Z-1.さる研究所にて。彼方への旅立ち【『灰寺 紫』視点】

「お疲れ、川口さん」


「お疲れ様でした、ゆかり主任!」



 勢いよく頭を下げた女性の、量の多めの茶髪が揺れる。



「…………ほんとみんな、私のこと灰寺とは呼ばないね」


「所長がそうしろって」


「知ってた。縁があったら、またよろしく」


「はい!」



 彼女は足早に去って行った。


 まだ早い時間だし、どこか寄ってく予定でもあるんだろう。


 打ち上げなんかは前にもうやったから、今日はみんな引き上げの手伝いして、帰るだけだ。



 というか、主任という肩書はないんだけどな?


 なんで主任になったし??


 室長なんだけどなぁ。



 その室……研究室を見渡す。



 パソコンとか機器は、もう一つもない。書類や記憶媒体も。


 私物の類も、みんな引き取られている。細かいものは処分した。


 机と椅子はある程度残っているが、これは業者引き取りだ。



 この研究室だけじゃない。


 研究所ごと、引き上げとなった。


 発展的解散、というやつだ。



 建物自体はもう他所に売約済み。仲介の不動産屋には、さっき引き渡した。


 あとは所員が全員帰るだけ。電子鍵も返しちゃってるからね。


 私は追い出し係というやつだ。最後まで残り、人がいなくなったら出る。



 それで鍵が自動で閉まって。


 セキュリティが、働いて。


 おしまい。



 ここの研究所は、ある画期的なものを研究していたんだが。


 その研究成果は、いろいろあって、さる大学の研究室に譲られた。



 あとはそこが窓口になって、再現・反証等々、これからの面倒な道を引き継いでくれる。


 ここに出資というか、丸ごと研究所をおったてた所長としては、あるモノさえできてしまえばよかった。


 それは無形であり、存在証明さえしてしまえば、以降は機器や資料がなくても問題ない。



 その名を「魔素」という。



「灰寺室長」



 開けっ放しの部屋の入口に、長身の女性がやってきた。


 非常に珍しい……天然の銀髪。


 ほんのり赤い目。アルビノを思わせる白い肌。



 でもこの人の肌はめっちゃ強い。


 強い陽射しを受けても、赤くすらならない。


 夏の観光地で元気に泳ぎ回る姿は、記憶に新しい。



 ほんと……その黒のパンツスーツ、今もよく似合うね。



 私も恰好自体は似たようなものだが、こんなかっこついてないなぁ。


 もっとくたびれた女って感じになってる。似合いません。



紫羅欄あらせいとう所長。


 私のことを紫主任と呼べと、最後まで触れ回っていたんですか?」



 彼女は、明らかに容姿が日本人離れしている。


 いくつか、海外の血が入っているとかなんとか。


 実際、この方のお母さまは東欧出の人だった。



 海外から来て、帰化し。紫羅欄なんてむずしげな苗字を名乗り。


 財界重鎮という、所長の父の……妾となり。


 この方を産み、育て、そして一昨年病没された。



「酒の席で広めただけだ。念入りにな」


「何がそんなに気に入ったんですか……」



 寄ってきて……紫羅欄所長が、私のうなじに手を差し入れて。


 短めにしている髪を、優しくかき上げるように撫でる。



 窓から差し込む、少し低くなった日差しに、透かすように見ている。



「この髪に、よく似合う」



 光の加減で、少し紫を帯びて見えることもある、私の髪。



「えぇ~……紫っていうには、くすんで荒れてるでしょうに」


「そんなことはない。綺麗だとも。今も変わらず」



 所長と私は、いわゆる幼馴染だ。



 小さい頃から、ずっと一緒。


 幼稚園、小学校、中学校、高校、大学。


 院に入って、同じ分野で研究の道へ進んで。



 私は孤児の出なので、金のない中、必死に追いかけた。


 所長の父は、金だけはしっかり出したらしいので。



 なお溜まりに溜まった私の奨学金返済は、数年前、この女が肩代わりして返した。


 なんか長年のわびだと言っていた。



「……まだ誰か残ってるか?」


「さっき川口さんが帰りました。これで全員です」


「私とお前が残ってるじゃないか」



 それでよいんでしょうに。


 何を聞き返しているのだか。



「……そういう意図の質問だったんですか?」



 もうここに、他に誰もいないのならば。


 少し曝け出しても、問題ない。



「悪かった。……ハイディ」



 そっと、額に唇を落とされた。



 我らの表情が。


 所長と室長から。


 幼馴染を経て。



 固い絆で結ばれた、ストックとハイディに、戻った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る