店じまい
「焼きそばと白米を一緒に食べる文化ってマジだったんだな……」
ホワイトボードを見ながら、貫井が呆然としている。
「そりゃ、千影さんは関西人ですから。あ、目玉焼きが付いてるみたいですよ! なんかすごく豪華な感じがして好きなんですよね」
ふたりのやり取りを見ながら、焼きそば定食がメジャーな存在でないことに千影は衝撃を受けた。
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【今日の夕食】
・焼きそば(目玉焼き付き)
・ごはん(白米)
・長ネギとわかめの味噌汁
・漬物
※ごはんと味噌汁はおかわり自由です
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「すみません、私自身はまったく違和感なくて……」
よく考えてみれば炭水化物と炭水化物だ。バランスが悪かったかなと反省していると、貫井が「ちょっと驚いただけで、全然いいよ」と言いながら席についた。
陽汰はすでに食べ始めていて、「美味い、合う!」と騒いでいる。
「ちゃんとご飯を食べるための焼きそばになってる!」
「なんだそれ」
陽汰のコメントに、貫井がツッコむ。一口食べて、その意味が分かったらしい。
「確かに、この焼きそばを食べると白飯が欲しくなるな……」
焼きそば「定食」なので、ご飯が欲しくなるようソースを濃いめにしているのだ。香ばしいソースの焼きそばに、ほかほかのごはん。ソースは辛めでもあるので、ごはんを口に入れるとほんのわずかだけど甘く感じる。そのハーモニーがたまらない。
半熟の目玉焼きを崩して麺に絡めて、まろやかさを足すこともできる。ごはんを多めに頬張って味噌汁をすすると、おいしさと同時にほっとした気持ちになる。
作業場の奥で手早く夕食を済ませ、食器を片付ける。しばらくすると食べ終えた陽汰がトレイを配膳台に置いた。
「ごちそうさまでした! 美味しかったです!」
「ありがとうございます」
たとえお世辞や挨拶のようなものだったとしても、「おいしい」と言われるのはうれしい。
「実は今、SNSで大阪のお好み焼き店がバズってて。それを見てソース味が食べたいなって思ってたんです」
満面の笑みで「めちゃ良いタイミングでした!」という陽汰の言葉に、千影は少しだけ引っ掛かりを覚えた。
「大阪のお好み焼き店ですか……?」
「そうです。この店なんですけど」
陽汰のスマホを覗くと、見覚えのある暖簾が目に飛び込んできた。店内の様子や、メニュー表にも覚えがある。間違いない。
「これ、伯母の店です……」
「えぇ!?」
陽汰が驚いた顔で、スマホの画面と千影を交互に見る。
伯母の店には、連日長い行列が出来ているという。
閉店するという情報を知り、かつての常連たちも遠方から駆けつけているようだった。下町かつ学生街という立地条件から、昼間は大学生の客が多かった。夜は近所に住む酒飲みたちの溜まり場へと変貌するのだけど。
「客が多すぎて捌けないから、営業時間を延長してるみたいですよ」
陽汰がSNSに書き込まれたコメントを見てつぶやく。
「バイトの人とかいないんですか?」
「こじんまりした店だったので……。私が大阪にいる間は、手伝っていたんですけど」
つっけんどんな伯母の声が耳の奥でよみがえる。伯母は頑固な性格だ。自分から誰かに助けを求めることはないだろう。どんなに忙しくても、ひとりで最後までやるつもりなのだ。
「手伝いに行ってあげたらどうです?」
陽汰が明るい声で言う。
「手伝い……」
「明日と明後日は、こっちが休みじゃないですか」
確かに明日は土曜日で、まかない係の仕事はない。
「……私、伯母に引き取られて、実家みたいなものなんです」
「だったら、尚更行くべきですよ!」
