Aパート.二人の旅立ち~ハイディとストック~
0.聖暦1101年、コンクパール山頂。始まり。
ここ、コンクパール山脈の山頂は景色がいい。
光の加減なのか、他の山々と違って非常に遠くまでよく見える。
私の思い描いた通りの、地獄の始まりがよく見える。
遠く彼方で、河川が、水脈が荒れ狂っている。既存の流れが破壊されている。
魔境の魔物から数々の国を守ってくれていた、水の囲みがすべて消えていく。
これで半島の主たる生命は、人から魔物になっていくだろう。
いい眺めなんだけど――さすがにそろそろ、何も感じなくなってきた。
気持ち的に暇で、胸元のロザリオをなんとなく左手で弄ぶ。
私が物心ついたころから持っている、赤い丸い石のはまった十字架がついた、首飾り。
…………。
あれ?何か西の地表に、小さな木のようなものが、見える。
魔境に、木?あのあたりは行ったことがあるけど、あんなもの見たことない。
「…………なぜこんな真似をした、ハイディ」
後ろから涼やかな声がして、私は地獄見物を中断した。
このやりとり、ここに来てから何回目だっけ。7回?
でもこの人が最後の客だ。
ずいぶん、結晶化の進んだ右手を見る。
次はもう――ないだろう。
自分の末路にすら、もう私の心は動かないけれど。
それでも返事をしてしまうのは、彼女に何かを期待しているのだろうか。
「いい子を、辞めることにしたんです。ストック」
「何だと?」
振り返ると、そこには派手な赤い衣の女性がいた。
露出はなく、ひらひらが多くて可愛らしい。
貴族の……平服っていうんだったか。私には縁がない。
銀髪赤目の彼女は、ストック。彼女のいた組織での名前らしい。
その目は、私と同じ色だけどずっと明るい。
髪も、私のくすんだ紫と違って、輝んばかりだ。
本名は……なんていうんだっけ。爵位名かストックってしか呼ばなかったから、忘れてしまった。
長い髪を高いところで一本にまとめていて、そのしっぽが静かに風で揺れている。
いつ見ても、綺麗な子だ。
彼女と初めて会ったのは、7年前。
今はなくなってしまった、エングレイブ王立魔導学園の、正門前。
彼女は帝国貴族。私は国籍すらない平民。同じ学科で。
懐かしい。無作法だって、叱られたんだっけ。
「私は、いろんな人の言うことを聞く、良い子でした。
神主をはじめとした、クレッセントの大人たちや。
たくさんいたクルーたちや。
いい人だけじゃなく、悪い人の言うことも。
聞いて聞いて、たくさん悩んで。
できるだけ、話をしてきたつもりです」
私ことハイディは、まだ二十歳そこそこの小娘だが、五つの頃からさる陸船で働いていた。
魔境航行中型神器船クレッセント。その名は民間研究機関としての名前でもある。
運航を司る神主、総責任者の私、あと幾人かの役員で運営していた。
そこでの日々は、忙しいものだった。それに加えて、15から学校にも行った。
働いて、勉強して、魔物も倒して、ごくたまに友達と遊んで。
そして仕事の中軸は……人の話を聞くことだったように思う。組織の内外問わず。
けど。
私は間違っていた。
「……そうだな。私の話も、お前はよく聞いてくれていた」
「いいえ。あなたの言うことを、私は聞いていなかった。
あなたに言ったこと、謝らなければなりません。
取り消さなければ、なりません」
もう感覚のない右手を胸にあて、言葉を絞り出す。
彼女が少し、息を飲んだ。
「ごめんなさい、ストック。
あなたに言っておきながら、私は力を尽くしていなかった」
「……何の話だ、ハイディ」
私は、彼女の左後ろの……南西の方角を手で示す。
「あの日、王都にはあなたの家族だけではなく。
私の、本当の家族もいたんです。
それを知ったのは、私がクレッセントを……船を降りる少し前でした」
「あの時のことなら、それは私が」
私は神器船『クレッセント』を率いる者の一人として。
あの日、王都で彼女たち武装組織『ラリーアラウンド』と激突した。
彼女たちはなんとか止められて……でも王国についた革命の火は、消せなかった。
私の本当の祖国は滅んだ。
私と彼女の家族は、帰らぬ人となった。
非常に多くの人が、それから短い期間で亡くなった。
当時は他に望める結末はなかったと、思っていたけれど。
そうではなかった。
「いいえ。飢饉と革命のからくりは、遅まきながらすべて解きました。
あなたたち『ラリーアラウンド』は、本当にただ偶然そこにいて、乗せられただけ。
そのたくらみを企てた者たちは、直にすべて滅びます」
帝国も、共和国も、聖国も、寄ってたかって王国を滅ぼした国々は消えてなくなる。
陰謀に加担した各国上層部は、その国内にいる。所在は確認済みだ。
これで、一人残らずいなくなる。目的のついでではあるが――せいせいする。
「これは復讐のため、ということか。多くの人々を巻き込んで!」
残念ながら私の中に、そんな人らしい熱意はない。
もう、疲れてしまった。
「……いいえ。復讐心がないとは言いませんが、これはそれが目的ではありません。
少し――7年ほどかかりますが、これで地上の争いは止まります。
いくつか国が消えますが、王国民の犠牲よりずっと少ないです」
「どういうことだ」
説明を考えて……そっと左手を握ろうとして。
動かなかった。もう、時間がないな。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます