4杯目「東雲結月の話3」
私と姉の関係は、いたって冷ややかだった。
私は人と話をするのがあまり得意ではない性格で、小さい頃は人見知りが激しかった。しかし、姉はそんな私とは比べ物にならないくらい物静かだった。それは私からしても不気味で、話しかけづらく、独特の雰囲気を纏っていたのだ。
私たちの間には、ほとんど一切の会話はなく、冷え切った関係だったのだ。
そんな私たちの関係が少し熱を帯びてきたのは、彼女が大学受験に失敗した時、同時に、私と父親の関係が母と姉に少しずつ感付かれつつあるときのことだった。
「ともちゃん、どこ行くの?」
形式上で姉は浪人生という立場になってすぐの季節。桜の木々に緑が映え始めた頃、姉は夕方頃から外に外出することが多くなった。
「……」
姉はそういう時、家族にも一切口を利かずに家を出ていく。
「ちょっと、ともちゃん!」
母は、私のことを名前では呼ばないが、姉のことは『ともちゃん』と呼ぶ。
血のつながっていない母と姉が、形だけの家族を演じる最大限のお互いの譲歩。見ていて虫唾が走るよう。
父がまだ帰宅していない中で、私は母と二人きりで取り残されるので、少し困ってしまった。また、いつ暴言が飛び出してくるのか分からず、母も少し不機嫌になっている。
「私も、バイトがあるから行ってくる!」
私は母の眉間に皺ができているのを見る間もなく、家を飛び出した。もちろんバイトの予定なんてなかった。
「なんだよ、それでいきなり呼び出したのかよ」
「ごめん、悪かったわよ……」
行き場がなかった私は彼氏を呼びつけてファミレスに来ていた。
「それで、今晩はどうすんだよ。家に帰れるのかよ」
「うーん…ちょっと困ってる」
姉がああやって夕方に家を出たときは帰ってくるのは日付が変わってからのことの方が多い。父に連絡すると、父も今日は泊まりで仕事の様だ。もっとも、父は最近会社の後輩と不倫関係にあることは、私以外の家族は知らないし、父もこのことを私が知っているとは思ってないだろう。
「できればどこか泊まっていきたいな」
「俺んち、今日は片付いてないぞ。どこかホテル行くか?」
「え、まだ8時だよ?」
スマホの画面で時間を確認すると、母からの不在着信が一件入っていた。
「あ、やっぱり行くわ」
私は改めてスマホをしまって、会計の準備を始めた。
彼氏との食事の会計は私が持つことが多い。
彼は私より一歳年上のニートだ。高校を中退してからも収入はなく、親や私に寄生して生きている。私は彼のことを放っておこうとは考えてないし、私なしでは生きていけないようになっている。何より私は彼のことが好きだから、お金を出すことくらいは問題ないつもりだ。
「あれ、なんだろ」
歓楽街の外れ、ホテル街に入ろうというところで、ひときわ大きな声で叫んでいる女がいた。
「ああいうのには近づかない方がいいな」
彼はそういうと進行方向を変えようとしたが、私はその声の主の違和を感じてしまった。
そこにいたのは、まるで馬のように荒れ狂い、ホストに絡んで叫んでいる普段はおとなしいはずの義姉の姿だった。
「ごめん、やっぱり用事思い出した! 祐樹、またね!」
「おい、結月! どうしたんだよ!」
私か彼氏と強引に分かれて、姉のところに駆け寄った。
「何してるの、智子!」
「離せよ!! 私が未成年だって証拠あんのかよ!!」
「何わけのわかんないこと言ってるの! もう! 帰るよ!」
私は姉を引きずり出して、家路に着いた。
「結月、ちょっといいか」
あの件については家族のだれにも話していない。姉は帰り道の途中ですっかり疲れ果ててしまい眠っていた。
夏が近づく季節、あの姉が暴れていた一件があってから1か月半が過ぎた頃。私は父から呼び止められた。
「何?」
「見てほしいものがあるんだ」
見せられたのは数枚の紙。どれもすべて標題に請求書、と書かれていた。
額面を見ると6桁や7桁の数字がどれも並んでいる。
「これについて、何か知っていることはあるか?」
「え、何も知らないけど」
額面をすべて足し合わせると大体1500万円にも上っていた。正直信じられないくらいの額だ。
「え、でもこれって」
請求元の欄には、どの紙にもホストクラブの名前が書かれてあった。
「……」
私は、包み隠さずあの日の一件を話した。あの後、姉を街中で見かけることはなかったが、姉は夕方に家を出ることをやめていなかった。
その日の夜から、姉は夜間の外出を禁止された。
