人類ロボット化計画

春光 皓

人類ロボット化計画

 政府直轄の研究所で、村松和彦むらまつかずひこはとある実験を行っていた――。




「お巡りさん! こっち! この人です!」

「貴様か……、逮捕する!」

「え、ちょっと待ってよ! やってない! 僕じゃないって! 話を聞いて!」





 西暦三千五百年。

 世界の文明は、科学の発達によって大きな発展を遂げた。


 電話は3D化された人の映像が目の前に現れて話すことが当たり前、車は飛行型と陸上型、二種類の免許が取得可能となり、「現金」というものの存在は、今や歴史博物館などでしか見る機会もなくなった。


 そんな現在においても、「如何に効率よく生活が出来るようにしていくか」というこの国の政府の大義名分のもと、科学技術は日々進化し続け、人類がこの世界に及ぼす影響は計り知れないものとなっていた。


 近頃では人類の働く環境も大きく変わり、接客業と呼ばれる職種の「人類採用」は終わりを迎え、全てがロボットによる対応に変わった。


 近い将来においては、義務教育の一環として仮称「ロボット工学」が追加となる見込みで、ロボットを始めとする機械製作の基礎を学び、若い世代から社会に役立つ技術を発信していくためのプログラムが開始となる。


 既に一部の企業では「人類採用」ではなく「技術採用」、つまり会社に貢献するロボットやプログラミングなどに関する技術を求職者の代わりに採用し、その働きに応じて対価を支払う手法を導入しているところもあった。


 後戻りをしない時計のように、人類はこれから益々の発展を続け、人々の暮らしも豊かになっていくと、世界中の誰しもが期待に胸を膨らませていた。


 しかし、どれだけ世の中が豊かになろうと、どうしても解決出来ない問題が、この世界には存在した。



 犯罪の増加――



 悲しいことに、文明が発達すればする程、生活が便利になればなる程、世の中の犯罪は増加の一途を辿っていた。


 優れた技術を巧みに操り、法律の穴を擦り抜け、ありとあらゆる角度から犯罪は行われていく。


 この事態を重く捉えた政府は、国家警察の権力を大きく引き上げ、彼らの独断の元、裁判官の令状なしに逮捕することを許可した。


 これにより犯罪者の逮捕数は目に見えて向上し、国家警察の面子を保つことが出来るようになった。


 一方で、誤認逮捕が後を絶たず、この部分について政府は目を瞑るという状態が続いていたこともまた事実であった。


 しかし、どれだけ逮捕、検挙件数が増加しても、この国の犯罪は毎年右肩上がりで増加し、今年でついに三十年連続の上昇と、不名誉な節目を迎えてしまった。


 そして犯罪の増加と比例するように、海外からの旅行者数も大きく減少し、国の経済に影響を与えている。



 この節目の年に、政府はついに、更なる計画を実行することを決断した。




『人類ロボット化計画』




 そんな無謀な計画を。


 そうは言っても、この言葉だけでは多様な理解と憶測を呼ぶことになる。


『感情のAI化』


 これが「人類ロボット化計画」の具体的な施策である。


 この国の多くのロボットに搭載されている「人工知能チップ」を人類に使用することで、犯罪を起こす可能性を根絶やしにする。


 それがこの国の政府が辿り着いた、歴史上最大規模の犯罪防止策であった。


 但し、全ての人間をロボット化させるわけではない。


 ある一定の地域にこの計画を実行することで犯罪のない安全地域を作り出し、その安全地域を「世界で一番安全な観光地」として大々的に世界に謳うことでインバウンド事業の拡大を狙い、最終的にそれを収入源に更なる開発の軍資金として運用するというのが政府の真の狙いだった。


 犯罪数ゼロを謳い文句に資金を集め、増加する犯罪に目を瞑る。

 つまり、見方によっては国の発展の為に国を捨てたということだ。


 人との会話が出来るAI技術は既に世界中に普及していたが、「人の感情」は繊細で複雑な物である為、ロボットが想いを汲み取ることは不可能だと言われていたのは遠い昔。


 今やロボットに感情を持たせることに必死になっていた時代は終わりを迎え、それに逆行するように、人類が持つ全ての感情はAIによって導き出されていく。


 誰がこんな未来を予想出来ていたのだろうか。

 人類の暮らしを豊かにする為に開発された技術の塊であるロボットに、開発側である人類が近づくことになる、そんな未来を――。


 この計画が実現される日は、恐らくこの国で歓迎されることのない、唯一の記念日となるが、計画実行に向けた各種実験はもちろん、計画そのものについても国民に具体的な説明は行わない。