力強く言う陽汰を、まぶしく思った。
伯母とは、微妙な関係だった。きちんと面倒を見てもらったけれど、やさしい言葉を掛けてもらった記憶はない。いきなり千影という厄介者を引き取って、迷惑していたのだと思う。それでも放り出さずにいてくれたことは感謝している。
「そう、ですね……」
陽汰に背中を押される形で、千影は大阪行きを決めた。
伯母の性格を考えると、歓迎されないということもある。もし、店へ行って迷惑な顔されたらすぐに帰ろう。そう自分に言い聞かせて、千影はその夜、大阪行きの新幹線に乗った。
◆
人情味あふれる大阪の下町、東大阪市。総合大学のキャンパスが位置する学生街であり、中小の町工場が密集するエリアでもある。駅前には昔ながらの商店が並んでいる。千影の伯母が営む店もその一角にあった。
四人掛けのテーブルがふたつと、あとはカウンター席のみ。こじんまりした店内には、香ばしいソースの匂いが漂っている。鉄板の上でジュウジュウと焼きそばを焼く音、お客さんの楽しそうな会話の声。それに混じって、伯母のせっかちな声が飛ぶ。
「焼きそば、出来たで!」
「はい!」
千影は伯母から皿を受け取り、テーブル席まで運んだ。空になった皿を下げていると、奥のカウンター席のひとりが立ちあがるのが見えた。一旦食器を洗い場へ置いてから、急いでレジまで行き会計をする。
「ありがとうございました!」
お客さんを見送り、手早くカウンター席をきれいに整える。新たにひとりお客さんを迎え、お冷を渡しながら注文をとる。たいてい注文したいメニューは決まっている。
入店と同時に「豚玉ちょうだい」や「ねぎすじこん、頼むわ」とオーダーするお客さんも多い。店員が注文を取りにくるまでの時間をもったいないと考えるのだろう。大阪のひとはせっかちなのだ。
ちなみに、豚玉とは豚バラ肉が入ったお好み焼き。一番の人気商品でもある。ねぎすじこんは、ねぎと甘辛く炊いた牛すじ肉とこんにゃくがたっぷり入ったお好み焼きだ。この「すじこん」単体も人気メニューで、主に酒の肴として注文される。
夕刻になって、すじこんのオーダーが増えてきた。千影は小鉢にすじこんを盛りながら、てんてこ舞いというのは今まさにこの状況をいうのだろうと思った。開店と同時に店内はお客さんで満員になって、一息つく暇もない。
……来てよかった。
正直、歓迎されないのではと思っていた。昨日の深夜、千影は東大阪に戻って来た。伯母は驚いた顔をしながらも「まぁ、入り」と言って千影を迎え入れてくれた。相変わらず、無愛想な声だったけれど。
伯母は、ひとりで翌日の仕込みをしていた。すじこんを作るには時間がかかる。
火を通した牛すじを細かく切り、一時間弱火でコトコト煮る。砂糖、醤油を加えてさらに二時間ほど煮込む。火加減を見ながら、まめにアクを取る。こんにゃくも一度茹でてから、油で炒める。こちらも砂糖と醤油で甘辛く味付けをする。
「……ひとりでやってるん?」
千影が訊くと、伯母は大鍋に湯を沸かしながら「今はそうや」と答えた。どうやら、つい先日まで従業員がいたらしい。
「注文をとってもらったり、洗い物してもらったりな。アルバイトの子がひとりおったんや」
「なんで最後までおってもらわへんかったん?」
行列が出来るほどの客数をひとりで捌くのは困難だ。少し咎めるように千影は言った。
「就職先が見つかったんや。そこは人手不足らしくてな、一日でも
「でも……伯母さんが忙しいやんか」
「この店はもう終わるだけなんやから、最後まで付き合う必要はあらへん」
ぴしゃりと返されて、もう何も言えなくなる。相変わらず頑固だなと思いながら、荷物をその場に置いて、千影はすじこんの仕込みを手伝った。
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