工夫の献立
食事を終えた社員たちが食堂を後にしていく。陽汰と結野が席を立とうとした頃になって、ようやく貫井は姿を見せた。
どんよりと暗い表情の彼を見て、すかさず陽汰が声をかける。
「一日休みだったのに、なんでそんなに疲れ切ってるんですか」
返事をする気力もないのか、貫井が無言のまま席に着いた。
「貫井さん……?」
「どうかしたんですか?」
異変に気付いたのか、陽汰と結野が心配そうに貫井の顔を覗き込んでいる。
貫井は肩を落としたまま、事の顛末をふたりに語った。陽汰も結野も神妙な顔つきで話を聞いている。
「どうしようもないですね、それは……」
結野は天を仰いでいる。
「彼氏いたのかぁ……」
陽汰は思わず頭を抱えた。
そのまま貫井を慰める会となり、結野は自室からアルコールを持って来た。貫井はひたすら無言で飲酒している。
一度のヤケ酒で忘れられるものではないだろう。浅い傷ではないということは、ここしばらくの彼の様子を見ていれば分かることだ。
翌朝になっても、貫井には元気がなかった。
覇気のない表情で、彼の周囲だけ空気が重苦しかった。食欲もないらしい。朝食を口にしないまま出勤したり、夕食にもほとんど箸をつけなかったりで、陽汰や結野を心配させた。
少しでも貫井に食べてもらえるよう、千影も献立に気を使った。
食欲を刺激するように酸味を効かせたり、胃液の分泌を促進させる効果のある香味野菜を使ったりと工夫を凝らした。
・まろやかな酸っぱさのサーモンの南蛮漬け
・ハーブとレモンの爽やか魚介グリル
・たっぷり香味野菜の豚バラ冷しゃぶ
・香味野菜とカツオのたたき風サラダ
できるだけ彩りにも配慮した。メインメニューはもちろん、副菜もこだわってこしらえた。
見た目にも華やかな夕食の献立は社員たちにも好評で、それはよかったのだけど、肝心の貫井の箸の進み具合はあまり芳しくない。
今日も帰宅してすぐに、貫井は自分の部屋に入った。食堂に姿を見せる気配はまだない。
「こんなに美味いのに食べないなんて、もったいないなぁ……」
陽汰が大ぶりのホタテを頬張りながら、残念そうに言う。
「本当だね。こんなに豪華でおいしい夕食なのに」
結野が陽汰の隣で、添えられたくし切りのレモンをぎゅっと絞る。今日のメイン料理は、魚介グリルだ。
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【今日の夕食】
・ごはん(白米)
・ハーブとレモンの爽やか魚介グリル
・酸味がおいしいミートボール入りトマトスープ
・カリカリじゃこと油揚げの香味和え
※ごはんとスープはおかわり自由です
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「貫井さんが食べてくれないと、俺が太っちゃうんですけど」
ここしばらく、貫井が食べずに残った分は陽汰が胃におさめている。本人は太る心配をしているようだけど、千影からするとそれは杞憂だと思う。もともと陽汰は食欲旺盛でよく食べる。それなのに、驚くほどスタイルが良いのだ。
低身長の千影にとって、長身の陽汰は羨ましい存在だった。おまけに食べても太らない。ちょっと憎らしいくらいだ。
じっとりした目で陽汰を眺めていると、殻付き海老にかぶり付いていた彼と目が合った。あまりにも「羨ましい」目線で見てしまっていたことに気づいて、千影はおたおたする。
視線をさまよわせていると、陽汰が口元を拭いながら立ち上がった。
そのままズンズンとこちらに向かってくる。そして、ダン! と軽く音を立てて配膳台に両手を置く。
「そんなに悲しそうな顔しないで! 千影さんが作ったものは、全部俺が食べるから」
「……はい?」
陽汰は真剣な顔をしている。
千影は嫉妬のまなざしで陽太を見ていたのだけど、どうやら彼は別の意味に捉えたらしい。
「一生懸命に作ったものを食べてもらえないなんて、すごく悲しいと思う。でも絶対に残したりしないから、安心して。今日の魚介のグリルだってすごくおいしいよ! 魚介の旨味がぎゅーっと凝縮してて、野菜も甘くてほくほくだし!」
きらきらした表情で力いっぱい見当違いなこと言う陽汰を、良いひとだなぁと千影は思う。同時に、やっぱり羨ましいなという感情を抱く。こんな風に他人を励ますことは、自分にはできない。
「……ありがとうございます」
おそらく、陽汰には「せっかくこしらえた料理を食べてもらえずへそを曲げたまかない係」に見えたのだろう。あまりにも誤解が過ぎるので、なんだか力が抜ける。
「でも、このままだと体壊しちゃいそうで心配だな……」
結野のいう通りだ。
「貫井さんに『何が食べたいですか』って聞いたんだけどね、特にこれといって思いつかないみたいで。陽汰は貫井さんの好物とか、知らない?」
「魚介類が好きみたいです。でも、今日のメインでも食べる気力がわかないようなので、かなり重症ですね」
「そっかぁ……」
結野がしんみりしながらイカを口に入れる。
輪切りにして、オーブンでぎゅっと旨味が凝縮したイカ。白ワインとレモン汁とニンニクで味付けされ、香り豊かなハーブを纏った歯ごたえ抜群のイカ。
ふいに、懐かしそうに故郷の料理を語る貫井の姿が浮かんだ。
『富山では春から初夏にかけて、ほたるいかをよく食うんだよ』
この季節の富山を代表する料理、ほたるいかの酢味噌和え。
『新鮮だと茹でても美味くて、ぷりぷりの食感が最高なんだ』
地元の慣れ親しんだ味なら、もしかしたら貫井は食べてくれるかもしれない。
千影は、なんだか閃いたような気分になった。
ぎゅんと体中に力がみなぎるような感じがする。少しでもいいから、食べて欲しい。元気になって欲しい。誰かが元気になれるものを、自分が作りたい。
そんな風に思いながら、千影はそっと気合を入れた。
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