そして私は、母から衝撃的な言葉を聞くことになる。
「ともちゃんが、ホスト狂になってしまったのは、受験期にも関わらず父親と関係を持ったあんたがいたから。あんたがいなければ、ともちゃんは大学に合格してたし、ホストなんかにもハマらなかった。だからあの請求書はあなたが高校を辞めて、働いて返しなさい」
次の週、私の知らない間に、私は高校を中退していた。
姉は私たちの目を盗んでは、ホストに通い続けている。
そのたびに私たちの家計は厳しくなり、私のアルバイトは数が増えていく。
そうした日々が始まって、早くも2年が経とうとしていた。私の同級生はあの時の姉と同じ受験生となり、熱心に勉強を始めている。私の周りもせわしなく、就職や進学に向けて準備を進める一方で、私はこの地獄に一人取り残されていた。
「なあ、もう別れようぜ」
ある日、彼氏にそう告げられた。
「お前、最近全然金貸してくれなくなったじゃん。俺のこともう好きじゃないんだろ」
そんなことない。今はちょっとお金が出せないだけ。
「嘘つくなよ。お前にはもう飽きたんだよ」
ごめんなさい、私が悪いの。
「口答えすんなよ。お前は俺の何なんだよ」
私はあなたの彼女。あなたが大好きな彼女。
「だったら、明日までに30万用意しとけよ。彼女ならそれくらいできるだろ」
……わかった。
数か月前から彼との同棲を始めた。家賃も払えない彼が私にすがって私が家賃を肩代わりするのに、私もどうせだから一緒に住まないかと提案されたのだった。
朝から夜までバイトに明け暮れている合間を縫って、彼のご飯を作りに帰る。もちろん、毎日ではない。彼がご飯は要らないって言った日は、彼は友達やセフレと遊びに行っている。私の金で。
「セフレとの間に子供ができた。そいつと結婚するからお前とは別れる」
終わりの時は一瞬だった。
簡単に関係を終わらせられた。あんなに好きだったのに、でも私の言葉は何一つ聞き入れてくれなかった。
もはや、別れてしまった今となっては、なんで私は彼のことが好きだったのか思い出せない。彼に費やした時間も、彼への思いも、ましてや彼に貸したままの数百万すら、無駄になるくらいに、何が好きだったのか思い出せないのだ。
「あんた、来月で成人でしょ」
ある日、私は母から連絡が来た。
「そうだけど」
「もうバイトなんてしなくていいから、あんたの4月からの働き先、見つかったからそこ行きなさい」
母に半ば無理やり就職先を決められた。
そこは風俗店だった。母は高給の風俗店に、私を売ったのだ。
逃げ出したい。逃げられない。
私の人生は、もう決まっている。
これからも誰からも愛されない人生。
私は……
自殺することを決意した。
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「彼女がこの喫茶店を訪れたのは自殺の決意から間もなくの頃だったようよ」
「なんという……」
とある少女の人生が狂わされた話に、私は言葉がでなかった。遙さんは淡々と話し終わった。
「あまり面白い話ではなかったかもしれませんね」
「い、いえ。それで、その子はその後どうなったんですか?」
自分の体調が悪かったことなど当の昔に記憶から消え去っていた。
「その後、彼女がうちに来ることはなかったわ。彼女が最後に店を去る前にこれからどうするのかを聞いてみた」
「……どうだったんですか?」
「しばらく旅をするそうよ。でも所持金にも限界があるだろうし、そのうち警察に保護されたでしょうね。そうしたらきっと、もとの実家に連れ帰される。その後、彼女が死を選んだのか、自分の運命を受け入れたのかはわからない。けれど、彼女という存在が生きていた証は、私はいろんな人に伝えていきたいし、ライターであるお客さんにも、彼女の生きた証を知ってほしいんです」
遙さんの話を聞いて、私はうんうんと頷いた。
そこでちょうど、私はカフェモカを飲み干した。
「カフェモカ、おいしかったです。また来ますね」
「またのご来店をお待ちしております。次回はまた別のお話を用意しておきますね」
「次は暗すぎない話が聞きたいです」
私はそういって店を去った。
この話を何かの記事に掲載するかはわからない。
私は天を仰ぎ、会ったこともない東雲結月さんに思いを馳せるのだった。
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