混ぜてお好み焼きを作る。その上に麺を乗せて、焼き付けて作る。使う食材が同じで見た目も変わらないけど、まったく別の料理なのだ。


 油の馴染んだ鉄板の上で、中華麺を焼く。通常はお湯をかけて麺をほぐすのだけど、伯母は隠し味として出汁を使う。麺に出汁と油がまわったら、ソースを垂らす。ジュッと香ばしい匂いが広がった。


 麺は一度お皿に移し、今度は生地を焼く。鉄板の上に丸く生地を流し入れる。このとき、少しだけ生地を残しておく。甘辛く煮たすじこんをたっぷりとトッピングしてから、その上にソースが絡んだ麺をのせる。 


 残しておいた生地をかけたら、少し時間を置く。生地のまわりが黄色くなってきたらコテを使って裏返す。そのまま五分ほど焼いて、再度ひっくり返す。こってりとしたソースをたっぷりとかけて、かつお節、青のりをまぶす。お好みでマヨネーズをかけても良い。


 千影の大好きな、すじこん入りモダン焼きの完成だ。


 はみ出したソースが鉄板の上でじゅわじゅわと跳ねている。食欲をそそる香ばしい匂いがたまらない。口の中に入れると、まずはガツンと濃いソース味がくる。続いて酸味のあるマヨネーズ、青のり、かつお節。隠し味の出汁の風味もほんのりと漂う。


 ふわふわの生地ともっちりした麺の食感。キャベツからは甘みを感じる。ごろっとした牛すじとこんにゃくは、味はもちろん噛み応えも抜群だ。噛めば噛むほど口の中においしさが広がる。


「そういえば、あんたはいつの頃からか、モダン焼きばっかり食べとったな」


 夢中で食べていると、伯母がしみじみと言った。


「お好み焼きと焼きそばの両方が食べられて、贅沢な感じがして好きやってん」


 伯母は、よく千影にお好み焼きを焼いてくれた。夕食は決まって店の一番端のカウンター席だった。大阪に来たばかりの頃は、一番オーソドックスな豚玉をよく焼いてもらった。


『好きなもんを言い』


 初めから、伯母は千影にそう言ってくれていた。千影はその度に「豚玉」もしくはシンプルな「焼きそば」と答えた。居候の身で、手間のかかるメニューを注文することは憚られた。子供ながらに気を使っていたのだ。


 本当は、モダン焼きが食べたかった。お好み焼きなのに中に焼きそばが入っている。一度に両方が食べられて、贅沢だなと思った。ずっと遠慮していたけど、あるとき隣に座ったお客さんがモダン焼きをオーダーした。


 おいしそうに食べる様子を、千影はよほど羨ましそうに見ていたのだろう。


『あんたもいるんか?』 


 気づいたら、目の前に伯母がいた。仏頂面でじっと見られて、千影は思わず俯いてしまった。ふん、と小さく鼻を鳴らし、伯母は鉄板の前に立った。そうして、しばらくすると千影の前にモダン焼きが置かれた。


 モダン焼きを食べるようになったのは、それからだ。


「私、伯母さんの作るモダン焼きが好きやってん」


「……そうかいな」


「焼いてるとこ見るんも好きやった」


 いつも仏頂面で、それでもお客さんから「おいしい」と言われるとうれしそうな顔になって。そういう、このひとが好きだった。


 食べ終えて、ふうっと息を吐く。満腹になった自分のお腹をさすっていたら、ふいに杉野館の皆の顔が浮かんできた。お腹がいっぱいになって満足した顔。おいしいものを食べた後のなんともいえない満たされた表情。


「……私な、自分の作ったもの食べてもらったり、『おいしい』って言ってもらったりするのが好きやねん。幸せそうな顔をしてるん見たら、うれしいねん」


「うちと同じやな」


 コテで鉄板をきれいにしながら、伯母がぽつりと言う。


「似たんかもしれへんね。だって私、ずっと伯母さんが鉄板の前にいて、お客さんにおいしいもん作るん見て大きくなったんやもん」


 鉄板をすべるコテの音が止まった。


 まだ途中のはずなのに、伯母はコテを置いて背を向けた。そのまま、何事もなかったように今度は洗い物を始めた。食器がこすれ合う音と水音が店内に響く。


 伯母はときどき顔を拭いながら、ずいぶん長い時間そうして千影に背を向けたままでいた。

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