不思議な力
「それで実際のところ、何で急に元気になったんだ? どういう心境の変化だよ」
貫井に改めて水を向けられ、陽汰は言葉に詰まる。ちらりと千影のほうを見てから「うどんが美味しかったんです」と明かす。
「うどん? そういえば最近、献立ですだちうどんの日があったな……」
貫井が腕を組みながら、思い出したように言う。
「いや、それじゃなくて。遅く帰った日に、千影さんに作ってもらって……」
「もしかして、味噌煮込みうどんですか?」
千影の言葉に陽汰がうなずく。
「味噌煮込みうどんって言ったら、陽汰の地元のグルメだね。陽汰のためだけに作った郷土料理。特別な感じがするなぁ」
結野は陽汰を見ながら、やけにニヤニヤしている。
「……依怙贔屓はしていませんよ」
結野の「特別」という言葉に多少引っ掛かりを覚えた千影は、きっぱりと宣言した。食の恨みは怖ろしいと聞いたことがある。杉野館で暮らす社員同士、いざこざが起きてはいけない。
「全然いいんだよ。陽汰を贔屓してやって、ね?」
結野が謎に「陽汰贔屓」を推してくる。彼の真意が理解できずに困惑していると、貫井が横から「いやいや」とまるでツッコミ芸人かのごとく間に入ってきた。
「俺だって特別に何か作ってもらいたいぞ。夜中に腹が減って、夜食があればいいなってこともあるし」
「何言ってるんですか貫井さん。朝も昼も夜も千影ちゃんのご飯を食べておいて、まだ彼女に作らせるつもりですか? お腹が減ったら部屋で食べられるように、日持ちするものを買い置きしておけばいいじゃないですか」
結野がキレのある正論でぴしゃりと言い放つ。普段おっとりしている分、威力を発揮する。ぐうの音も出ないほどに叩きのめされ、貫井はしょんぼりと肩を落とした。
「……懐かしい味というのは、元気をくれるものなんですね」
あの日の味噌煮込みうどんは、残っていた材料を集めてささっとこしらえただけ。特別なことは何もしていない。それでも、ひとを元気にする力が故郷の味にはあるらしい。
「食べながら家族のこととか、懐かしいことを色々思い出して、頑張らないとなって。何だか力が湧いて来たんです」
「郷愁というものには、不思議な力が宿ってるんですね……」
「俺は分かるぞ。ほたるいかの酢味噌和えを食べたとき、俺もそんな気分になったからな」
まるで感傷にひたるかのようにつぶやく結野の隣で、貫井がうんうんとうなずいた。
「あとはまぁ、思い悩んでいたことを吐き出せたのが良かったのかもしれないです」
恥ずかしそうに頭を掻きながら、陽汰が言う。
「吐き出す?」
「話を聞いてもらったんです」
「それは、千影ちゃんに?」
「そうです」
「なるほどな。美味いものを食べながら悩みを聞いてもらうのは、最高のデトックスになるのかもな。だからあれだ、小料理屋とかっていうもんがあるんじゃないか?」
「貫井さん、小料理屋の女将さんはお悩み相談をしてるわけじゃないと思いますよ、もちろん会話を楽しみにしているお客さんがいることは事実だと思いますが」
若干、呆れながらも結野がやさしく指摘する。
「……陽汰、お前もだぞ。食堂はお悩み相談室じゃないんだからな、ほどほどにしろよ」
分が悪くなったと判断したのか、貫井は結野の背後にまわって陽汰に注意を促し始めた。
「言われてみたら、そうですよね。仕事以外のことまでさせちゃって、すみませんでした……」
陽汰に頭を下げられ、千影は慌ててかぶりを振る。
「陽汰さんが気にすることは何もありませんから」
「相談料をもらっておけばいいんじゃないか? 残業代として」
貫井の適当なつぶやきに、結野がハッと反応を見せる。
「それよりさ、何か手伝ってもらえばいいんじゃない? たとえば、野菜の皮むきとか食器の片付けとか。そうしたら、千影ちゃんが早く帰れる日ができるんじゃないかな」
ものすごく良いアイデアだと言わんばかりに、結野はきらきらした顔で千影を見る。
「い、いえ。そんなつもりで作ったわけじゃないですから……」
仕事で疲れているだろう彼に手伝ってもらうなんて、申し訳ないと思う。本当に、そんなつもりで味噌煮込みうどんを作ったわけではないのだ。そもそも相談に乗るなんて、大層なことをしたつもりもない。
ちらりと陽汰のほうを見ると、なぜだか彼は真剣な顔をしていた。
「手伝わせて下さい。何でもやります」
やけにずっしりとした力強い声で陽汰が言う。
「……え? あ……、そう、ですか……?」
彼の声の圧と真剣な表情に押されて、千影はたじろぐ。「では……お願いします」と言うと、陽汰は元気よく「はい!」と返事をした。そのときの妙に晴れやかで、きらきらした彼の顔が印象的だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます