優しい人
光
1
ぶっは、と間抜けに噴き出した声が自分の口から発され、教室に響いて、私の恋と高校生活は終わった。
聞いたことのない下卑た声が自分のものだとわからず、一瞬だけ心が周りのクラスメイトのぽかんとした表情とシンクロしたが、すぐにおかしみに覆いつくされる。
私の視線の先には教卓があって、そこには宝条有栖がいて、生まれたときから曲がりっぱなしらしい首と、永遠にひきつったままの右肩を携えた姿で私を見ていた。
慣れっこだとでも言いたげに諦めたように眉を下げて、でも少し傷ついたような瞳で、私を見つめていた。
アンニュイな瞳と、阿呆みたいにあけられた口と、制御できていない不可思議な体勢のアンバランスさが、頭身の低さも相まって出来の悪い合成写真みたいだ。
改めて見てしまい、ぶふっとまた息が口から洩れ、あはははと作り物のように朗らかな笑い声が出る。
春の陽が柔らかく照らす中、私だけが笑っていて、ほかのみんなは、あっけにとられている。先生なんか、手にチョークを持ったまま固まっている。仲良しの友達も、一緒に遊んでるときは見たこともないまんまるい目でこっちを見てる。いつも宝条有栖のことをからかっているやつさえもが、前の席から首をひねって肩越しに顔を向けている。
この状況もおかしくて、私はさらに笑う。だめだ、止まんない。笑いすぎて喉がつまり、ぐっと変な声が出て、それもおかしくて堰を切って笑う。
宝条有栖の身体が小さく痙攣し、前髪がさらと別れた。涙のにじんだ私の目はそれをしっかりと見つめている。
私が何に対して笑っているかを察した一部のクラスメイトが、不快感を思い切り顔に出した。家の中でごきぶり見つけたときみたいに嫌悪感をにじませた目。一部の男子は、互いに顔を見合わせて、引くわー、と言いたげに苦笑している。先生が、うつむいて眼鏡のブリッジを指で哀しげにあげた。
止めなきゃ、と私は手で口をおさえた。
息がとまり、一度教室が完全に静まり返る。でも徐々に私の肩は震え、今度はくつくつという身体の底から響いてくるような声がこみ上げ始める。額を机につけ、うつむいても、不気味におさまらない。
ぶはっ、と耐え切れず口が開き、もうだめだと私は口にあてていた手をおなかに持っていき、半身をのけぞらせ、文字どおり腹を抱えて笑った。凍るように冷たい周りの表情の一つ一つと、ありえないほど笑っている自分と、何より滑稽な宝条有栖。まるでミスマッチな三つ。
可笑しさの中、ついさっきまで見つめていた真也の横顔が頭をよぎって、心だけ青ざめた。
隣を見たくない。そもそも私は噴き出す一瞬前に、隣の席の真也を見つめていた。座学の時間、こっそりとなりの席の幼馴染を盗み見るのは私の日課で、今日だって平常運転だったのだけど、私の見る先で彼の顔がだんだん真剣になっていくものだから、何を見ているのかが気になって、前に顔を向ければ、いつの間にか先生に指名されて何やら発表していたらしい宝条有栖が目にとびこんできたのだ。
彼女の形容しがたい、一人で対人格闘でもしているかのような身振りが、真也の真剣なまなざしとあまりにかけ離れていたものだから、それがあまりにおかしくて。
真也が哀しげにこちらを見つめているところを想像して、私の心は一気に冷えついて、空っぽになる。でも肺の痙攣はおさまらなくて、荒い呼吸もおさまらなくて、何より心の底から湧き上がってくる嗤いがおさまらない。
隣を見たくない。気持ちに反して、私の瞳はゆっくりと動いてゆく。視界がスライドし、真也のほうへと近づいていく。
軽蔑、拒否、憎悪。向けられているであろう表情を想像することで、ショックを和らげようとしている自分に気づく。彼のそんな顔なんて一度も見たことがないのに、容易に頭に浮かぶのはなぜか。どうして私にはそんな顔を向けるくせに、宝条有栖をあんな真剣な顔で見ていたのか。
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