21杯目「赤石春花の話13」
8月22日(月)22:00
「ねえ、私たち、もう別れよう」
『どうしたんだよ』
「ごめん、他に好きな人ができた」
8月22日(月)23:00
「ねえ、千佳。私、彼氏と別れたよ」
私は自分のベッドに倒れこみながら、ただスマホの画面を見つめていた。
千佳からの返信はない。彼氏からのメッセージや着信は疎ましくてブロックした。美鈴も今日は早めに寝るねと言い残してから返信が来なくなった。
私は、本当は独りだった。
助けてくれると頼りにしていた人は、私の傍にいてくれるわけじゃない。ただ画面の向こう、実際には何百キロも遠くにいる人に向かって、私は思いをぶつけてきた。どれだけ私が苦しい思いをしていようと、その人に近づくことなんてできない。
一番傍にいてくれたのは彼氏だった。
あの時の私も、苦しい思いをしていた。
『……なんか、私何やってもうまくいかないのよね……』
『そんなことないよ。春花は毎日一生懸命に頑張ってること、俺は知ってるよ』
親が嫌いだった。逃げ出してきた大学生活の終盤、地元でも就職を強要されて自暴自棄になっていた時に、彼は優しくしてくれた。
『ねえ、先輩。私と付き合ってくれない?』
誰でもよかったわけじゃない。しかし、顔が別段いいわけでも、体つきがしっかりしている人でも、ましてや性格も普通だった。けれどこの人なら、私のことを幸せにしてくれると思っていた。
実際、彼は私のことを幸せにしてくれた。就職の時期と同時に私の住む町まで来てくれて、将来を誓い合った。二人でたくさんいろんなところに行った。少しおっちょこちょいな彼は「春花、春花!」と私に大きく手を振ってくれる。その姿が愛おしく、たまらなく大好きだった。
ずっと一緒に居られると思った。きっと彼もそう思っていたに違いない。
彼の気持ちを裏切ったのは、私だった。
苦しい。息が詰まる。もう、生きていたくない。
こんな思いをすることならいっそ……
『はるちゃん! 今から電話できる??』
一件の通知が私の画面に映し出された。
送信先は、千佳だった。
もう、千佳からのメッセージで一喜一憂する気力すら失っていた私は、いたって冷静に、メッセージを開いた。
「大丈夫だよ」
私は一言だけ返信して、彼女からの電話を待った。
私には夢があった。
人を幸せにしたかった。
それは正義の味方なんかじゃなくて、私の人柄に触れて、私と一緒に居るなかで、私が幸せにしてもらうだけじゃなくて、人も幸せにできる人になりたかった。
彼女は、私を幸せにしてくれた。彼女もまた、彼氏と同様に偉大な愛を持つ人だった。
私は、彼女を幸せにしたかった。
『はるちゃん。別れたって、本当なの?』
「うん、本当だよ」
『ええ……』
千佳は、ひどく狼狽していた。
今の千佳は何を思っているのだろう。私を独り占めできるようになってうれしいのかな。それとも私の人生を狂わせてしまったことを後悔してるのかな。私にとっては、千佳の思考に少しでも影響を与えられていることがうれしい。
「私は、千佳と一緒に居たい。ただそれだけ。千佳以外は何もいらない」
愛はいつしかただの重荷に変わる。けれども、重苦しくて、今すぐにでも降ろしてしまいたいその荷物を、永遠に千佳に背負ってもらいたい。
『はるちゃん……』
私は少しの間大きく呼吸をした。
そう、私は千佳さえいればよかった。千佳を他の誰にも渡したくない。私自身を千佳以外の誰にも渡したくない。ただ二人だけの世界でいたい。
「私は、千佳のことが好き」
真っすぐと、私の全身全霊をかけた、最期の言葉を千佳に伝える。
『ありがとう』
千佳はそう言った。確かに千佳の声だったが、それは優しく包み込むような声でもなく、きつく高圧的な声でもない。これが千佳の本当の姿。私の思いをただ純粋に受け止めてくれる、私が大好きになったただの普通の女の子だった。
『ごめん、少しだけ考えさせてほしい。ちゃんと、はるちゃんの気持ちには答えるから』
8月24日(水)17:00
『ねえ、はるちゃん。ちゃんと話そうと思う』
その時は、2日間の空白期間を経てやってきた。
一言送られたメッセージに、私はすぐに気づいたが、返信は送らなかった。
千佳は、続けてメッセージを送る。
『やっぱりね、あなたのことは好きだけど、一度彼氏になった人を……この人を裏切れないと思った』
『あなたの気持ちには答えられない。ごめんなさい』
『はるちゃんは、大切な友達だよ』
それから、私の送ったメッセージを千佳が見ることはなかった。
LINEこそ見られなかったが、ツイッターでは普段通りに会話することができたが、お互いの恋愛感情に対して言及することはできなかった。
私は大きすぎる感情と存在を失った。
結局、千佳のことは大好きなまま友達と接し、拭えない血紅色の闇に囚われながら、傷つき生きていくしかないのだった。
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「え、ここで終わりですか!?」
私は目を見開いて遙さんに言った。
気が付けば、カフェモカは飲み終わるどころか、三杯目も飲み終えようとしていたところだった。
「実は、この赤石春花さんという人は、学生時代の私の友達でね」
遙さんは目を細めて外をじっと見つめている。
「赤石さんは今もお元気なんですか?」
「さあ、最近は全然話を聞かないわね……」
遙さんのその寂しそうな眼を見ていると、私もそこから何か言えることは何もなかった。
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