 その理由は非常にシンプルで、批判や反感、その他政府に対する暴動の全てを受け付けないためだ。


 その為、国民に伝えられるのは「罪を犯さなければ、ロボット化はされない」ということだけだった。



『如何に効率よく生活が出来るようにしていくか』



 この政府の大義名分は言わば、「政府の決断をより簡単に、かつ確実に実行していくために作られたもの」と解釈している人間も少なくはない。


 そして今まさに、恐れられていたことが現実のものとして動き出そうとしていた――。



「今日は何体追加になる?」


 和彦は今日も実験に明け暮れている。

 村松家の家系は代々、人工知能に関する研究を行う学者で、今までも世の中に数多くの技術を提供してきた。


 接客業の「人類採用」が無くなったきっかけも、天才科学者と呼ばれた和彦の先祖にあたる行彦ゆきひこの開発した「人工知能チップ」の導入による影響だと言われている。


 この「人工知能チップ」を一言で言うと、「人の感情」をロボットが所有出来る技術である。


 表情や声色、仕草といったものから瞬時に識別し判断を行うことで、ロボットは人間の感情を読み取ることも可能だ。


 何よりこのチップの優れた点は、自身の感情を完璧にコントロール出来ることにある。

 いわゆる「カッとなってつい手を出してしまった」などという人類によく見られる現象は決して起こりえない。

 常に合理的な判断と思考の元、正しい決断をし、淡々と実行していく。


 まさに「天才科学者」の名にふさわしい発明であった。



「人の為に在れ」

「我々が何故研究を続けるのか。それは人々の為であることに他ならない。決して、そこを忘れてはいけない」



 これが行彦を成功へと導いた言葉であり、彼の信条だった。

 かつて行彦がメディアに向けて放った言葉でもある。


 行彦は来る日も来る日も、人間観察を怠らなかった。

 人々の求めるものは何なのか。

 この世界に足りないものはどこにあるのか。

 常に疑問を抱き、観察と研究を繰り返した。


 そして、行彦が六十歳を迎える前、ついにこの「人工知能チップ」の試作版が完成し、そこから約十五年、行彦が七十五歳を迎えた年に、ついに「人工知能チップ」は完成し、世の中に飛び出していった。


 行彦が他界してから三百年余り。

 今では世にあるロボットの九割以上にこのチップが埋め込まれ、ロボットが人間の争いの仲裁に入ることも珍しくはない世の中になっている。


 行彦の誕生こそ、人類最大の成果であると謳うものも少なくない。


 結果として、この功績が認められ、村松家は政府直轄の研究員として、政府の様々な研究に加担することとなった。


 今思えば、この時すでに『人類ロボット化計画』は水面下で進められていたのだろうと、和彦は後々に知ることとなる。



「今日は五百体を追加します」


 実験は政府によってランダムに選ばれた過去に犯罪歴のある、あるいは服役中の人間にチップを埋め込むことから始まり、大きく三つの実験が同時に進行されている。


 まず一つ目は、「人工知能チップ」を人類に組み込み、正常に作動するのかの動作確認。


 この課題に関しては、既に凡その目途が立っている。

 というのも、元々このチップは行彦が人体を調べつくし、あらゆる人間の行動や特徴など、莫大なデータを基に開発したものである為、どちらかといえば基本的にはロボットよりも人間の方が適合させ易いという結果が出ていた。


