5.聖護院かぶと鯛の煮物(京都)
未満の関係
「……私は恋愛関係というものに長けているわけではないので、偉そうなことは言えませんが、そのひとのためだとか、相手に尽くしたいとか、そういう気持ちは間違っていないと思います」
「相手が恋人なら、それもありだと思うよ俺も」
貫井がぐい呑みに口をつけながら、ぽつりと言う。
「違うんですか? どう見ても、そういう関係に見えましたが」
「煮え切らないんだよ」
ぐい呑みを少々乱暴な手つきでテーブルに置く。
「相手の方の態度がですか?」
「いや、むしろ結野のほう」
貫井が、眉根を寄せながら結野を見る。
「告白とかしないんですか?」
千影の言葉に、押し黙ったままの結野がびくりと震える。
「そういうのは、別に望んでない……」
蚊の鳴くような声だ。またしても貫井がため息を吐く。
「つまり話を整理すると、結野さんは同性の担当者編集者に好意を持っているものの、関係性は今のままで十分だと思っている。自分の作品が評価されると彼自身の実績にも繋がるので、人気があるうちに今の作品をどんどん書き進めたい。時間を捻出するためにワカミヤの仕事を辞める……こういうことですか?」
「うん……」
頼りなく結野が首を縦に振った。
「あと気になったんですけど、貫井さんの言う『先入観』とか『感情』というのは一体なんですか……?」
まさかの三角関係だろうか。
「あいつのこと、どう思った?」
「どう、とは……?」
「見た目とか雰囲気とか、だよ」
貫井の声がとげとげしい。
「至近距離で見たわけではないですけど、背が高くてスタイルが良かったです」
対岸を歩いていた様子を思い出しながら、千影は続けて答える。
「落ち着いてる雰囲気で……イケメンだったと思います」
彼らが鍛冶橋にさしかかったとき、顔を見たのは一瞬だったけれど、それでも分かるくらいには整った顔立ちをしていた。
「それが気に入らないだよ!!」
「……はい?」
意味が分からず貫井に問い返す。よく見ると、彼の顔は真っ赤だった。完全に酔いがまわっている。
「イケメン、高身長、おまけに高学歴なんだよあいつは!」
「そうなんですか?」
「気に入らないだろ!?」
「どうでしょう……」
曖昧に返事をすると、ぐわっと貫井の目が開かれる。
「他人を舐めたような、妙にあの落ち着き払ったあの態度も気に入らない!」
「はぁ……」
完全に嫉妬だ。嫉妬といっても恋愛云々ではない。僻み嫉みの部類だ。「気に入らないんだよ……」と何度も繰り返し、とうとう限界に達したらしい貫井がテーブルに突っ伏した。すぐに、すうすうと寝息が聞こえてくる。
「……三角関係とかでは、ないんですよね?」
念のため、結野に確認してみる。
「え? さんかく……?」
思い詰めたような表情から一転、結野があっけにとられた顔になる。
「貫井さんが嫉妬しているのかと思いまして」
「いや、それは……ないよっ! ふっ……はは」
緊張の糸が切れたみたいに、結野が腹を抱えて笑う。
その様子を見て、千影もほっと息を吐いた。ひとしきり笑ったあと、結野はぽつりぽつりと話始めた。
「俺の担当編集者……
「陽汰さんも、弓削さんと会ったことがあると言っていました」
「何度か杉野館に来てくれたことがあるから。そのときの俺の様子がおかしくて、それで気づいたって言ってたなぁ。陽汰はまぁ、基本は鈍感だから……」
苦笑いしながら、結野がぐい呑みにひやおろしを注ぐ。
「いずれは、また就業して副業として執筆をすることになると思う。でも今は、せっかくのチャンスだから。あのひとのために、自分に出来ることがあるってすごく幸せだと思ってる」
ちびちびと舐めるように、結野が酒を口に含む。うるんだ結野の瞳を見て、思わず目を逸らした。恋をしているひとはうつくしい。
「……貫井さんも、本気で反対してるわけじゃないですよ」
「うん。俺の将来のこととか、考えてくれてるんだなってわかるよ。ワカミヤはいい会社で、副業も許可してくれてるからね。辞めるのはもったいないって、何度も言われた」
「会社には伝えてるんですか?」
「週が明けたら、まずは直属の上司に相談する感じかな」
そこで色々調整して退職日を決めてから、正式に退職届を出すつもりらしい。
「さみしいですね」
手の中にある、カラフルなびいどろのぐい呑みを見つめた。なんだか胸にぽっかりと穴が開いたような気分だ。
「面と向かって反対されるよりも、そっちのほうが揺らぐよ」
うるんだ瞳のまま、結野がふにゃりと笑う。
「最後の日は、豪華な食事にします」
「ありがとう」
「……予算内ですけど」
盛大で豪勢にしたい。けれど、その翌日から皆に納豆ご飯しか提供できなくなったら問題だ。
「あはは、そうだね」
どんな献立にしようか、千影はさっそく考え始めた。
アルコールを摂取してしまったので、なかなか具体的なメニューが浮かんでこない。しっかりしろと自分で自分を叱咤しながら、結野の新たな門出に思いを馳せた。
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