 二つ目に、チップを生身の人間に組み込むとAIからはどのような感情が導き出され、人間はそれらの感情を正しくコントロールすることが出来るのかというもの。


 この「人工知能チップ」は感情の所有とコントロールが出来るものだが、それはロボットに「性格」といった個体差がない場合の話である。

 よって、生身の人間ではこの個体差によって、感情のコントロールが出来ない可能性も考えられた。

 こちらに関しては「現状は」ロボットに導入した際と大きな差は出ないという線が濃厚とされているが、現在も引き続き実験は続いている。


 そして最後三つ目は、チップを組み込んだ人類同士で共同生活を行った場合、生まれる感情に差が生じるかというもの。


 こちらも二つ目の実験同様、現状では指摘する程ではないが、個体によっては微々たる差が生じることがわかっており、引き続き実験を行っている。


 これらの検証結果に応じてチップの改良、改善を行うことが、和彦ら研究者チームの仕事となっていた。


「五百体? ……ったく、政府もここに来て急に舵を切り始めやがって……。そろそろ何かしらのエラーが出てきも可笑しくないぞ」


 今日の追加で、被験者の暮らす「村」の人口は約三千体となる。


 本来、この計画は国内ではなく対海外向けの施策ということで、一つの失敗で国そのものの信頼を失うことにもなり兼ねず、実験は微々たる変化やエラーを見逃さぬように少数体ずつの追加で行うよう指示されていた。


 しかし、いよいよ犯罪数に目を背けられなくなったのか、ここ最近は連日のように一日に追加する実験体の数が多くなった。

 政府の計画では将来的にチップを埋められた人間が一万体同時に暮らす予定となっているのだが、このペースであれば、残り数ヶ月で頭数は到達するだろう。


「そうっすね。感情がAIと言っても元は生身の人間ですし、人見知りが酷くない限り、そろそろお互いに干渉し始める頃かもっす」


 そう言ってモニターを見つめる彼は柳直樹やなぎなおき

 和彦の五つ後輩で、端正な顔立ちではあるものの、研究者らしくない肩まで伸びたウェーブの掛かった髪が特徴的だ。

 何度言っても口調だけは良くならないが、頭脳明晰で、若くしてこの実験のメンバーに選ばれた一人でもある。


 和彦にとって、この研究所で唯一気の知れた存在だった。


「被験者の口数も少ないし、明らかに表面上だけの付き合いだからな。これがチップの影響なのか、お互い探り合いをしているのか、あるいは元々そういう人間が集まったのか……。ランダム選定だと、これといった特徴を掴みにくくて敵わん」


「今のところ、この国特有の譲り合いの精神……って言うんすかね、自己主張ってのも見られないですし……。ある意味、これはこれで実験成功でもあるんすけど」


「奴らは元々犯罪者だ。譲り合いの精神があるのかはわからんが……、まぁ、犯罪を無くすという点では成功なのかもしれんな」


「特に刑務所送りだった個体は厳しい生活だったのか、ここでは働き者で模範的にさえ見えますからね。流石は天才科学者、村松行彦の発明品っす。汎用性がとんでもない」


 和彦は満更でもない思いではあったものの、「こんなにも順調に進んで良いものなのか」と、何処となく不安も覚えていた。


 確かに行彦の発明はこの世界を大きく変えた。

 そうは言っても、それはあくまでロボットに対しての話である。

 上は個体差無しの線で実行に向けて色々早く進めようと躍起になっているが、いくら感情をAIに委ねたからと言って、ここまで上手く機能するものなのだろうか。


「でもやっぱり、順調に行きすぎると不安になるのは、研究者の性なのかもしれないっすよね」


 直樹の言葉に、和彦は大きく頷き肩を落とす。


「考えすぎか……」


 気を取り直し、和彦は再びモニターへと視線を移した。




 ――とある家、深い深い、地下にある部屋の一室。

 完全防音の部屋の中に、一発の乾いた銃声が響く。


 一人の男が瞳孔を開いたまま、笑みを浮かべて立っている。

 男は床に手を伸ばし、手に付いた血をじっと見つめた。


「くくく……。何も感じねえ」


 上がった口角を無理矢理戻すように、真っ赤に染まった手で顔を拭う。


「また俺をこんなところにぶち込みやがって……」


 冷たく突き刺さるような瞳が、指の間から覗いている。

 その瞳には喜怒哀楽、どの感情も宿ってはいなかった。


「俺をこのおりに入れたこと、後悔させてやる……!」


 男は静かに扉を開けると、静かに、地上へと続く階段を上り始めた。

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